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#戦乙女
眠狂四郎
ミツヒデの戦略は明快だった。
ほかの軍団長たちが外敵と対峙し、
すぐには動けぬ間に、ノブナガとノブタダを討つ。
そのうえでキョウとオウミを押さえ、兵を糾合し、
帰還する諸軍を各個に撃ち破る
――それが、この謀反の骨子であった。
ノブナガを葬ると、ミツヒデ軍は
その日のうちにオウミへ雪崩れ込んだ。
先鋒を務めるのは、サマノスケ。
軍は街道を一気に押し切り、ただ一つの目標へと進む。
――アヅチ城。
ノブタダ陣営のオウミ勢に、これを迎え撃つ余力はなかった。
タカカゲは瀬田の橋を焼いて追撃を遮断し、
カタヒデはノブナガの妻子を伴って落ち延びる。
だが、それもまた、わずかな時間を稼ぐにすぎなかった。
主を失った威は日に日にしぼみ、
周辺の兵は集まらず、城は孤立していく。
侵攻から五日。
ついにアヅチ城は、ミツヒデ軍の手に落ちた。
ミツヒデは、静かに城内へ足を踏み入れた。
「ここより、天下を動かす」
その日――
天下の中心は、確かに入れ替わった。
ミツヒデは、第四軍団配下の諸将に動員令を発した。
だが――ここに誤算が生じる。
都の北を預かるフジタカは、息子タダオキとともに、
ノブナガ公の喪に服すとして参陣を拒否。
都の南のジュンケイは、当初こそ協力の姿勢を見せたものの、
やがてコオリヤマ城に籠城し、動かなかった。
さらに都の西――
ウコン、キヨヒデに送った使者からの返答は、いまだ届かない。
誰も、動かぬ。
そして――
ノブナガの首は見つからず、
ノブタダの行方もまた、杳として知れなかった。
ミツヒデの手中にあるはずの“勝利”は、
いまだ確かな形を取っていなかった。
「……というのが、ミツヒデの戦略と思われます」
「サイラス殿は、ミツヒデがオオサカへ来ると思うか」
「情勢が許せば、来るでしょう」
「キョウの変より五日。
そろそろ各地の軍団長にも伝わっている頃かと」
サカイのカルド商会。
ノブタダはサイラスを傍らに置き、
ナガヨシ、ウジサトとともに絵図を囲んでいた。
「兵は二千ほど集まりました。
決戦には心もとない数ですが……」
ウジサトが低く報告する。
その頃――
北国、ウオヅ城。
カゲカツ軍と対峙していたカツイエは、変を聞くや否や、
ナリマサ、トシイエに戦線を委ね、
ただちに居城キタノショウへと引き返した。
ナガチカ、モリマサを前に、胸中を明かす。
「これより直ちにキョウへ向かう。
ミツヒデの首を討つ」
「しかし、カゲカツはいかがなさいます」
「捨て置け。ケンシンならばともかく――
その子など、恐るるに足らん」
一瞬の沈黙。
「先鋒は、モリマサ」
「はっ!」
「オウミへ侵攻し、アヅチのミツヒデ軍を撃破。
そのままキョウへ入る」
宿老カツイエの決意は、揺るがなかった。
「いかがなさいます?」
「何のことじゃ」
ハママツ城。
イエヤスは女中に肩を揉ませながら、気のない声で答えた。
「ノブナガ公の仇討にございます」
「……そうさのう」
一拍。
「どうするかのう」
マサノブは、主の横顔をうかがった。
「儂はな――別のことを考えておる」
「別のこと、にございますか」
「イセに、ノブカツがおろう」
「……は」
「あの阿呆を使うて、ひと悶着起こしてやろうと思うてな」
わずかに、マサノブの口元が緩む。
「上様も、人が悪い」
イエヤスは、ふっと笑った。
「揉めた方が――」
女中に目で合図し、下がらせる。
静かになった座敷に、衣擦れの音だけが残る。
「最後の取り分が、多くなる」
紙と硯が運ばれる。
イエヤスはゆっくりと筆を取り、ためらいもなく書き始めた。
口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
「我らの存在も、そろそろミツヒデ方に知られる頃でしょう」
サイラスは静かに言い、絵図から目を上げた。
「ならば――こちらから打って出ます」
ノブタダが視線を向ける。
「我らの存在を明らかにし、
ノブナガ公がご存命であるとの虚報を流す」
一瞬、場の空気が張り詰めた。
「いよいよ、ですな」
ナガヨシが身を乗り出す。
「はい。この地でミツヒデを迎え撃ちます」
そのとき――
「申し上げます!」
