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朝が来て、私は重い足取りで登校した。文也につけられた痣は日曜日を経ても消える事なく、はっきりと頬に浮かび上がっている。それを隠すために貼り付けたガーゼのせいで、表情を作りづらかった。
ガラガラと音を立てて扉を開くと、既に到着していた数名が顔をあげる。皆、めいめいに驚きを顔に出すが、その中の一人、文也だけは違かった。
優越感と拭いきれない恐怖が混ざり合う引き攣った笑みを浮かべ、私の席を陣取っている。私は扉の前で突っ立ったまま、ひたすらに彼を睨みつけていた。
もう一人、様子がおかしい少女がいた。彼女は驚きを通り越し、不安を湛えた顔で近づいて来る。
「ちょっと、二人で話したいな」
そう言うと返事を待つ事なく、彼女は私の腕を掴んで歩き出す。ギュッと強く握られた腕が痛い。振り払おうとその手に触れた時、彼女が震えているのがわかった。私は和美の手を離すと、されるがまま歩いて行く。
人気のない校舎の隅で、私たちは向かい合った。目の前に立つ和美は、自分が話をしたいと連れて来たというのに、押し黙ったまま目を伏せている。
朝のホームルームのチャイムが長い沈黙を破った頃、意を決したように彼女は口を開いた。
「・・・・・・その怪我、文也にやられたの?」
遠慮がちに和美は尋ねる。私はガーゼ越しに痣を一撫でし、彼女から目を逸らして頷いた。再び、重い沈黙が場を支配する。
遠くから後輩たちの元気な声が響いてくる。どうやら、ホームルームの時間がもう半ばを過ぎたらしい。
「ねえ、東條さん。そろそろ教室に戻らない?」
そう口にしてみても、和美は動く気配を見せず、そんな状態の彼女を一人残して行くのは気が引けて、私は和美のすぐ隣で壁に背を預けた。
「・・・・・・ウチじゃなくて、文也じゃないといけない理由って何なの?」
唐突に和美はそう言い放った。ホームルーム教室から遠く離れたこの棟は、隣の棟の後輩たちの声以外、何も聞こえない。だからこそ、和美の声は狭い校舎内をこだまして、私の心に波紋を生み出した。
「友達の東條さんを巻き込みたくなかったから」
ぽつり、溢れた言葉が凪いだ水面に波をたてるようにじんわりと、反響して広がっていく。私が今やろうとしている事には、どんな危険が潜んでいるかわかったものではない。その危険に彼女を巻き込んでしまうのが、私には怖かった。
ハッと気づいた時、和美の目は潤み、今にも涙が溢れそうだった。
「巻き込みたくないって、何? ウチが馬鹿で弱いから? 頼りないから?」
和美は私のマフラーを掴んで力強く引っ張る。小さな顔が眼前に迫り、その瞳に映る自分まで見る事ができた。
「その結果、一人で怪我して、どうしようもないじゃない! そうなるくらいなら頼ってよ! ウチはもう、友達が傷つくのは嫌なの!」
彼女の瞳に映るのは、私だ。しかしその奥に、もう一人の影を見ている。恐怖と不安と罪悪感の先に、決して折れない強さを宿して。
和美は、一瞬悩む素振りを見せた後、徐に握った拳で自身の頬を殴りつけた。唐突な行動に驚いて私は言葉を失う。
彼女の頬には小さな黒い痣が浮かび上がっている。白い肌に残された歪みは、可愛らしい顔には不似合いで、何とも痛々しかった。
「紗世ちゃんが思っているより、ウチは弱くない。これくらいの痛み、何ともないから。紗世ちゃんが傷つくのに比べたら、何ともないから! 一緒に、その痛みを背負わせてよ!」
肩で息をしながら和美はそう言った。目はキッと吊り上がり、有無を言わせぬ迫力があった。私は気圧されて黙りこくったままでいる。
「ウチら、友達でしょ?」
彼女の目元が不安げに緩む。きっと和美はこの言葉を口にするのに、とても勇気を出したのだろう。表情を見れば明らかだ。だからこそ、応えなくては。そう思った。
私は右の拳を持ち上げると、彼女の前に突き出す。和美はキョトンとして形の良い眉を寄せつつも、それに合わせて拳を出す。
コツン、と小さな音が響いて二人の拳が触れた。
「よろしくね、和美ちゃん」
ポカンと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした和美に、徐々に表情が戻っていく。湯気があがりそうなほど顔を真っ赤にして、彼女は照れくさそうに笑った。
二人で並んで歩く。狭い校舎に二人分の足音が反響して、授業中だというのに、何だか楽しかった。
「初めて授業サボったけど、楽しいね」
私の言葉に和美は頷く。二人で隠れ込んだ旧校舎は普段の授業で使われないため、これからの作戦会議には持ってこいの場所だった。
歩くたびにギシギシと、変色した床板が悲鳴をあげる。ここに来たのは数日ぶりだ。少し前の事なのに何故か、とても懐かしく思えた。
