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ワンクッション
翌日の早朝のことだった。
ヒステリックな女性の悲鳴と、怒声混じりの男達の声で、グルッペンは目を覚ました。
「……何事だ?」
グルッペンは枕元のメガネを手探りで探し、装着した。アジア人男性はこの騒ぎでもまだ寝ていたが、エーミールはすでにティピーテントの出入口のめくり、外の様子を覗いていた。
「何があったんだ?エーミール」
「わかりません。が、あの夫婦の夫が倒れていて、血だらけの奥方が部族の皆に、何やら責められているようですね」
「……行ってみるか?」
「いえ、私は……。……そうですね、行きましょう」
険しい表情を浮かべ珍しく逡巡した様子を見せたエーミールに、ただ事ではない何かを感じたグルッペンは、エーミールの肩を軽く叩いた。
「無理するな。私だけで行ってくる」
「いえ……。私も行きます」
若干青い顔をしているエーミールではあったが、グルッペンに付いて行き、騒ぎの渦中へと向かった。
「何があったんだ?」
グルッペンは、比較的大人しそうな部族の青年を捕まえ、事情を尋ねる。
「この女が、スーを殺した!」
青年が指差した場所には、首を掻き切られた馬と、頭がカチ割られた男性の死体が転がっていた。
「違う!私は何もしていない!」
悲痛な声で、女が叫ぶ。
「スーの血を浴びてた上に、ナイフまで持っていたクセに!バレバレのウソをつくなッ!」
「おおかた、お前の夫がスーに蹴り殺されたから、お前らのことを嫌っていたスーを殺したんだろう!!」
「私はやってない!何かの間違いよッ!それより、この馬こそ、私の夫を蹴り殺したんじゃないのよッ!」
「不用意に馬の後ろに来る方が悪い!」
言い合いを続ける部族の人々と女を尻目に、グルッペンはそれとなく視線をエーミールに向けた。エーミールは呆然とした様子で、可愛がっていた馬の亡骸を見つめていた。
「警察と…弁護士を呼んでちょうだい!私は無実なのよッ?!」
「ここは我々の自治区だ。連邦国憲法は通じない。話し合いの結果次第では、お前もスーと同じ苦しみを与える」
「私は!していない!」
女の声が更にヒステリーさを増して甲高くなるが、部族の男達は冷ややかな目で女を睨んだ。
「……エーミール、大丈夫か?」
「……はい」
悲痛な面持ちで愛馬の亡骸を見つめているエーミールではあったが、グルッペンは何故かエーミールに違和感を感じていた。
恐らく騒ぎがあった頃から、エーミールはスーが殺されていた事に気付いていたはずだ。グルッペンが声をかけるまで微動だにしなかったエーミールが、スーの死体を間近で見て呆然とする理由はわかる。だが、それはあまりにも、型通りすぎていたのだ。
可愛がっていたスーが死んでいるのを知ったなら、グルッペンが声をかけるより早くスーの元に駆け寄っていてもおかしくない。
何故エーミールはそうしなかったか。
何故グルッペンが声をかけるのを待っていたか。
グルッペンは目の前を走っていた部族の青年を声をかけた。
「こんな時に申し訳ないが、シャワーを使わせてもらいたい。構わんかね?」
「……ここは水は貴重品だ。定時以外で浴びたいなら別料金だ」
「いいとも」
そう言うとグルッペンは、ポケットからドル札を数枚取り出し、青年に渡した。青年は黙ってシャワールームを指差した。
グルッペンがシャワールームに向かう後ろ姿を、エーミールは睨み付けるように見つめていた。
シャワールームに入ると、グルッペンは舐め回すように床を見つめた。
シャワールームは、基本的に決まった時間しか使えない。最後に使われてから、半日以上は経っているはずだ。
なのに床は、使われてからそれほど時間が経っていないほどに濡れていた。しかもよくよく見れば、赤黒い液体も流されずに混じっていた。
「……やはりな」
グルッペンは満足そうに笑うと、わずかに残っていた血糊をきれいに洗い流しただけで、シャワールームを出た。
シャワールームの扉を開けると、そこにはエーミールが待ち構えていた。
「お探しのモノは、見つかりましたか?」
相変わらずの丁寧な物腰と口調。だが、グルッペンを見つめるその目は、射殺さんばかりに殺意を露にしていた。
「ああ。急ぐのはわかるが、もう少し丁寧に仕事をした方がいい」
「……それは失礼」
その場を立ち去ろうとしたエーミールを、グルッペンは顎を下から掴み上げて、行く手を阻んだ。
「キミと二人きりで、じっくり話がしたい。少し遠くに行こう」
「……いいでしょう」
エーミールは憎悪の籠った眼差しでグルッペンを睨み付け、誘いに応じた。
「別に昨夜のような真似をするつもりはないよ。またジュードーだかカンフーだかの技を喰らうのは、ゴメンだ」
グルッペンは笑ってそう言うと、キャンプから少し離れた低木に足を向け、エーミールは黙ってグルッペンに従った。
