テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
4件
終始💛も💜も頑張れ!と思いながらドキドキして読みました☺️ ❤️がいい橋渡しになってくれて本当に良かった。あたたかいお話ありがとうございました😊
素敵なお話だった…🥹✨✨ 夫婦が夫婦になってよかった💛💜
ひっそりと静まる住宅街を抜けて、賑やかな空気と色とりどりの照明で彩られた繁華街を通り過ぎて、その光は柔らかく夜闇の中で輝きながら、ふよふよと進んでいく。
どこに向かっているのか、見当もつかない中を一人で進んでいくことに、少しの不安を覚えながらも、俺はたった一つの希望に縋るように、それについていった。
俺以外の人にはその光が見えていないのか、はたまた、みんな自分のことにしか興味がないのか、それは定かではないが、俺が追いかけているものを見る人は誰一人としていなかった。
色と恋が入り混じり、独特の雰囲気を漂わせる街を通り過ぎると、さっき歩いて来た騒がしい場所とは隔絶されたように、静かに眠るみたいに落ち着いた道に出た。
街灯の灯りが点々と灯っている。もうすぐ消えてしまいそうにチカチカと点滅する灯りの先に小さな公園があった。
まばらに置かれた遊具が、夜の光に照って、少し不気味に見えた。
俺が追いかけて来た小さな光は、公園の前で三回くるくると円を描くように回った後、中へ入っていった。
俺もその後について行けば、白銀の光は、公園のベンチにうずくまる影を照らして、パッと消えてしまった。
道標を失った俺は急に心細くなって、どうしたものかと思案する。
恐らく、あそこに見える影は人なんだろうが、急に声をかけても良いものなのかと、二の足を踏む。この近くには居酒屋やバーが点在しているようだし、酔い潰れてしまったのだろうか。何か困っているのなら、役に立てることがあるかもしれないしと、思い切ってその影を軽く二回叩いた。
「あの…大丈夫ですか?」
その影は返事をすることなく、ゆっくりと顔を上げた。
銀色に輝く月がその人の顔を照らす。
俺が会いたくて恋しくて、欲しくて仕方がない奴の顔がそこにはあった。
いつからだったんだろう。
どのくらい前から目で追うようになったんだっけ。
きっときっかけなんてものは曖昧で、「気付いた時には」というやつだったと思う。
もう長いこと、照が好きだった。
照だけが好きだった。
でも、伝えようとは思わなかった。
あいつにとって、俺は「ただの友達」で、「ただのメンバー」で「ただの仕事仲間」だったから。今の距離感でも構わなかったから。俺の身勝手な我儘と欲望なんかで今の関係性を壊したくなかった。
ここまで築き上げて来たあいつとの信頼とか、友情とか、そういう大切なものが音を立てて崩れていくような気がしたから、絶対にこの気持ちは墓場まで持って行こうと決めていた。
そんな俺の決意がぐらっと揺れたのは、何気ない毎日の中のほんの一瞬間のことだった。
俺たちはその日、ドームライブの真っ最中だった。
この日のために、綿密に構成を練って、セットリストを作って、何度も何度も練習を重ねた。たった数時間、されど数時間、この日のために時間を作って来てくれたファンの方が、最高の時間を過ごせるように、みんなで知恵と力を出し切って臨む。そんな熱い日のことだった。
歌って、踊って、喋って。この上ない幸福感の中で、俺たちの気持ちと体は最高潮に昂っていた。
そんなタイミングで、俺はあいつを目で追ってしまった。
それがいけなかった。
ステージの上で自由に生きる照から目が離せなかった。
ライブ中の高揚感の中で、俺の目に映った照はこの上なく眩しく輝いていて、胸が詰まった。
今まで感じていた気持ちなんかじゃ比にならないくらい、照に焦がれた。
これまで抱いてきたものが、まるでちっぽけなカケラくらいに思えるほどに、強い感情が俺の中を駆け巡った。
綺麗な恋心も、淀んだ劣情も、何もかもが混ざり合って膨れ上がっていくみたいだった。