和美は落書きの目立つ黒板の前に立つと、淳の真似をして喋り始める。
「えー、これから、作戦会議を始める。紗世、号令頼んだ」
口調以外はてんで似てない下手くそなモノマネだったけど、それが逆におかしくって、ふふっと笑えた。私が号令をかけると上機嫌な和美は、黒板に丸い文字で”作戦会議”と書き出した。
「まず、本作戦では、昌一が由乃を追い詰めた証拠を掴むのが目的だ。そのために何をすべきだ?」
「向井くんと接触し、情報を集める事です」
「よろしい。しかし、先日の暴力の件もあり、それは難しいだろう。文也を抑えるには、何が足りないと思う? 」
和美は崩れかけの小さなチョークで黒板を叩く。そこには大きな字で”仲間”と書いてあった。
「ウチら二人じゃ、できる事に限りがある。だから、一緒に事件を追う仲間を増やしたいよね」
モノマネをやめて普段の和美の調子に戻り、彼女は振り向いた。結ばれた茶髪が揺れる。
和美はチョークで私を指す。その顔には、先ほど見せた決意の炎が灯っていた。
「ウチら二人が信頼できる仲間を作る! そして、必ず文也を、昌一を捕まえる!」
その言葉を言い終わると同時に、キーンコーンカーンコーンと始業を報せるチャイムが鳴り響いた。
ここから、私たちの反撃が始まる。
帰りのホームルームが終わって、淳が教室を出て行った。残された生徒たちは各々勉強したり、談笑したり、気ままに過ごしている。
私は一人の少年に声をかけようとするが、彼は私の姿を目で捉えるなり、そそくさと教室を出て行ってしまった。
私、何かしちゃったのかな。そう心の中で問いかけてみても、誰も返事をしてくれはしない。私は机に突っ伏したままため息をついた。
根暗でビビりで弱虫の私を、唯一好きって言ってくれた人なのに・・・・・・。
「嫌いになったのかなぁ・・・・・・」
「全然。嫌いになんかなってないよ」
不意に頭上から聞こえた声に驚いて、勢いよく頭をあげる。起き上がった私の頭頂部が、前の席に座り込んだ少女の顎に直撃し、二人で悶えた。
痛みで思わず目を閉じた。今ぶつかったのが誰か確認したいけど、衝突した衝撃でメガネがズレて上手く見る事ができない。
「ちょっと! 清ちゃん! 痛いんだけどー!」
その声に聞き覚えがあった。ズレたメガネを直すと、目の前の少女の姿がくっきりと見える。
長いウェーブがかった茶髪を後ろで一つに結んだ少女、東條和美だ。私はヒッと声にならない悲鳴をあげて後ろに飛び上がる。椅子の背もたれを超えて仰け反った私の体は、背後にあった机にぶつかり腰を強か打ちつけた。
私は痛む体を抑えてのたうち回る。メガネは、とっくにどっかに飛んでいった。
痛みに加えて辺りが見えない恐怖と、苦手な人に声をかけられた不安に呑まれて涙が出そうだった。できる事ならこのまま逃げ帰ってしまいたい。しかしそれはメガネがないと不可能な事だとわかっているから、すぐに諦めてしょっぱい雫を飲み込んだ。
「高嶺さん、大丈夫だから落ち着いて」
上の方から優しい声が聞こえてくるとともに、視界が戻った。誰かがメガネをかけてくれたらしい。
私は二、三度瞬きをすると、声がした方を見上げる。そこには二人の少女が立っていた。
一人は茶髪で陽キャの超ハイテンションギャル、東條和美。そしてもう一人は・・・・・・。
「あれ? 菊川さん?」
黒髪ロブヘアの、真面目で優しい少女、菊川紗世だった。
彼女は困ったように眉を寄せて笑う。隣の和美に対して、こちらはまるで天使のように見えた。
「高嶺さん大丈夫? すっごい音したけど」
サラサラの黒髪がちょこんとした頭の動きに合わせて揺れている。私は彼女に引っ張り起こされ、何とか立ち上がった。
「ありがとう菊川さん。・・・・・・東條さんも、何か私に用?」
「そうだよ! ねえねえ清ちゃん、お願いがあるんだけどー!」
和美は満面の笑みで私の頬を触る。いつもいつも彼女は私を子供扱いして、赤ちゃんのほっぺを撫でるみたいに、私の頬で遊ぶのだ。
「うん。私からもお願いがあって」
紗世は私の背中についた汚れを手際よく落としながらそう言った。私はその言葉に驚く。彼女のように素敵な人が自分にお願いするなんて、一体何の用なのだろう。
「仲間になってほしいんだよね」
軽い調子で和美は続けた。唐突で意味のわからない言葉を聞いて、思わず私は紗世に目線で助けを求めたが、何故か彼女もコクコクと満足げに頷いていた。
真面目で優しい紗世、明るく友達の多い和美、そして何もできない私。何故、私なんかを仲間にしたいのだろう。不安をこめた瞳で私は彼女らを見た。それに対して 和美は満面の笑みを返してくる。
「一緒に文也をぶっ飛ばそー!」
「・・・・・・えぇ?」
今日、私はクラスメイトをぶっ飛ばす仲間に選ばれた、らしい。
窓から光が差し込む。天気予報じゃ一日中曇りだったというのに、空には一筋の晴れ間がのぞいていた。