ただいまも言わずに帰ってきた“るか”は、いつもみたいに目を合わせないで、リビングを素通りしていった。
別にそれが珍しいことじゃないのに、
今日の背中はなんか、ちょっとだけ固い感じがした。
ソファで寝転がってたふりをしながら、
俺はテレビの音なんてほぼ聞いてなかった。
(なんかあったのか、今日)
たぶん、聞いても「別に」って言われる。
それでも何となく言葉を探して――
「今日、なんかあった?」
俺がそう言うと、案の定、
「……別に」
静かな声が返ってきた。
やっぱりな、と思いながらも、
その“別に”の間にあった、わずかな間(ま)みたいなものが気になった。
⸻
冷蔵庫から何か取って戻ってきた彼女が、
ソファの端にそっと腰を下ろす。
その距離は、近すぎず、遠すぎず。
絶妙なライン。
彼女のスマホをいじる指が止まるタイミングで、
ふと、こっちを見た気がしたけど、気のせいかもしれない。
⸻
「麦茶飲む?」
いつもは返事すらされないのに、今日は
「いらない」
ってすぐに返ってきた。
だけど、それがなんとなく――
“欲しくない”って意味じゃない気がして。
何も言わずに、コップに注いでテーブルに置いてみた。
あいつは何も言わなかったけど、
しばらくしてから、麦茶がほんの少し減ってるのに気づいた。
(あー……ちゃんと飲んでるじゃん)
どうでもいい顔して、ちょっとだけ喉が鳴ってた。
それだけで、少し安心した。
⸻
言葉じゃわからないことばかりで、
でも沈黙の中の空気で伝わることもある。
あいつの“別に”の裏には、
たぶん毎日、いろんなことが詰まってる。
でも俺に見せるのは、まだほんの一部だけ。
(……まあ、今日はそれでいいか)
夜が少しずつ深くなっていく中、
いつか全部がわかる日が来るのか――そんなことを少しだけ考えた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!