照が好き。
心も体も照でいっぱいになっていく。
苦しくて、切なくて、体がふわふわと落ち着かない。
そんな昂りの中で、視界に映った一つのうちわに、俺の心は大きく掻き乱された。
夢を見るように、恋をするように、ただ一心に照を見つめるその女の子は、照に宛てた言葉をうちわに込めて、大きく振っていた。
だめだと思った。
あの子の夢を壊したらいけないと思った。
あの子が見つめる先には、きっと誰もが想像する理想の照がいる。
俺になんて恋しない照がいる。
俺たちはあくまでも仕事上の「夫婦」なだけであって、それ以上でも以下でもない。
さっきまでの高揚した気持ちに、冷や水がかかる。
俺の夢が醒める。
俺の恋が凍っていく。
凍りかけた愛の隙間から、諦め悪くまた恋が芽吹いていく。
これ以上ないくらい照が好き。
これ以上好きになったらいけない。
矛盾した二つの気持ちが大きな渦を作って、俺の心を飲み込んでいった。
次の瞬間、その渦の真ん中から、二つの塊みたいなものが生まれるような、そんなイメージが頭の中に浮かんだ。
ころころと丸い玉のような、その二つの塊は、一つは下に沈み、一つは上に登っていった。上に登った玉は俺の背中を通って外に出ていった。下に沈んだ玉は、俺の心の中で小さくころんと転がって動かなくなった。
想像なんて言葉では足りない。
何かに支配されるように、頭の中に鮮明に、大きな渦と二つの玉が映し出されて少し怖くなった。
確かに、何かが背中から出ていく感覚があって、その拍子に俺の足は一瞬ふらついた。
近くにいた舘さんが、気付いて支えてくれた。
何事もなかったかのように肩を組んだように見せて、舘さんは歌い続けた。
自分のパートが終わると、舘さんは俺の耳に口を寄せて「今はライブのことだけ考えよう。辛いだろうけど、もう少し踏ん張って」と言った。
自分の中から何かが抜け落ちたような心持ちのせいか、足に力が入らない。
次の衣装替えのタイミングが来るまで、なんとか体を支えて歌い切った。
暗転してから、ステージの裏へ捌けようと足を進めた瞬間、膝から力が抜けて、その場で転びそうになるところを舘さんが支えて運んでくれた。
「舘さんごめん。途中からなんでか、足動かなくて」
「謝らないで。」
舘さんは、俺を椅子に座らせて、俺の膝を両手で摩りながら、何かを小さく唱えていた。
「舘さん、なにしてるの…?」
「…」
「…舘さん……?」
「…。うん、もう大丈夫。立ってみて」
舘さんに促されるまま立ち上がってみると、さっきまでふらふらだった足は、何事もなかったかのように、ちゃんと力を入れて地面を踏み締めることができていた。
「え、ふらふらしない。なんで!?」
「ふっかが最後まで立っていられるように、ちょっとしたおまじない。」
「すげぇ!ありがと!」
「どういたしまして。…ねぇ、ふっか」
「ん?」
「強い気持ちは、一つの命を産むんだよ。でも、その命がちゃんと自分の元に帰って来てくれるかはわからない。だから気を付けてね」
「へ?」
「出て行ってしまった気持ちが、自分にとって大切なものなら、ちゃんと“おかえり“って言ってあげてね」
「うん?」
「じゃないと、失ってしまった気持ちは、このまま永遠に帰って来れなくなっちゃうから」
舘さんはたまに不思議なことを言うけど、その時はいつも以上に変なことを言っていた。でも、本人は至って真面目な顔をしていた。俺は何と言うこともできないまま、舘さんの話を黙って聞いていた。
あのライブの日から、俺は少し変わった。
照を好きな気持ちは確かにあるはずなのに、それ以上に「諦めなきゃ、忘れなきゃ」という気持ちの方が強くなった。
ただ好きでいられたらそれで良かった頃の俺は、もっと明るい気持ちで照を思っていた気がする。だけど、今の俺は、暗くどんよりとした気持ちの中で、まるで情念を募らせた怨霊のように照の事を想ってばかりになった。
隠と陽。
好き、好きじゃない、忘れたい、忘れたくない。
光と影。
