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「リアン。すまないが、食事はまだちょっと待っていられるか?」
前のめりになりながら口から涎を垂らし、尻尾を振っていたリアンに『待て』と言う。途端に瞳をウルッとさせて悲しそうな顔をしたリアンの頭を優しく撫でると、僕とルスは二人で玄関まで足を向けた。
「どちら様ですか?」
誰が来ているのかはもう『頼もう!』の一声からわかっているはずなのだが、それでも一応確認をするくらいの警戒心を意外にもルスは持っていたみたいだ。小さな弟と二人暮らしをしているからだろうな。彼女が一人暮らしだったら、何の確認もせずに扉を開けていそうだけれども。
「昨日、山猫亭で会ったシュバルツだ。早速隣の部屋に引っ越して来たから、是非その挨拶をと思ってな」
顔を向かい合わせて、『成る程』と頷き合う。彼はまだ単身でありながら、将来を見越して本当にファミリー向けの部屋を借りたみたいだ。だが本当に複数の嫁を娶る気ならそれでも全然部屋が足りないだろうから、まずはルスとマリアンヌの側で暮らしておこうという魂胆も多少はあるのかもしれない。当初の予定通り、ただ此処が多くのギルドから一番近い賃貸物件であるというだけの理由のままかもしれないが。
「今開けるね」と返事をしてルスが玄関を開ける。するとそこには、顔が隠れて見えなくなる程に大きな花束を持ったシュバルツが立っていた。
「驚いたかい?ルス、君への贈り物だぞ!」
赤や白い薔薇などをふんだんにあしらった花束の横からひょいっと顔を出し、次の瞬間にはルスの方へその花束を差し出してくる。驚いた顔をして骨髄反射的にそれを受け取ろうとするルスの手よりも先に「そりゃどうも」と不機嫌な声で答えながら僕が花束を受け取ると、お次は即座に扉を閉めようと手を伸ばした。
「待って!君にあげたわけじゃないよ⁉︎」
「知ってる。——じゃあな」
この度の憑依先であるルスのおかげで得た長い腕を有効に使い、扉の端を掴んでそのまま閉めようとすると、シュバルツがその身を犠牲にして挟まってくる。「うぐおっ!」と、何か巨大な物に踏みつけられた時みたいな声をあげても尚逃げようとしないでそのままでいる根性は認めてやろう。
「引越しの挨拶は済んだし、花も受け取った。もう用事は無いだろ?」
心底嫌そうな表情を隠す事なくそう告げると、「いやいやいや、用件ならまだあるぞ?」とシュバルツは体を扉に挟まれながらも無駄に誇らしげな顔をこちらに向けた。
「ボクも、朝食のご相伴にあずかろうと思って!」
ドヤ顔で言う事か?と思ったので、更に力を入れてそのまま扉を閉めようとする。するとシュバルツの骨が軋む音と共に「いたたたたたたたぁ!」と彼は大きな声を上げた。
「スキア、流石にそこまでで」
ルスに宥められ、無念に思いながらも力を緩める。するとシュバルツは嬉しそうに笑って、「助けてくれてありがとう。流石はボクの嫁候補だな」と言いながら彼女の胸の方へ抱きついてきた。直ぐにシュバルツの首根っこを掴み、引き剥がす。そのままの流れで外に捨ててしまいたかったのだが、それだとルスに注意される気がしたので止めてやった。
「朝食を一緒には別に問題ないけど、椅子の予備が無いから、自分の部屋から椅子を持って来てくれるのならいいよ。——ね?スキア」
「…… わかった」
少しでもルスの機嫌を取ろうと同意する。既に断ってはいるが、初対面で急に求婚してきた相手なのに、よくまぁ図太くて非常識な要求をあっさり受け入れられるものだと内心呆れながら。
「わふぅ!わうんっ」
