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70
活動再開の日。
阿部は、いつもより少し早く目を覚ました。
カーテンの隙間から、まだ柔らかい朝の光が差し込んでいる。
隣を見る。
目黒はまだ眠っていた。
阿部はしばらく、その寝顔を眺める。
今日。
九人で仕事に戻る。
何度もレッスンをした。
歌った。
踊った。
もう大丈夫だと思える日も増えた。
それでも。
胸の奥には、少しだけ緊張が残っている。
阿部は天井を見上げた。
「……今日か」
小さく呟く。
すると。
隣で目黒が動いた。
「あべちゃん?」
「起こした?」
「ううん」
目黒は目を開けて。
少しだけ笑う。
「おはよう」
「おはよう」
「今日だね」
阿部は。
一瞬だけ黙った。
それから。
「うん」
と頷く。
目黒が阿部を見る。
「緊張してる?」
以前なら。
大丈夫。
そう答えていたかもしれない。
でも。
今は。
「してる」
阿部は素直に言った。
「ちょっと怖い」
目黒は。
すぐに何かを励ますのではなく。
ただ頷いた。
「俺も緊張してる」
阿部が少し驚く。
「めめも?」
「するよ」
「そうなんだ」
「久しぶりに九人で生放送だから」
目黒は笑う。
「失敗したらどうしようとか普通に思う」
阿部も笑った。
「俺だけじゃないんだ」
「うん」
少し。
胸が軽くなる。
目黒が布団の中で手を差し出す。
阿部は。
その手を見る。
「充電?」
「する?」
「朝から?」
「活動再開の日だから」
阿部は少し笑って。
目黒の腕の中へ入った。
「じゃあ少しだけ」
「うん」
ぎゅっと。
抱きしめられる。
強すぎない。
いつもの力。
阿部も。
目黒の背中へ腕を回した。
「……俺も充電しとく」
目黒が嬉しそうに笑う。
「いっぱいして」
「今日は特別ね」
「毎日特別でいいよ」
「それは重い」
「知ってる」
二人で笑った。
朝食は。
いつもより少しだけ軽めにした。
阿部は自分で量を決める。
パン。
スープ。
少しの果物。
目黒は。
何も言わない。
阿部が食べ終わったところで。
「これくらいでいい?」
とだけ聞く。
「うん」
「分かった」
それで終わり。
阿部は。
少しだけ嬉しかった。
食べられる量を。
自分で決められる。
それを。
目黒も信じてくれている。
「行こっか」
「うん」
支度を終えて。
二人で玄関を出る。
エレベーターへ向かうと。
途中で岩本と深澤に会った。
「おはよ」
岩本が手を上げる。
「おはよう」
深澤は。
まだ少し眠そうだった。
「今日だねえ」
「ふっか緊張してる?」
阿部が聞く。
「してるよ」
「ほんと?」
「するって」
深澤は笑う。
「俺らも人間だから」
そのまま一階へ降りる。
エントランスには。
すでに宮舘と渡辺。
康二とラウール。
少し遅れて。
佐久間が走ってきた。
「待ってー!」
渡辺が時計を見る。
「遅い」
「間に合ってるじゃん!」
「朝から走るなよ」
「今日テンション上がってるんだもん!」
「いつもだろ」
そんなやり取りに。
阿部が笑う。
活動再開の日なのに。
思っていたより。
普通だった。
九人で待ち合わせして。
九人で車へ向かう。
それだけ。
エントランスの管理人が。
深く頭を下げる。
「いってらっしゃいませ」
阿部は。
少しだけ足を止めた。
ここへ引っ越してきてから。
何度も聞いた言葉。
でも今日は。
少しだけ意味が違う気がした。
阿部は笑う。
「行ってきます」
管理人も。
穏やかに笑った。
「お気をつけて」
車の中。
佐久間と康二が。
朝からずっと喋っている。
「今日さ、終わったら何食べる?」
「もう終わった後の話?」
ラウールが笑う。
「大事やろ!」
康二が言う。
「焼肉!」
佐久間が即答する。
渡辺が。
「生放送前に胃もたれしそうな話すんな」
と嫌そうな顔をする。
深澤は。
岩本の肩にもたれて目を閉じている。
宮舘は窓の外を見ている。
目黒は阿部の隣。
誰も。
事件の話はしない。
今日。
戻る。
それだけ。
阿部は窓の外を眺めながら。
少し笑った。
特別な日なのに。
みんなが普通でいてくれる。
それが。
一番ありがたかった。
テレビ局へ着く。
スタッフに案内され。
楽屋へ向かう。
扉を開けると。
壁に。
小さな紙が貼ってあった。
『おかえりなさい』
その下。
スタッフからの短いメッセージ。
『また九人でお仕事できることを楽しみにしていました。』
佐久間が。
「うわ」
と声を上げる。
康二も。
「嬉しいなあ」
と笑う。
阿部は。
少しだけ目を潤ませた。
でも。
泣かなかった。
紙の前で。
小さく頭を下げる。
「ただいま」
