テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ノブタダは、静かに思考を巡らせていた。
この紅毛人の言葉を、どこまで信じるべきか――。
異国の軍事に通じた男。
父・ノブナガは、間違いなく興味を示すだろう。
だが、それは同時に“隙”にもなり得る。
興味は、判断を鈍らせる。
好奇は、ときに命取りになる。
(……フロイスに会わせるか)
あの男ならば、この異邦人の正体を見抜けるかもしれない。
少なくとも――嘘か真か、その匂いくらいは嗅ぎ分けるはずだ。
ノブタダは顔を上げ、紅毛人を見据えた。
その瞳の奥にあるものを、量るように。
ノブタダはこの紅毛人の素性を確かめるため
ウジサトをサカイへと送り、
サイラスとともに都へ入った。
妙覚寺に宿を取り、ひとりの男を呼び寄せる。
宣教師――ルイス・フロイス。
フロイスは、静かな知性をまとった男だった。
初対面のサイラスに、わずかな警戒を見せる。
だが言葉を交わすごとに、その緊張はゆっくりとほどけていった。
「この国は、面白いですよ」
淡々と、フロイスは言った。
「神がいないのに、誰もそれを疑わない」
「神に救いを求める、という発想すらないのです」
サイラスは、静かに杯を置いた。
「……では、何にすがるのですか?」
フロイスは一瞬だけ思案し、肩をすくめる。
「すがらないのですよ」
「あるいは――」
わずかに視線を伏せる。
「すでに満たされている、と信じているのでしょう」
沈黙が落ちた。
「ノブナガ様も合理的な方ですが……」
フロイスは、かすかに口元を歪めた。
「あの方なら、自らが神になる、と言い出しかねない」
サイラスの視線が鋭く上がる。
「神になろうとした男は――どうなりますか?」
フロイスは迷わなかった。
「業火に焼かれるでしょう」
静かに、断じた。
やがて、サイラスは別室へ下がらされた。
残されたノブタダに、フロイスが問いかける。
「彼は、自らを何と名乗りましたか」
「グラツィアの大臣と」
フロイスはわずかに考え、ゆっくりとうなずいた。
「あたらずといえども、遠からず――でしょうな」
「彼は、グラツィア随一の軍略家です」
ノブタダは言葉に詰まる。
「……何の目的で、父に会いたがるのでしょう」
「布教ではありません」
フロイスは、静かに笑った。
「むしろ逆です」
一拍置く。
「あの男は、“神なき国”を見に来たのではない」
「――神になろうとする男を、見に来たのです」
「フロイス殿から見ても、近年の父上のやり様は……異様に映りますか」
「人は神にはなれません。
何事も起こらねばよいのですが」
ノブタダはわずかに視線を落とした。
「私は、あの者を父に会わせようと思います」
フロイスの眉が、かすかに動く。
「あの者は――父が知りたい答えを、持っている気がするのです」
しばしの沈黙。
フロイスは何も言わず、ただ静かに目を伏せた。
肯定も、否定もせずに。
その夜、一行は妙覚寺に宿をとった。
明日、ノブナガに謁見するためである。
春の夜気はぬるく、都は不気味なほど静まり返っていた。
虫の音すら、どこか遠い。
まるで――嵐の前の静寂のように。
異変は、翌朝未明に起こった。
それは――あまりにも唐突だった。
障子が、叩き破るように開かれる。
ウジサトが、息を切らして飛び込んできた。
「――ミツヒデ様、ご謀反!」
「都は……五千を超える兵に囲まれております!」
一瞬、時が止まる。
静寂。
そして――
すべてが、音を立てて崩れ始めた。
大乱が、始まる。
「父上をお助けせねば」
ノブタダは、迷わなかった。
「ナガヨシ、兵を集めよ」
「ウジサト、女子供と客人を落とせ」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