駆け込んできた使者が、息も絶え絶えに叫んだ。
「ヒデヨシ軍、姫路を発し、こちらへ向かっております!」
「……何だと」
全員が、同時に絵図へと視線を落とす。
「速い……」
「速すぎる」
サイラスの眉がわずかに動いた。
(この進軍速度……ただの帰還ではない)
「どうする、軍師」
ノブタダの声が、低く響く。
「まず――ヒデヨシ公は、信じてよいお方ですか」
静かな問い。
ナガヨシは言葉を選ぶように口を開いた。
「有能な将ではあります。しかし……」
「この状況で、我らに従うとは限らぬ」
沈黙。
ヒデヨシは、味方にもなり得る。
だが――敵となれば、最も恐ろしい相手でもある。
ノブタダは、絵図を見つめたまま動かない。
(信じるか。疑うか)
決断は、まだ下されていなかった。
「ヒデヨシ殿に、我らの存在を知らせましょう」
「返事が来れば、合流」
「来なければ――」
ウジサトは、思わず言葉を詰まらせた。
サイラスは、迷いなく言い切る。
「ヒデヨシは、単独でミツヒデを討つつもりです」
「……その後を、睨んでいる」
場に、重い沈黙が落ちた。
――書状は放たれた。
一日。
二日。
誰も口には出さなかったが、
全員が同じ方角を意識していた。
そして、三日目。
使者は戻らなかった。
いや――
戻らせなかったのだと、誰もが悟った。
ノブタダは静かに目を伏せる。
「……そうか」
短い一言。
だが、それは決断を迫る重さを持っていた。
変より十日。
ヒデヨシは、アマガサキに到着した。
あまりにも早い進軍だった。
その報を受けたミツヒデは、
散在していた兵をかき集め、ただちに決戦を決意する。
選んだ地は――ヤマザキ。
テンノウザンとヨド川に挟まれた狭地。
大軍の展開を封じ、寡兵でも抗し得る要衝である。
だがそれは同時に――
退くことも、許されぬ地でもあった。
ミツヒデは、選んだのではない。
選ばされたのだ。
ヒデヨシのあまりの速さにより、
決戦は“準備の整わぬまま”強いられたのである。
サイラスは、静かに絵図を見つめていた。
「決戦はヤマザキですか」
誰にともなく、呟く。
指先が、ヤマザキの地をなぞる。
そのまま、ゆっくりと線を引く。
テンノウザン。
ヨド川。
そして――その背後。
「ショウリュウジ城」
顔を上げる。
その目には、確信が宿っていた。
「……いや」
サイラスの脳裏に、一つの像が結ばれる。
「一つ、案があります」
合戦は当初、ミツヒデ軍優勢で始まった。
だが――
ヒデヨシ軍の圧倒的兵力の前に、戦線は徐々に押し返されていく。
ミツヒデの誤算は、オウミ各地に兵を散らしたこと。
決戦の地に、戦力を集めきれなかった。
夕刻。
ついに戦線は崩壊する。
ミツヒデは、わずかな供回りとともに戦場を離脱した。
目指すは――ショウリュウジ城。
だが、その瞬間。
(……終わった)
誰よりも早く、ミツヒデ自身が悟っていた。
ヒデヨシは、すぐさま追撃を命じた。
そして――
その目に、信じがたい光景が飛び込んでくる。
ショウリュウジ城。
その城門に、翻る旗。
――ノブタダ。
「なに……?」
ヒデナガが、言葉を失う。
城門の前。
ナガヨシが立っていた。
その槍には――
首が、掲げられている。
櫓の上から、声が降る。
「ヒデヨシ――大儀」
ノブタダ。
その姿は、すでに勝者のそれだった。
「我らが戦っている間に……」
ヒデナガは呆然と呟く。
ヒデヨシは――
一瞬だけ、無表情になった。
ほんの刹那。
次の瞬間には、深く頭を下げていた。
「さすがは御曹司。お見事にござる」
声は、いつも通りの柔らかさを帯びている。
「このヒデヨシ、遅ればせながら参陣いたしました」
顔を上げる。
その目には、何も残っていない。
「ミツヒデの主力は、ほとんど討ち果たしてご覧に入れました」
振り返る。
「皆の者――勝鬨を!」
鬨の声が、山野にこだまする。
勝ったのは誰か。
その答えを、曖昧にしたまま。
その喧騒の中で。
サイラスは、櫓から静かに一人の男を見ていた。
ヒデヨシの傍ら。
足を引きずる軍師――カンベイ。
(……さあ、どうする?)
サイラスの目が問う。
カンベイは、歯ぎしりを噛み殺しながら、こちらを睨み返していた。
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