長い長い夢を見ているような気分でした。いやむしろこれが質の悪い夢であったなら、すぐに目を覚ましてお母様の胸に飛び込んで甘えて、目一杯レイミを愛でるのですが……現実は厳しいものですね。
ふと目覚めると知らない質素な天井がまず視界に映りました。頭を動かしてそっと周囲を見渡すと本棚、小さなテーブル、椅子、暖炉があるだけの質素なお部屋でした。窓から陽が差しているため夜は明けているようですが、さてここはどこでしょう?
「っ…!?痛っ…!!」
更に周囲を見渡そうと身体を動かそうとした瞬間身体中からこれまで経験したことのない…あっ嘘つきました。お母様の扱きに比べれば幾分マシな痛みが走りました。
そっと布団から手を出してみると包帯が巻かれており、体を見てみてもあちこちに清潔な包帯が巻かれているのが確認できました。どうやらあの悪夢は悪夢ではなく現実なのでしょう。
ふむ……現実味がないからでしょうか。不思議と悲しい気持ちになりません。いや悲しいですよ?不安ですよ?でも不思議と涙が出てきません。確かに私は感情が希薄である自覚はあります。赤ん坊の頃から静かすぎて喜怒哀楽が欠落しているのではと両親に随分と心配されたそうです。まあ、レイミが生まれた瞬間その心配は杞憂に終わりましたが。
それでもこれは…私は自分が思っているより薄情な人間だったのでしょうか。悲しくなります。ふて寝しましょうか。
「目が覚めましたか。思ったより元気そうで何よりです」
そんなことを考えていると女性の声が聞こえました。その方向に視線を向けると開け放たれた木製の扉がまず目につき、そこに修道衣を纏った美しい銀髪の女性が立っていました。
何より目に付くのはその神聖な服の下から激しく自己主張する双丘…いやツインマウンテン。ううむ、ナイスおっぱい。お母様以上ですね。びゅーてぃふぉー。
「どこを見ているのですか。」
残念、隠されてしまいました。しかしジト目でちょっと頬を赤くしながら胸を隠すその仕草。天然でしょうか?私に付いていないことが悔やまれます。ふぁっく。
それはそれとして。
「助けていただいたようですね、貴女様に心から感謝を。私はシャーリィ=アーキハクトと申します。えっと…貴女はシスター…?」
「カテリナです。シスターカテリナ。」
シスターはその容姿にあった静かで美しい声で私の質問に答えてくださいました。うん、コミュニケーションは成り立ちました。つまりここは帝国領内。まあ、当たり前ですが。では先ずは何より聞きたかったことを聞いてみないと。
「ではシスター、ここはどこでしょう?それに私は何日眠っていましたか?」
「その前にいいですか?」
「はい?」
質問に質問で返されてしまいましたが、相手は命の恩人です。先ずはこちらが答えられるとこは答えないと。誠意は大事です。東方の蛮族の言葉でしたが。
「アーキハクトは本名ですか?」
「はい、そうですが。私は伯爵家の長女です」
「はぁああああっ…」
私が正直に答えるとシスターはため息を吐きながら天を仰ぎました。はて、礼儀に反するような真似をしましたでしょうか?いや、所詮は本から知識を得ただけの箱入り娘。知らず知らずのうちに礼儀に反することをしてしまったのかもしれません。早急に謝罪しなければ。そう思った矢先、シスターは口を開きました。
「今一番帝国でホットな話題ですよ。アーキハクト伯爵家が賊に襲われ皆殺しにされたと。まさかその当事者を…生き残りを拾ってしまった自分の気紛れを殴りたいですよ」
ため息交じりにシスターがそう教えてくれました。やっぱり…現実でしたか。うーむ…では情報を集めますか。
「まさしく当事者ですが、あれから何日経ちましたか?下手人などは?」
「あれから一週間ですよ。下手人については不明のまま。まあ、そこらのゴロツキに出来るようなことではありません。貴族の大好きな権力闘争の結果だと予測されていますよ」
なるほど、確かにお父様やお母様を疎ましく思う方も大勢いたと聞きますし…あり得る話ですね。それに下手人は不明ですか…つまりまだ捕まっていないと。なるほどなるほど。
「ひとつ聞いても?シャーリィお嬢様」
「シャーリィでいいですよ、シスター。なにか?」
「ではシャーリィ、はっきり言います。あなたはすべて失ってしまいました。ですが年相応に取り乱したり泣きわめくこともしない。それどころか……なぜ笑っているんですか?」
シスターに指摘されて私は自分の顔に触れ、テーブルに置かれている鏡を見ました。そこには顔に触れながら笑っている自分が映っていました。ふむ……うーん…我ながら不思議で奇妙なものですが…なるほど…私は喜んでいる…?そっか…嬉しいんだ。この手で復讐できる可能性がまだあるのだから。
「心の病…壊れたか?あり得ることですね。無理もありません。どうしますか?政府に助けを求めるなら…まあ、手を貸しますよ?」
政府に助けを求める?あり得ない。現政権はお父様の統治法を否定して批判していました。むしろ黒幕である可能性すらあります。そんなところに助けを求める…?そんな自殺願望はありませんね。復讐できずに消されるなんてまっぴらごめんです。
「シスター、先ほどの質問を繰り返します。ここはどこですか…?」
「港町シェルドハーフェンです。聞いたことはありませんか?」
「帝国で最も治安の悪い暗黒街でしたっけ。お母様から聞いたことがあります」
「ならどんな場所かわかりますね?」
「ええ、好都合です。シスター、お願いがあります。私をここに置いてくれませんか?」
「は?」
シスターは私のお願いを聞いて唖然とされていました。まあ、無理もありません。ですが暗黒街ならば表では出回らない情報を集めるのに最適ですし、なにより政府の影響力が少ない。身を隠すにはうってつけなんです。
「助けていただいて厚かましいことは重々承知しています。ですがなんでもやります。置いてくれませんか?」
「……私はシャーリィの正気を疑っていますよ。暗黒街ですよ?帝国の暗部がごった煮みたいになっている場所です。そこに残りたい?貴族のお嬢様が?」
「正気を疑われることでしょうか?私としてはちゃんと考えて発言しているつもりですが。何かと都合が良いと私は考えていますよ?」
「本気で言っているのですか?これ以上の厄介事は避けたいのですが……今更追い出すのも目覚めが悪いので、傷が治るまでは置いてあげます。それから選んでください。ただし、動けるようになったら働いてもらいますよ。手始めに家事をしてもらいます。まあ、お嬢様に家事ができるとは思いませんが。弱音を吐いたら叩き出しますからね」
シスターは少し考えて私を置いてくれることにしてくれました。なにかお考えがあるみたいですが…まあ構いません。私はこの環境を最大限に利用するだけです。なんで地下通路が暗黒街に繋がっていたのか不明ですが…好都合なので今は気にしません。それに家事ができないですか…。先入観、あながち間違いではありませんよ。普通ならね。
「ありがとうございます、シスター。お役に立てるように頑張りますね」
私はシスターに薄く笑みを浮かべるのだった。
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