誰に聞かせるでもなく。
そう言った。
準備が始まる。
メイク。
衣装。
打ち合わせ。
久しぶりの流れなのに。
身体は。
ちゃんと覚えている。
阿部はメイク中。
ふとスマートフォンを見る。
通知。
たくさん。
今日。
九人が活動を再開することは。
すでに発表されている。
SNS。
ニュース。
ファンの反応。
見ようと思えば。
いくらでも見られる。
阿部の指が。
一度だけ画面へ伸びる。
でも。
止まった。
「……今日は見ない」
自分で呟く。
隣にいた目黒が。
ちらっと見る。
でも。
何も言わない。
阿部はスマートフォンを伏せた。
今日は。
他人が何を言っているかより。
自分が何を感じるかを。
ちゃんと見たい。
衣装へ着替える。
九人が。
鏡の前に並ぶ。
少しの間。
誰も何も言わなかった。
衣装を着て。
髪を整えて。
マイクを付けた。
仕事をする九人。
夢の中でも。
何度も九人を見た。
でも。
これは。
現実。
佐久間が。
鏡を見ながら言う。
「いるね」
深澤が。
少し笑う。
「九人いるね」
阿部が。
鏡を見る。
「うん」
岩本も。
「今度は最初から九人」
と笑った。
阿部は。
少しだけ目を細める。
あの日。
家で聞いた言葉。
今度は。
衣装を着た九人で聞いている。
「行けそう?」
岩本が全員を見る。
それぞれが頷く。
阿部も。
「うん」
と答えた。
生放送が始まった。
オープニング。
出演者紹介。
久しぶりに。
九人が並んでカメラの前に立つ。
歓声が聞こえる。
その瞬間。
阿部の胸が。
強く鳴った。
思っていたより。
大きい。
思っていたより。
身体に響く。
一瞬。
呼吸が浅くなる。
でも。
逃げたいとは思わなかった。
岩本が。
代表して挨拶する。
「今日から、九人で活動を再開します」
短い言葉。
余計な説明はしない。
そして。
岩本が少しだけ全員を見る。
九人で。
声を揃えた。
「ただいま」
スタジオから。
拍手。
歓声。
そして。
どこかから。
「おかえり!」
と聞こえた。
阿部の目が。
一気に潤む。
佐久間も。
もう泣きそうな顔をしている。
康二も。
目を細めて笑っていた。
阿部は。
小さく息を吐いた。
帰ってきた。
そう思った。
トークを終え。
いよいよ。
歌う時間になる。
ステージ袖。
九人が並ぶ。
スタッフが言う。
「五分前です」
急に。
現実味が増した。
阿部の手が。
少し冷たくなる。
胸が。
また速くなる。
昔の日記の言葉が。
頭をよぎった。
『もうアイドルなんてやりたくない。』
あの時。
本当にそう思った。
全部から逃げたかった。
誰にも会いたくなかった。
仕事も。
歌も。
ダンスも。
全部。
嫌になった。
阿部は。
その気持ちを。
否定しなかった。
あの時の自分は。
本当に苦しかった。
だから。
そう思って当然だった。
でも。
今は。
違う。
今の自分は。
ここへ立ちたいと思っている。
阿部は。
隣の目黒を見る。
目黒も。
阿部を見る。
目黒が手を伸ばそうとした。
その前に。
阿部から。
その手を握った。
目黒の目が。
少しだけ大きくなる。
「あべちゃん?」
「めめ」
「うん」
阿部は。
少し笑った。
「行こ」
目黒も。
笑う。
「うん」
今度は。
阿部が先に。
その手を握った。
曲が始まる。
最初の音。
一歩。
もう一歩。
阿部は踊る。
歌う。
身体が。
覚えている。
レッスンの時より。
ずっと大きな場所。
カメラも。
照明も。
歓声もある。
でも。
一人じゃない。
佐久間と目が合う。
笑う。
康二。
ラウール。
渡辺。
宮舘。
深澤。
岩本。
そして。
目黒。
一人ずつ。
ちゃんといる。
最後のサビ。
九人の動きが。
揃う。
阿部の胸が。
熱くなる。
怖い。
でも。
楽しい。
その二つが。
同時にある。
それでいい。
曲が終わる。
大きな拍手。
九人で。
頭を下げた。
阿部は。
顔を上げる。
ちゃんと。
笑っていた。
最後のMC。
阿部にも。
言葉を求められた。
少しだけ迷う。
でも。
長く話す必要はない。
阿部はマイクを持つ。
「待っていてくださって、本当にありがとうございました」
一度。
息を吸う。
「まだ全部が平気になったわけじゃないです」
スタジオが静かになる。
「怖いなって思うこともあります」
「でも」
阿部は。
隣にいる八人を見る。
「また九人でここに立ちたいって思いました」
少し。
声が震える。
「一回、本当に全部やめたいって思った時もありました」
「その気持ちも、嘘じゃないです」
「でも」
阿部は。
少し笑う。
「今日ここにいるのも、俺が決めたことです」
佐久間が。
泣きながら笑っている。