気付かないで、俺を見て、これ以上好きにさせないで、俺を好きになって。
ただ目で追いかけるだけで、話ができるだけで幸せだったあの頃よりも、もっと深く、もっと濃く、照への気持ちがじんわりと心に黒い染みを作っていった。
明るい気持ちで恋をしていた時よりも、暗い気持ちで照を想うようになってからの方が、切なさと寂しさで、余計に気持ちが強まっていった。
忘れたくても忘れられない。
諦めたくても諦められない。
好きで好きで仕方がない。
どこが好きとか、何が好きとか、そんな言葉じゃ足りない。
そんな次元で照に恋してない。
でも伝えることはできない。
あの日のあの子の目を思い出すと、すごく怖くて、一歩たりとも踏み出せなかった。
あの子だけじゃない。俺たちを好きでいてくれている人、俺たちのことを知っている人、その人たちの理想とか期待とか、常識とか、そういうものを壊してしまうくらいなら、俺は俺の心を一生隠して生きていく。
忘れたいのに、いつまで経っても俺の頭の中は照でいっぱいだった。
照が恋愛ドラマの主演をすると聞いた時、俺の中でまた一つ、諦めの気持ちが強くなった。
どんなに頑張っても、俺は女の人にはなれない。
照と相手の女優さんが並んだスチール写真をマネージャーから見せてもらった。
ーーあぁ、これが正しい形だよな。
そう思った。
俺と一緒にいてくれるって、もし照が百万分、いや、百億分の一くらいの確率でそう言ってくれたとしても、その先に待っているのは、茨の道だけだ。
この想いが実ったって、実らなくたって、結局苦しいだけなら、何も言わない方がいい。
忘れてしまおう。諦めてしまおう。
そんな重苦しい気持ちの中で、独り溺れている頃、一件の連絡が入った。
それは、前から俺にアプローチをかけてくれていた同業の人で、これまでも何度か、俺を食事に誘ってくれていた。
照しか見えなくて、申し訳ないとは思いつつも、俺はその人の誘いを何度も断り続けていた。今回も、そういった内容のメッセージだろうかと思いながらアプリを開いた。
「これで、最後にします。俺と一緒に飯行ってくれませんか?」
少し思いがけないことだった。
でも、不思議なことなんて何もない。
誰だって、脈がないと感じたら見切りをつけるものだから。
いつまでも、未練がましく、たった一人だけを想い続けてる俺の方がどうかしているんだと思う。
家路についていた先で少し立ち止まって、なんて返事をしようと考えていると、一台のタクシーが俺の横を通り過ぎた。タクシーは徐行しながら一つのお店の前で停まって、ハザードを焚きながら乗客が店から出てくるのを待っていた。
俺は再びスマホに視線を戻して、タップして文字を打ち込んではまた消してを繰り返していた。しばらくすると、楽しそうな女性の話し声が聞こえて来た。大きな声で話すその女性は、遠目から見ても、すごく綺麗な人だということがわかった。
その女性の後ろをついていくように店から出て来た人を見て、俺は大きく目を見開いた。
照だった。
照の隣に立つ女性に、どこかで見覚えがある気がしていたが、その人は、今、照が共演している女優さんだったのだ。一緒にご飯を食べたことで、より打ち解けたのだろう、二人はとても楽しそうだった。目を逸らしたいのに、逸せない。そうこうしている間に、何かの拍子に、二人は突然お互いを抱き締め合った。
そこから先のことは、あまり覚えていない。
苦しくて、辛くて、痛む胸を抑えながら眠りについたような記憶はあって、意識が上に上がっていく直前「もう諦めよう」ただその言葉だけが、心の中に静かに沈んでいった。
次の日の朝、俺は真っ白い頭で、おもむろにスマホを開き、昨日受けた誘いに返事をした。
「今日空いてます。俺でよければぜひ」
それスノの収録が終わって、楽屋の中に俺と照だけが残る。
昨日の記憶が蘇ってきて、少し気まずい。
昨日の人と付き合っているのか、思い切って聞いてみようかと思ったけど怖くて、そんなこととても聞けなくて、俺の口からはどうでもいい質問だけが吐き出された。
