テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
『声が届かない少女』
声を出すと、
私は少しずつ世界から削られていく。
最初に気づいたのは、雨の日だった。
教師に名前を呼ばれて、反射的に
「はい」
と答えた、その瞬間。
机の下で、私の指先が背景に溶けていた。
怖くて、息が止まった。
まるで消しゴムで消される
途中の鉛筆みたいに、輪郭が曖昧だった。
それ以来、私は声を封じた。
笑うときも、返事をするときも、
ただ唇を動かすだけ。
クラスメイトは私を
「無口な子」
として私を認識し、
次第に話しかける人も減っていった。
それでいい、と思っていた。
消えずにいられるなら、孤独くらい。
__彼が隣の席になるまでは。
「ノート、見せて」
低くて、落ち着いた声。
びっくりして顔を上げると、
彼は何でもないことみたいに立っていた。
私は黙ってノートを差し出した。
「ありがとう。……あ、声、出ない感じ?」
その言い方が、妙に優しかった。
詮索でも、同情でもない、ただの確認。
私は首を振って、ノートに書いた。
『出さないだけ』
「そっか」
彼はそれだけ言って、深くは聞かなかった。
それが、救いだった。
それから、私たちは毎日のように
一緒に過ごすようになった。
昼休みの教室、
放課後の図書室、
帰り道の信号待ち。
私はノートに言葉を書く。
彼はそれを読む。
時間はかかるけど、
不思議と沈黙は苦じゃなかった。
「ゆっくりでいいよ」
彼はいつもそう言った。
その言葉があるから、
私は焦らずにいられた。
ある日、彼が冗談を言った。
思わず、声を出さずに笑った。
喉が震えた。
__だめ。
そう思った瞬間、
視界の端で、腕が薄くなるのが分かった。
私は慌てて口を押さえた。
彼は、私の変化を見逃さなかった。
「……声、出すと?」
私は、黙ることしか出来なかった。
「消えるんだ」
彼は、何も言わなかった。
ただ、少しだけ眉を下げた。
「それ、怖いね」
その一言で、涙が出そうになった。
初めて、誰かに
「怖い」
と言ってもらえたから。
それから彼は、私が声を出しそうになると、
さりげなく話題を変えた。
笑わせすぎないように、驚かせないように。
守られている、と思った。
季節は春から夏へ、
そして秋へと移っていった。
落ち葉が校庭を埋める頃、
私は気づいていた。
__このままじゃ、いずれ全部消える。
小さな声でも、
息でも、
感情でも。
生きていれば、どうしても声は漏れる。
卒業前の日。
夕焼けの校庭で、彼が立ち止まった。
「なあ」
私は、彼を見る。
「最後にさ……名前、呼んでほしい」
胸が、強く締め付けられた。
呼びたい。
ずっと、
心の中で呼んでいた。
でも、もし消えたら。
彼の前から、完全にいなくなったら。
迷っている私の手を、彼が握った。
「大丈夫」
その声は、確信に満ちていた。
「声がなくても、君はここにいた。
なら、声があっても、消えないだろ」
理屈なんてなかった。
でも、その言葉が、私の恐怖を溶かした。
私は、息を吸った。
「……叶人くん」
声は小さくて、震えていた。
けれど——
身体は、消えなかった。
指先も、
腕も、
全部ここにあった。
夕焼けの中で、
私は初めて声を上げて泣いた。
「聞こえた?」
彼が笑って言う。
私は、何度も頷いた。
「ちゃんと、届いたよ」
その言葉を聞いて、分かった。
私が消えかけていたのは、
声を出したからじゃない。
“受け取ってくれる人”がいなかったからだ。
声があっても、なくても。
私は、ここにいていい。
夕焼けは、ゆっくり夜に溶けていった。
消えない世界で、
私は彼の名前を、もう一度呼んだ。
コメント
2件
ネーミングセンス天才的すぎる…