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Side 黒
1杯目のジントニックを飲み干して、俺はバーテンダーを見上げる。
「…すいません、マスター」
はい、と答えてすぐに目の前にやってくる。
「ちょっときつめのお酒を飲んでみたいんですけど、何かおすすめはありますか?」
思案するような仕草を見せた彼は、少しの後「かしこまりました。どんな味がお好みですか」と訊いてくる。
「爽やかなやつ、かな。フルーティーな」
あまりお酒の味がするのは苦手だった。どちらかというとジュースのようなものがいい。
マスターはあっとつぶやいて、ニコリと笑う。
「この間、新しく考えたカクテルをお作りしましょうか。レモンを使った、甘酸っぱいお味です」
美味しそう、と思った。「お願いします」
ふと、店内に流れているジャズの曲が変わった。アルトサックスの洒落た音色が響く。
「…アルコールが強いと、やっぱ眠れるんですか?」
個人差ですよ、とあくまで正当な答えが返ってきた。「僕の場合は関係ないんですけどね」
最初のうちは、眠れないときでもビールを少し飲んだら寝られた。でも段々時間が遅くなっていき、もはや意味はないのかもしれないと思うようになった。
こんなの、ダメだってわかってるのに。
「俺、不眠なんです」
知らず知らずのうちに言葉が出ていた。
「だからいっつもこうして夜に外に出てて。行き先も決めずに、朝になったら帰って。仕事もバイトしかできてなくて…」
すると、マスターが出来上がったカクテルを出してくれた。透明感のある薄い黄色のドリンクが、暖色の明かりの下きらきらと輝いている。
一口飲むと、甘酸っぱさがじんわりと広がっていく。
「ご一緒してもよろしいでしょうか」
「ぜひ」と俺は笑う。一緒に飲んでくれる人がいるなんて、久方ぶりだった。マスターは黒ビールを作って、美味しそうに傾ける。
「僕は、逆に昼間に眠っちゃうんですよ」
彼が言って、俺は驚く。
「過眠症っていうので、意思に関係なく眠気が襲ってきて眠っちゃう。嫌なものです。だから、わざと自分で昼夜逆転させてるんです」
俺とまるっきり逆だ。俺は寝たくても寝られないのに、彼は寝たくなくても寝てしまうというのか。
でも、それも辛そうだと思った。昼は仕事にならないだろう。
「…なんか、似てますね。俺とマスター」
「そうですね」
その優しい声に、俺は思わず顔を上げてマスターを見る。ぱっちりとしてほんの少し中性的なその目に、笑みを浮かべる。
――あなたなら、俺の居場所を作ってくれますか。
夜の孤独を、わかってくれますか。
「…美味しいです、このカクテル。ちょうど飲みたかった味で。俺これ好きだな」
目線が合ってしまったことをごまかすようにグラスを掲げてみれば、「恐縮です」と慇懃な一言。
それから、照れたような微笑みをこぼして胸元の蝶ネクタイを直した。