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ゆゆゆゆ
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部屋のドアが閉まる音。
外の空気と一緒に、張り詰めていたものが少しだけ緩む。
けれど、完全にはほどけない。
エリオットは靴を脱ぎ、無言で奥へ進む。
ソファに腰を落とすと、そのまま背もたれに体を預けた。
何も言わない。
チャンスは少し遅れて部屋に入り、ドアの鍵をかける。
そのままエリオットの方を見る。
「……」
視線は合わない。
エリオットは天井を見たまま、動かない。
さっきの路地。
あの声。あの目。
“彼が何を捨ててきたか、知っているか”
思考が、そこに引き戻される。
「……もうやめろ」
低い声。
チャンスが口を開く。
「大した事じゃない」
短く、切るように。
エリオットは反応しない。
「……聞いてるか」
「聞いてる」
間を置いて返す。
それだけ。
再び沈黙。
チャンスは少しだけ眉を寄せる。
「……あいつの言うこと、気にするな」
「……」
「昔の話だ。今とは関係ない」
“関係ない”
その言葉が、やけに軽く聞こえる。
エリオットはゆっくりと視線を動かす。
チャンスを見る。
サングラスはもう外している。
いつもの顔。
――“見慣れた顔”。
「……そう」
小さく返す。
納得したようには、聞こえない。
チャンスは少しだけ息を吐く。
それ以上言葉を重ねる代わりに、距離を詰める。
ソファの前に立つ。
「……こっち見ろ」
言いながら、顎に手をかける。
軽く引き上げるように。
視線が合う。
「……」
何も言わないまま、チャンスが顔を近づける。
触れる。
キス。
いつもと同じはずの、距離。温度。
エリオットは抵抗しない。
そのまま、受ける。
けれど。
目は閉じない。
視線の奥で、何かを探すように。
ほんの一瞬。
重なる感覚の中で、別の影がよぎる。
黒いフェドラ帽。
低い声。粘つく視線。
“君は、彼のすべてを知ったとき――離れられるか?”
息が、わずかに乱れる。
キスが離れる。
チャンスは何も言わない。
ただ、エリオットの表情を見る。
「……なんだよ」
低く問う。
エリオットは、少しだけ間を置く。
それから。
「……別に」
視線を逸らす。
ソファに沈み直す。
何もなかったように。
けれど。
頭の中では、はっきりと浮かんでいる。
「あの男は――」
声には出さない。
ただ、思考の中で、形になる。
“俺の知らないチャンスを知っている”
その事実が、ゆっくりと沈んでいく。
気持ち悪い。
――なのに。
目を逸らせない。
「……エリオット」
チャンスが名前を呼ぶ。
エリオットは返さない。
ただ、静かに目を閉じる。
考えを止めるように。
けれど。
完全には、止まらない。
奥に残るのは――
“続きを知りたい”という、感覚だけだった。