「照、次あんの?」
「いや、今日はこれでおしまい。ふっかは?」
「俺もこれで終わりー。」
今、俺普通に喋れてるかな、なんて不安になる。
こんな話がしたいんじゃない。そんなことを聞きたいんじゃない。
でも、諦めるって決めたんだから、俺には関係のないことなんだって、無理に頭を振って、今日約束した人と合流するために、帰り支度を始めると、照が俺に言った。
「じゃあ、またラーメンでも食べいく?」
なんで今日なの。
おめでたい頭のどこかで、まだ照を想うことを許してもらえる気がしていた昨日までの俺なら、お前の手を取れたのに。
もう大切な人がいるかもしれないお前と、お前を困らせるだけの気持ちしか持っていない俺とが、今更、何度時を重ねたって何も残りはしないんだ。
鈍く痛む昨日の記憶に背を向けて、少しの心苦しさを滲ませながら、俺は照の誘いを断った。
照は少し驚いたような顔をした後、少し口をへの字に曲げて、誰とご飯を食べにいくのかと尋ねてきた。
いつまでも照への気持ちを断ち切れないまま、引き摺ってばかりなんて、嫌だった。
先に進まなきゃ。
そんな、なけなしの強がりで、俺は照の問い掛けに答えてから、楽屋を出て行った。
「俺のこと好きって言ってくれてる人」
約束の場所に着くと、その人はもう到着していたみたいで、俺を見つけると大きく腕を振って「お疲れ様ー!」と言ってくれた。
照のことは忘れないとこの人に失礼だと、不自然に見えないように軽く頭を振ってからその人の元へ近づいた。
「遅れてごめんなさい、待たせちゃいましたか?」
「ううん、待ってないよ。行こっか」
「はい」
「なかなか予定が合わなかったから、今日やっと深澤くんとご飯行けてすごく嬉しい」
どうにかこうにか理由をつけて、今までお誘いを断っていたことに少しの罪悪感を抱きながら、俺はその人の横を歩いて行った。
大丈夫。
何も不安なんてない。
この人だろうと、この人じゃなかろうと、俺はきっと、ここから先に進んでいけるはずだから。
「今日はありがとうね、すごく楽しかった。」
「こちらこそです。ごちそうさまでした」
「深澤くん」
「はい?」
「俺的には、今日デートのつもりだったんだけどさ」
「はい」
「一回目のデートでこんなこと言うの、がっついてるみたいでちょっと情けないんだけど、俺、本当に深澤くんのこと好きなんだ。よければ俺と付き合ってくれないかな」
「ぁ…えっと……」
「今すぐに答えが欲しいわけじゃないんだ。困らせてごめんね、いつまでも返事待ってる。ねぇ、深澤くんが良ければだけどもう一軒行かない?」
「…ぁ……」
すごく優しくて、俺を尊重してくれる。きっとこの人とだったら、孤独な片想いで潰れそうになる夜なんてきっと来ない。
そんな期待が確かにあったはずなのに、今、俺の頭の中は照でいっぱいだった。
告白してもらったことはとても嬉しいはずなのに、寂しいと心が叫ぶ。
その人が向けてくれるあったかい目に少し安心するはずなのに、その人に合わせた俺の目は虚しいと潤む。
照がいい。
照じゃなきゃ嫌だ。
恋人になれなくたって、今のままだって、もうなんだっていいから、照のそばにいられたら、もうそれでいいから。
「ごめんなさい、帰ります…。」
「…そっか」
「あと、告白してくれてありがとうございます。嬉しかったです。でも、ごめんなさい。応えられないです。」
「そっか、うん、なんとなくそんな気はしてたんだ。ありがとう。考えてくれて」
「そんな…」
「言えないまま終わりにしなくてよかったって思ってるから、そんなに気にしないで?最後にご飯一緒に食べられて嬉しかった。じゃあ、気を付けてね。」
「はい、おやすみなさい」
その人と別れて、帰り道を辿る。
でも、どうしてか、家に帰りたくなかった。
あの人の気持ちに応えられなかったこと、自分の寂しさを埋めるために軽率に誰かを利用してしまったこと、全てに罪悪感が募っていく。
