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しかし、実際に目撃情報がある以上、この山に何かが居るのはたしかだろう。
逆立ち女。
それがどのような怪異か、はたまた迷える魂なのか、今はまだ判断のつけようが無い。
一抹の懸念を抱えたまま、たっぷりと時間をかけて食事を終えた私たちは、ふたたび車中の人となった。
PAを出発して、緩やかなカーブが連続する遊覧道路をしばらく走行する。
見えるものと言えば、濃い青緑の一景のみだったけど、時おり木々の切れ間から、眼下の町並みを眺望することができた。
折しも、真夏のことである。
暮れ残る空の色を、ほのぼのと湛えた山麓の模様は、まるで一幅の絵画を思わせる美しさだった。
その頃には、先ほどの懸念も、いよいよ取り越し苦労になりつつあった。
ハンドルを握る慶子さんの口振りも、元の軽やかさを取り戻している。
結桜ちゃんのお隣をゲットしてご満悦の幼なじみが、締まらない顔でお菓子を熱心に勧めていた。
何しろ、夏の夜に出掛けるのは楽しい。
真冬の夜気は別問題として、春や秋には無い高揚がある。
先頃を思い返すと、夕刻の自宅でいそいそと準備を整え、お迎えを待ちわびる私がいた。
次第に日が暮れ始める時間帯に、外出用の服を着て、空模様をのぞむ。
それだけでもワクワクするのに、本日は“心霊体験ツアー”という薬味まで添えている。
車内の様子を見ると、果たしてそういった心境でいるのは、私だけでない事が容易にうかがい知れる。
賑やかで楽しげな雰囲気。
それは、些少の恐怖感を紛らわすには、充分すぎるものだった。
というよりは、はや恐怖感すらも楽しみの一部になっている。
「………………」
「どうしたの?」
「ん…………」
そんな中、隣の友人に変化が生じた。
トンネルをひとつふたつ、抜けた辺りからだろうか。
次第に口数が減っていき、みっつ目のトンネルに入る頃には、ついに黙り込んでしまった。
顎先に指を添える仕草をして、何やら考え込んでいる様子だ。
「気づきましたか?」と、出し抜けに結桜ちゃんが真剣な声で言った。
「なにが?」と私が問うと、彼女は周りを警戒するような素振りを見せつつ、このように応じた。
「先から自動車の数が少ない。 と言うより、対向車が一台もありません。 ここ数分ほど」
「え?」
言われて気付いた。 そういえばそうだ。
決して交通量の多い道ではないが、PAを出発して間もない頃は、それなりに対向車を見かけた覚えがある。
我々と同じくドライブか、あるいは仕事か帰路か。
目的は何にせよ、この時間帯ならみんなヘッドライトを点しているので、対向車の存在は目に留まりやすい。
ところが、ここ数分ほど、それがパッタリと止んでいたように思う。
たまたま対向車が途切れただけ。
もちろん、そういう事もあるだろう。
普通なら、そう考えるのが一般的だ。
しかし、
「………………」
黙して語らず、思案の淵に沈む友人と、周囲を執拗に警戒する結桜ちゃん。
両名の様子を見れば、何かしらの事態が持ち上がったことは明らかだった。
そんな時である。
それまでブレーキワークに神経を注いでいた慶子さんが、気持ちアクセルを利かせ気味にして、短く訴えた。
「……ちょっと、うしろ確認してくれない?」
「え?」
「いや、 やだ! やっぱり見ないで!」
そう言われても遅い。
いの一番に後方を返り見た私は、まさしく鬼の形相で車を追っかけてくる逆立ち女と、まともに目を合わせてしまったのだ。
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