散々待った後だからか、リアンが興奮気味に声を上げながら尻尾を振りつつ朝食を食べている。“ルス補正”があろうがなかろうが、今はまだ癒されるサイズであるフェンリルが嬉しそうに肉に食らいつく姿は僕ですら見ていて和む。だが、二人用の狭いテーブルに割り込んできているシュバルツの存在は別だ。よく食べるリアンの為にもと朝食量はそこそこあるとはいえ、無遠慮に次々と人様の家の朝食を平らげていくその根性には苛立ちを覚えた。
「粗食だが、美味いな!」
「…… そりゃ、どうも」
「ん?もしかして君が作ったのか?」
「あぁ。ルスに作らせると、素材の味しかしない物が並ぶからな」
昨日の、料理とも言えないような朝食と比べると相当まともなメニューを並べたのに、粗食扱いは正直腹が立つ。だがそれをコイツは知らんのだから仕方ないか。それに食事の所作から察するに、シュバルツは育ちの良いお坊ちゃんだろうから、肥えた舌では心から満足いくものではなかったのだろう。
「これなら毎日食べられそうだ。——そうだ!スキアとかいったよな、僕の三番目の嫁にならないか?」
「…… は?」
赤い瞳をキラキラと輝かせながらシュバルツが意味不明な発言をしやがった。昨日の初対面時にはルスに、数十分後にはマリアンヌを二人目の嫁にしたいとのたまわっていた奴が、今日は僕にまでプロポーズとか。
(コイツは馬鹿なのか?気が多過ぎにも程があるだろ)
深く溜め息を吐き出し、前髪をくしゃっと掻きむしる。ハッキリ断ったとしてもきっとシュバルツは諦めないだろう。だって、昨日のルスがそうだったから。だからって面倒くさいなとなあなあにしてルスに誤解を与えたくは無い。
「僕はルスの夫だからお断りだ。飯を食べたいだけなら山猫亭で食えば良いだろう?住居人向けに格安のモーニングメニューとかがあるんだから」
「あぁ、あるな。でもボクはこの匂いに惹かれて来たんだ、毎日食べるなら断然こっちだ!」
またドヤ顔をされたが、その表情をするタイミングがそもそもおかしい。そしてそういう表情は無駄に振りまかないで頂きたいものだ。
「マリアンヌも嫁にしたいんだろう?なら余計に、山猫亭で食べても良いだろが」
「でも、あの店の料理を作っているのは、彼じゃなくって雇われている調理師達だろう?マリアンヌの手料理じゃないなら、やっぱりこっちの方が魅力的だ」
「素朴な料理が食いたいならそれ専門の奴でも雇え。僕は、“嫁”という名の家政婦になる気は無い」
「ボクだって嫁達をそんなふうに扱う気はないぞ。ただ、ボクは家事といった類をやった経験が無い。まぁ、多分指示を貰いながらの手伝いくらいなら出来るかとは思うが、最初のうちの主導は任せる事になると思う。——すまない!」
テーブルに手をついてシュバルツが僕達に向かって頭を下げる。だが待て、そもそも僕達はお前の嫁じゃないし、既にもう娶る前提で謝るな。
「頭を上げて、シュバルツさん」
「…… ルスッ」
瞳をうるっとさせ、シュバルツが顔を上げる。『ボクの嫁が優しいっ!』と彼の赤い瞳が語っているが、ルスはお前の嫁ではなく僕の嫁だ。
「二人セットであろうがなかろうが、そもそもそちらに嫁ぐ予定は無いから謝罪は不要だよ?」
ニコッと優しい笑顔でシュバルツの希望を全否定した僕の嫁に拍手喝采を。
大方深い意味もなく、本当に言葉通りの発言なのだろうが、その中に少しでも『スキアはワタシのモノである』という気持ちが混じっていたら良いのに…… と一瞬考え、その危険な発想は即座に脳内で爆破しておいた。
それにしても…… 斜め上にはルスの真っ平らな胸にご執心のマリアンヌが。隣の部屋には獣人少女だからという理由でルスに求婚してきただけでなく、素朴な朝食が美味しいという実にくだらないきっかけで僕にまで結婚を申し込んでくるようなシュバルツが住んでいるとか、いくら何でもカオス過ぎないか?
そう思うと僕は、不覚にも段々先行きが不安になってきたのだった。