「俺、超最低じゃん」
誰もいない真っ暗な道を歩きながらいつものように軽口を一言呟いたはずだったのに、次の瞬間、俺の目からは言葉にできない気持ちが全部涙に変わって溢れ落ちていった。
一人になりたくて、賑やかな繁華街から逃げるように宛てもなく歩いていくと、ポツンと佇む小さな公園を見つけた。そばにあったベンチに座って、膝を抱えてみると、涙はいよいよ止まらなくなった。
周りに誰もいないのをいいことに、俺は声をあげて泣いた。
結局先になんて進めなくて、どこに行っても照しか見えなくて。
絶望と幸福の狭間で嗚咽し続けた。
そのうちに泣き疲れて、俺はぐったりとベンチの上で膝を抱えてうずくまった。
「あの…大丈夫ですか?」
いつまでそうしていたのだろう。随分と時間が経っていたのかもしれない。
こんな時間に、こんな場所に来る人なんていないと油断していた。
俺の肩を叩いた人は、俺の具合が悪いんだと思って声を掛けてくれたのかもしれない。
救急車を呼ばれても困るので、大丈夫だということだけでも伝えようと、ゆっくり顔を上げた。
銀色に輝く月を背にしたその人の顔は少し暗くて見えづらい。
目を凝らして覗き込めば、俺が会いたくて恋しくて、欲しくて仕方がない奴の顔がそこにはあった。
「ひかる…?」
「ふっか…?」
「なんで照、こんなところにいるの?」
「それはこっちのセリフだよ。こんなところでうずくまってどうしたの?それに、そんなぐちゃぐちゃの顔で…なにがあったの?」
「えっ、あ、なんでもない」
「なんでも無いわけないでしょ?こっち来て」
照はそう言って、俺の腕を引いて抱き寄せた。
「ひかる…はなして…っ」
「やだ」
「なんで…っ、ほんとに、だめ…おねがい…」
「なんで嫌なの?」
「…っ」
言葉に詰まる。なんて言ったらいいのかわからない。
唯一分かることは、これ以上照に触れられ続けていたら、気持ちが溢れて口から飛び出してしまいそうということだけだった。
照には、付き合ってる人がいるじゃん。それなのに、俺に優しくなんかしないでよ。
触れられた嬉しさで麻痺した頭じゃ、正常な判断ができなくなってきていて、期待してしまいそうになる。
この気持ちは、死ぬまで俺だけの秘密にしておくつもりなのに。
照の腕の中からなんとか抜け出そうと体をばたつかせていると、ライブの日に感じた時と同じイメージが頭の中に、突然映し出された。
あの時出て行ったのと同じ形、同じ色をした小さな玉が、ふよふよと俺に近付いて来て、俺の背中から中に入り込んで行った。
その光は、俺の心の中で鈍く弱い光を放っていたもう一つの玉と隣り合い漂って、動きを止めた。
その衝撃で、俺の足はまた力を失って、照の体にもたれた。
それは照の支えなしでは立っていられないほどの脱力感で、照は心配するように「大丈夫?」と声を掛けてくれた。俺は息も絶え絶えに「だいじょうぶ…っ」と言うので精一杯だった。
自分の体の異変に戸惑っていると、不意にどこからか声が聞こえてきた。
「いい加減諦めて、照に全部白状しちゃいなよ」
誰だかは分からないけど、やけに聞き馴染みのあるその声が自分のものと瓜二つであると気付くまでに、そう時間はかからなかった。
照の様子を見るに、多分、この声は俺にしか聞こえていないんだろうこともわかった。
俺は、頭の中に映し出され続けるイメージに向かって、心の中で声を発した。
「誰?」
「俺はお前、お前は俺。今見えてるでしょ?その二つの光のうちの一つが俺で、もう一つがお前の臆病で意地っ張りな心。俺たちはお前の中で生まれて、二つに分かれたの」
「よくわかんないんだけど…確かに丸い玉みたいなのは、今頭の中で見えてるけど…。」
「説明したって伝わんないもん。とにかく、今、久々にお前のところに帰って来た俺に、なんか言うことないの?自分の大事な気持ちが帰ってきたら、なんて言うんだっけ?舘さんになんて言われたよ?」
あったかい手で、俺の膝を摩ってくれたあの日の舘さんの言葉を記憶の中から掘り起こす。