ここまで離れれば、余程の大声を上げない限り、キャンプ場まで声は届かないだろうという場所でグルッペンは立ち止まり、エーミールの方へと振り向く。
「で?」
エーミールが先に口を開いた。
「今から憶測たっぷりの妄言を吐く。あくまでも妄想だ。答え合わせを頼む」
「……いいでしょう。どうぞ」
エーミールの氷のような冷たい視線を受けながらも、グルッペンは襟元を正し、背筋をピンと張って話を始めた。
「どこから話したものか…。そうだな。まず、ある夫婦の旦那とEという男は、ある密取引を行っていた。しかしうまく折り合いがつかなかったため、他言を恐れたEは旦那を殺すことにした。下手人はEが可愛がっていた愛馬だ。うまいこと旦那を馬の後ろに連れてきたEは、馬を驚かせ旦那を蹴らせた。無事、旦那死亡。だが、それだけでは終らせることは、できない。奥方の方も『処分』する必要があったから。Eはまだ酩酊状態の奥方を現場に連れてきて、馬の喉首を掻き切って、ナイフを奥方に握らせる。。奥方がやったように見せかけてね。騒ぎを聞き付けた部族の連中をこっそりやり過ごし、Eはシャワーを浴びて血糊を落としてテントに戻った」
「とりあえず、私の妄想は、こんなものだな」
「素晴らしい!」
エーミールは大きな拍手をもって、グルッペンの演説を褒め称えた。
「かのホームズやポワロもかくや、という名推理でしたよ、グルッペン!」
「ただ、惜しむらくは、奥方に罪を着せる動機の弱さですね。馬を犠牲にしてまであの女を生かすくらいなら、同じように馬に蹴らせて処分した方が、いいとは思いませんか?」
「妄想の域を出ない、と言ったろう?だが、強いて推測するなら…。彼女には汚名を着せてでも、しばらくは生きてもらわないと困る。とかはどうだい?」
「……惜しいところまで来ましたが、まあいいでしょう。所詮は、我々素人の、推理まがいの妄言に過ぎない。違いますか?」
「ははっ。まあ、いいだろう。先生におまけで及第点もいただけたしな」
グルッペンがそう言うと、エーミールは口角を上げて笑って話を続ける。
「彼らは自分達で、この件を裁こうとしていますが…。彼等に今の話を伝えますか?それとも、州警察に連絡しますか?」
「……いいや。どちらもないな。何せ証拠は何一つない。どんな優秀な検事でも、立件すらできんだろう」
グルッペンは数歩足を進めると、エーミールの前に立ち止まり、顎を指で持ち上げた。
「そうだろう?エーミール」
愉悦の表情を浮かべてエーミールに顔を近付けてくるグルッペンに、エーミールは鼻で笑いグルッペンの手を払いのけた。
「両手が後ろに回ったほうが、ずっとマシですね」
「手厳しいな、キミは」
グルッペンは苦い笑いを浮かべ、叩かれた手を大袈裟にさすってみせた。
「もとより、キミ以外の相手に、今の話をするつもりはないさ。私の妄想が面白かったかどうか、採点して欲しかっただけなんだ」
「まあ、妄想としては、面白かったですよ。向こうも方向性が決まったみたいですし、私たちも戻りましょう」
エーミールは部族の人々が騒いでいる方を指さし、のんびりとそちらに向かって足を進めた。グルッペンもまた、肩をすくめて苦笑を浮かべると、エーミールの後に続いた。
部族の自治区での出来事とはいえ、外部の客人が死んでしまった以上は、彼等の掟がどうあれ州警察に連絡せねばならない。
ツアーコンダクターも含めた話し合いで、方向性はそう固まったようで、ツアー会社の社員の一人が、車で最寄りの町へと報せに行った。
こうなってしまった以上は、この後のツアーは続けられない。状況を理解しているグルッペンとエーミール以外のツアー参加者達は、猛抗議をしだし、あちこちで罵声や怒声が飛び交った。
「……騒ぎが大きくなりすぎたな。結局、警察も介入してくる」
「ま、当然の成り行きですね」
エーミールはスーの亡骸のたてがみを名残惜しそうに撫でながら、グルッペンに言葉を返す。
「買い付けた『商品』は、どうするつもりだ?警察が介入する以上は、持って帰るのは難しいぞ?」
「そこも含めて、想定済みですよ」
エーミールとグルッペンがそんな会話していると、背後から部族の青年がエーミールに話しかけてきた。
「旦那。スーを精霊の国に送り返す儀式をする。来るか?」
「部族でない私が参加して、良いのですか?」
「もちろん。旦那はスーを愛してくれたからな。旦那に送ってもらえれば、スーも喜ぶ」
「それは嬉しい申し出です。是非とも参加させてください」
「そっちの旦那も、来るかい?」
青年は、グルッペンにも声をかけた。
「私もいいのかい?」
「ああ。旦那も、スーを可愛がってくれたからな」
「ありがたい。是非ともご一緒させてもらうよ」
二人の言葉に満足した青年は、他の部族の仲間に声をかけると、数人がかりでスーを持ち上げ、柵の外へと運び出した。
【続く】