康二も。
目元を拭いている。
目黒は。
何も言わず。
阿部を見ている。
「これからも」
阿部は続ける。
「無理せず」
「ちゃんと九人で」
「また進んでいけたらいいなと思います」
最後に。
深く頭を下げた。
大きな拍手が。
返ってきた。
放送終了後。
楽屋へ戻った瞬間。
佐久間が。
「終わったー!」
と叫んで。
ソファへ倒れ込んだ。
深澤も。
「疲れた……」
と床へ座る。
渡辺は椅子に座って。
「久しぶりの生放送しんど」
と言う。
康二は。
すでに泣いていた。
「なんで康二泣いてるの」
ラウールが笑う。
「ええやん!」
「みんな戻ってきたんやもん!」
宮舘も。
静かに笑っている。
岩本が全員を見る。
「お疲れ」
その一言で。
阿部も。
急に力が抜けた。
笑いながら。
涙が出る。
目黒が隣へ来る。
「どうだった?」
阿部は。
すぐに答えなかった。
少し考える。
「怖かった」
目黒が頷く。
「うん」
「めちゃくちゃ緊張した」
「うん」
「でも」
阿部は笑った。
「楽しかった」
目黒も。
笑う。
「そっか」
「戻ってきてよかった」
その瞬間。
佐久間が。
「俺もー!」
と抱きついてくる。
「重い!」
「俺も!」
康二まで来る。
「ちょっと待って!」
ラウールも笑いながら寄ってくる。
「もう全員行けば?」
深澤が言う。
結局。
九人で。
ぐちゃぐちゃになりながら笑った。
夜。
仕事を終えて。
マンションへ帰ってきた。
管理人が。
いつものように頭を下げる。
「お帰りなさいませ」
阿部は。
今日の朝を思い出す。
「ただいま」
今度は。
迷わず言えた。
目黒と一緒に。
部屋へ戻る。
玄関を開ける。
新しい家。
でも。
もう。
ちゃんと帰ってきたと思える。
「疲れた」
阿部がソファへ座る。
目黒も隣へ座る。
「充電する?」
阿部が笑う。
「今日は俺から」
そのまま。
目黒へ抱きつく。
目黒が少し驚いて。
すぐに抱きしめ返す。
「どうしたの?」
「いっぱい使ったから」
「何を?」
「体力」
少し間。
「あと勇気」
目黒の腕が。
少しだけ強くなる。
「じゃあいっぱい充電しよ」
「うん」
二人で。
しばらくそのままでいる。
その時。
テレレレレッテッテー。
インターホンが鳴った。
阿部が。
目黒の肩から顔を上げる。
「誰?」
モニターを見る。
管理人。
通話ボタンを押す。
「はい」
『オーナー様よりお届け物です』
阿部と目黒が。
顔を見合わせる。
「……魔王」
「だね」
しばらくして。
小さな箱が届いた。
開ける。
中には。
旅行先らしい場所のお土産。
そして。
一枚のメモ。
阿部が読む。
『活動再開おめでとう!』
その下。
『レベル上がったね。魔王より』
阿部は。
しばらく無言で見る。
目黒が聞く。
「どう?」
「……今日だけは」
少し笑う。
「その言い方、合ってるかも」
目黒も笑った。
寝る前。
阿部は。
夢から持ち帰ったノートを開いた。
現実へ戻ってから。
少しずつ増えたページ。
その続きを。
ゆっくり書く。
『九人で仕事に戻った。』
『怖かった。』
少し考える。
『でも、楽しかった。』
そして。
最後。
『また歌いたい。』
阿部は。
その四行を眺めた。
夢の中では。
『怖くないわけじゃない。でも、やりたい。』
そう書いた。
今日。
本当に。
その通りだった。
目黒が後ろから覗く。
「何書いたの?」
阿部はすぐにノートを閉じる。
「内緒」
「また?」
「また」
「ちょっとくらい」
「だめ」
目黒が笑う。
阿部も笑った。
怖さが。
全部なくなったわけではない。
でも。
なくならなくても。
進める。
今日。
ちゃんと分かった。
阿部は。
ノートを枕元へ置く。
目黒の手を取る。
「おやすみ」
「おやすみ、あべちゃん」
明日から。
また。
九人の仕事が始まる。
夢ではなく。
現実で。
自分たちが選んだ。
続きを。
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寺島あおいです🌷 第70話、本当にお疲れさまでした……いや、読んでて自然と涙が出てきました。特にステージ袖で阿部さんが先に目黒さんの手を握るところ、朝のベッドで「充電」を申し出るところ、どちらも心臓がぎゅっとなりました。「怖い」「でも楽しい」が同時にあることを認めて、それでも前に進む選択をする——その描き方が、とても繊細で尊かったです。魔王からのメモも笑顔がこぼれる絶妙なタイミングでした。帰ってきた、という実感が読者にも伝わってきて、この瞬間を追いかけてきてよかったと思えました。明日からの続きも、ゆっくりでいいから九人で進んでいってほしいです。