ーー出て行ってしまった気持ちが、自分にとって大切なものなら、ちゃんと“おかえり“って言ってあげてね。
「…えっと…おかえり……?」
「うん。ただいま!お前が俺を受け入れてくれるの、ずっと待ってたよ」
俺の心の中でコロコロと小さく動いていた二つの玉は、キラキラと光り、 俺の体の中に溶け込んでいって、俺たちは一つになった。
忘れていた気持ちが体の中に満ちていくようで、ただ盲目に、ひたむきに照だけを明るい気持ちで見つめていた頃の懐かしい感覚が蘇ってくる。
ーーあぁ、こんな気持ちだったな。本当におかえり。お前が帰ってきてくれてよかった。
今なら伝えられるような気がした。
今日、俺に告白してくれた人みたいに、言えないまま終わりになんてしないように。
俺は足に力が入るようになったのを確かめて、少し口を引き結んでから、大きく息を吸った。
「ひかる」
「ん?」
「俺ね、ずっと、ずっと、照が好きだったよ。照だけが好き、照しか見えなかった。他の誰でもない。照と一緒にいたい。」
「ふっか…」
「でも、照には大事な恋人がいることも分かってるから、せめて、気持ちだけ伝えさせて欲しかったんだ。」
「…え?え?」
「ごめん、困るよね。すぐに忘れられるかわかんないけど、明日からもせめて、仕事上では「夫婦」でいてくれたら嬉しい…」
止まらなかった。長年溜め込んだ気持ちは大きなダムが決壊したようで、尽きることなく言葉が溢れ出していく。照からはずっと困惑しているような声がする。
困らせていることは百も承知だ。それでも、こんなタイミング、きっとこの先一生来ない気がしたから、全部言ってしまいたかった。
言いたいことを全て吐き出した後、少しの沈黙が生まれる。
リンリンと秋の虫が奏でる綺麗な音だけが夜空に響く。
照は俺を抱き締めたまま、悩ましいため息を吐いて俺の名前を呼んだ。
「…ふっか。」
「…なに?」
「なんか勘違いしてない?俺、誰とも付き合ってないんだけど」
「…え?」
「…ん?」
「え、いやいやいや!だって、昨日女優さんとハグしてたじゃん!!」
「あれは、女優さんが転びそうになってたのを支えただけだよ。ていうか、ふっかそれ見てたの!?」
「たまたま見かけただけだし!ストーカーしてたわけじゃねぇよ!!」
「別にそこは疑ってないよ!!」
「…じゃあ、照、誰とも付き合ってないの?」
「うん」
「そっか…。じゃあ、もう少し好きなままでいてもいい?照に迷惑はかけないようにするから…。」
「もう少しっていうか、ずっと好きなままでいてくれると嬉しいんだけど。それに迷惑とか思わないし」
「どういう意味?」
「俺も、好きだから。ふっかのこと」
「…はぇ?」
「今日気付いたんだ。ふっかを誰にも渡したくないって。遅くなってごめん。だから、もう消えたりしないで。ずっと俺のそばにいて」
「…ほんとに?ほんとにいいの?」
「何回も言ってあげようか?俺も、ふっかが好きだよ」
「っ、もうだいじょうぶ…。どうしよう…すんごい嬉しい…。夢みたい……っぷしゅぁ!」
「いひひっ、寒いね。帰ろう?」
「うん…っ」
照は俺の手を引いて、歩き出した。
照がどこに向かっているのかなんとなく見当はつくけど、想いが通じ合ったその日に俺が上がってもいいところなのかと、漠然とした不安と吐きそうなくらいの緊張で、繋いだ手が汗ばむ。
恥ずかしくて手を離して欲しいと頼んだけれど、照は「やだ。もう絶対離さない」の一点張りで、俺は大人しくびちょびちょの手を照に預ける他無かった。
「ふぅ、ただいまー」
「おじゃましまーす」
「ふっか、「おかえり」がいい。それと、ここに来てくれた時は「ただいま」って言って欲しい」
なにそれかわいい。
幼女みたいな可愛い照の要求に、俺の心臓はぎゅうぎゅうと鷲掴みにされたような気分だった。
「おかえり?」
「うん、やっぱり、この家にはふっかがいてくれないと落ち着かない」
「なんの話?俺、照の家来るの初めてだけど…?」
「いひっ、なんでもない!」