それだけで、この場の主が誰かは明らかだった。
ノブタダは、すでに戦場に立っている。
そのまま、ノブナガ救出へ向かおうとした――
「お待ちください!」
ルイス・フロイスが走り寄る。
息を整える間もなく、言葉を重ねた。
「この変事――ただ事ではございません」
「ここにおりますサイラス・イシスは、
かの国の高名なる軍略家にございます」
「この局において、
配下としてお使いになってはいかがでしょう」
「紅毛人の手など借りぬともよい」
ナガヨシが吐き捨てた。
露骨な敵意。
一瞬の沈黙。
「……ここへ呼んでまいれ」
ノブタダは、静かに言った。
「何が起こっているのか――」
駆け付けたサイラスを前に、ノブタダは続ける。
「わからぬままでは、
その方らも戸惑うばかりであろう」
「ついてまいれ」
視線が、場を制した。
「父は草履取りを将とした」
「我もまた、紅毛人を軍師とすることをいとわぬ」
サイラスは、状況を一瞥した。
そして――迷いなく口を開く。
「――身一つで脱出しましょう」
場の空気が凍る。
「都の兵をかき集めれば、百や二百は整いますぞ!」
ナガヨシが食い下がる。
だが――
「不要です」
即答だった。
「もうじき、ここも囲まれます」
「戦えば――終わりです」
静かな声。
だが、揺るがない。
「剣を捨て、服を脱ぎ」
「我らの従者として――サカイへ落ちましょう」
「アヅチの方がよいのでは」
ウジサトが口を挟む。
「我が父上も来援するはず」
「……ミツヒデ殿も、そう考えるでしょうね」
サイラスは、わずかに目を細めた。
「父上は――」
ノブタダが言いかける。
「――もう討たれているやも、です」
空気が止まる。
間を置かず、サイラスは言った。
「急ぎましょう」
都は、火に包まれた。
ミツヒデ率いる軍は、
本能寺、妙覚寺、二条城を焼き払い――
ノブナガの死を、天下に告げた。
「悪逆非道のノブナガは、
このミツヒデが成敗した」
「志あらん者は、この光秀のもとに集え!」
炎は、都だけではなかった。
その報は、瞬く間に各地へ走る。
サイラスたちの脱出は、
皮肉なほど容易だった。
異邦人――
それだけで、誰も深く関わろうとしない。
(我らは、この国において――)
(決して“内”には入れぬ)
(だが――)
(それが今は、救いとなる)
都より遠く離れた――ビッチュウタカマツ城。
第二軍団、ヒデヨシ。
敵将ムネハルを、水攻めにより城ごと包囲していた。
濁った水が、静かに、確実に城を呑み込んでいく。
「兄者、これを!」
息せき切って陣幕へ飛び込んできたのは、弟ヒデナガだった。
差し出されたのは、一通の書状。
ヒデヨシはそれを受け取り――
一読した。
その瞬間。
顔から血の気が引いた。
「……ミツヒデが、上様を……」
言葉が、そこで途切れる。
沈黙。
その沈黙を破ったのは、軍師カンベエだった。
「――殿。御運が、開けましたな」
「何……!」
ヒデヨシの目が、鋭くカンベエを射抜く。
だが、カンベエは揺るがない。
「もはや家中に、殿以上の器はおりませぬ」
「急ぎ都へ取って返し、ミツヒデを討ちましょう」
「天下統一の大業――
それを成し得るは、殿ただ一人にございます」
ヒデヨシは、黙した。
ゆっくりと目を閉じる。
(あのノブナガ様は――)
(もう、おらぬのか)
ほんの一瞬だけ。
“主を失った男”の顔が、そこにあった。
だが――
次の瞬間、その顔は消えた。
「カンベエ」
静かに口を開く。
「テルモトに和睦の使者を送れ」
「は」
「この戦、ここで終わらせる」
「ヒデナガ」
「はっ」
「諸将に触れよ」
ヒデヨシは、ゆっくりと立ち上がる。
「――大勝負ぞ」
「これは」
水に沈む城を背に、
ヒデヨシはすでに、次の戦場を見ていた。
大乱は、まず最初にヒデヨシを動かした。
#戦乙女
眠狂四郎