昨日のそれスノの収録後から顔を合わせていなかった岩本は、今日一日中深澤のそばから離れなかった。ついに身を結んだのか?と、宮舘はその様子を一人眺めていると、 ふと、宮舘は二人の小さな変化に気付く。
それは、宮舘にしか分からない、常人の目には見えない小さな変化。
ここ数ヶ月、岩本の体にぴったりとくっ付いて離れなかった存在が消えている。少しの痕跡もなく綺麗さっぱり居なくなってしまっている。言葉通り、憑き物が落ちたような、といった様子だった。
また、この数ヶ月間、深澤の心の中に一つしかなかった小さな光が、二つに戻っている。先日のドームライブの日、深澤が自分の気持ちを拒否してしまったことで欠けてしまったものが、あるべき場所に帰ってきている。魂が本来の棲家へ返還されたと言うべきであろうか。
そんな二人の状態に、宮舘はほっと胸を撫で下ろすと、深澤の体から小さな光とともに、幽かに揺れる人影がすっと出てきて、宮舘のそばへ近付いていった。
特に驚いた様子も見せず、宮舘はその青白い人影に声を掛けた。
「これで君も幸せになれるのかな?」
「うん、一度はあいつにほっぽり出されちゃったけど、また受け入れてくれたから、これからはあいつの中で照と一緒にいられる。すげぇ幸せ」
「君は優しいね。君自身が照に触れられるわけじゃないのに。」
「俺はあいつで、あいつは俺だから。触れる感触とか、生まれた時からずっと実体がなくてよく分かんないし、それに、俺は心で照に触れられるから、それでいーの」
「そっか。見た感じ、ふっかの体の中と外と、自由に行き来できるようになったみたいだね。いつでも遊びにおいで、話し相手くらいにならなれるから」
「やった、嬉しい。やっぱ舘さんはすごいね」
「そんなことないよ。俺は何もしてないし、人とちょっと違うことができるってだけ」
「それでもありがとう。あの時舘さんが教えてくれてなかったら、あいつおかえりって言ってくれなかっただろうし、今頃行く宛てもなく粒の状態のまま彷徨っていつか消えてたと思うもん。舘さんは命の恩人!」
「君はふっかで、ふっかは君なんでしょ?なら、大切な人を助けたいと思うのは当然のことだし、気にしないで」
「舘さんはいつもかっこいいねぇ。あ、そろそろ帰るみたい。じゃあまたね!舘さん!」
「うん、またね」
青白い人影は、また光の粒になって、深澤の背中から体の中へ入って行った。
深澤の体に影響は無さそうだ。
恐らく、深澤の気持ちが安定したことで拠り所の形も固まったためだろうと宮舘は見立てて、二人が部屋を出ていくのを後ろから見送った。
先程まで、自信なさげに岩本と手を繋ぎたそうに挙動不審な動作をしていた深澤だったが、小さな光が体に溶け込むと、ほんの少し表情が明るくなった。
深澤自身の岩本への気持ちに少しの迷いも見せず、自分から岩本の手に触れて、解けないように絡めていた。
その様子に宮舘は、一人静かに笑みを溢したのだった。
「ふふっ、なんだ、ちゃんと生き霊くんも自己主張してるじゃん」
ふっかと手を繋ぎながら、俺は家に帰る道を歩いていく。
「ふっか、今日帰ったら何する?」
「んー、なんだろ。あ、テレビ一緒に見ようよ!今日録画しといた番組、照がすっごい良い顔するの!」
「ふひひっ、だからいちいち言わなくていいってば」
月夜に輝く姿を最後に跡形もなく消えてしまったあいつは、まだ俺のところには帰ってこない。それでも、俺の目の前で笑うふっかに、時々懐かしさみたいなものを感じることがある。
そう思う度に、愚直で、一生懸命で、俺が好きだって、全身で伝えてくれたあいつが、今もふっかの中で生きているような、そんな気がするんだ。
不思議な夏の夜が、俺に思いがけない体験を与えてくれた。
茹だるような暑ささえ凍らせる程の恐怖は、俺とかけがえのない大切な人とを巡り逢わせてくれた。
愛しい人と心も体も触れ合わせることができる幸せを感じながら、俺はふっかの手を強く握り直して家路を急いだ。
おわり