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うっすらと瞼を開くと、目の前に広がっていたのは灰色の世界だった。
天も地もなく、まるで立ったまま空に浮かんでいるかのようなふわふわとした、何とも言えない奇妙な感覚に、僕は動揺しながら辺りを見回す。
真帆はおろか、榎先輩も鐘撞さんも、肥田木さんやアリスさん――そして乙守先生の姿すらそこには見当たらなかった。
ここは、ここはいったいどこなんだ。僕の身にいったい、何が起こったというのだろうか。まさか、乙守先生のあの魔法によって命を落としてしまって、あの世に来てしまったとか、そういうことなんじゃ――と考えると何だか本当に恐ろしかった。
そんなはずない、あの乙守先生がそこまでするはずがない。僕は根拠もなくそう確信しつつ、だとしたら僕はいったいどうしてこんなところに来てしまったのか、ここはいったいどこなのか、『こちら』でもなく『あちら』でもない周囲の様子、そして僕以外誰の姿もないことにただただ戸惑い、動揺した。
どこかに何かのヒントがあるはずだ。僕がここにいる理由、こんなところに来てしまった理由が、必ず。
僕は更に辺りを見回し、少しでも手掛かりになるものがないか目を皿のようにしてそれを探した。
「――くっそ、なんなんだよ。どこなんだよ、ここは」
思わず独り言ちた、その時だった。
「ここは意識界――と、私たちはそう呼んでいるわ」
唐突にすぐ隣から声がして慌てて振り向けば、そこには乙守先生の姿があった。先程真帆によって汚されたあの真っ白な魔女の衣装は、けれどまるでおろしたてのように綺麗で、うっすらと輝いて見えるほどだった。
「びっ……くりした。どこから出てきたんですか、乙守先生」
すると乙守先生はくすりと笑んで、
「別にそんなに驚くようなことではないわ。今、私が言ったでしょう? ここは意識界。人々の――いいえ。ありとあらゆるモノの中にある、ある種の境界。夢と現実、現世と幽世、そういったものの狭間の世界。ここにいる私もあなたも、ただの意識だけの存在と言っても過言ではないわ。だから、どこにでもいるし、どこにもいない。肉体もなければ、そうね、正直、存在ですらないかもしれない」
「……何の話ですか? 哲学か何かですか? 僕、死んじゃったんですか? もしかして、幽霊にでもなっちゃいましたか?」
「だから、違うってば。意識体になっただけよ。あなたの肉体は、今は別のところにある。榎さんや鐘撞さんたちが看てくれているから、安心しなさい」
「……よくわかりません。つまり、何が起こったんですか?」
「簡単に言うと、順子からあなたに渡されたお守りが、ようやく起動したってだけの話」
「お守り? 起動? あのドリームキャッチャーのことですか? まさか、あれも乙守先生の仕掛けか何かだったんですか?」
「仕掛けっていうか、必要なプロセスだった、とでも言っておきましょうか。昔、私が未来の見える天球儀を使って視た未来がそうなっていたから、そうしただけ」
「それってつまり、乙守先生は未来がそうなるように仕向けてきたってことですか? 今までのこと、全部?」
「そうよ。前にも同じような話をしたでしょう?」
「だったような気もしますけど、覚えていません」
「ま、別に覚えてなくても大丈夫よ。どうせなるようにしかならないでしょうし」
「結局、乙守先生の目的は、その天球儀で見た未来の通りにことを運ぶことだったんですか?」
「そうとも言える、でも、そうとも言えない」
「……そんな曖昧な話をしたくないです」
「ごめんなさいね。でも、私が見た楸さんの未来はとても曖昧でぼやけて見えた。それは未来にいけばいくほど本当に不確かで、不明瞭で、彼女の意思ひとつでその未来が大きく揺らぐ、そういうモノだったのよ。まぁ、それを言っちゃうと、どんな人もみんなそうなんだけれどね」
それでも、だからこそ、と乙守先生は小さく息を吐いて、
「あの子のことが気がかりだった。私と同じように、永遠とも呼べる時を過ごすことになるのか、それとも可能なら夢魔をその身体から抜き出して、人としての人生を、時を歩むことにするのか。或いは、それとも違う別の選択肢が。その選択は楸さんのものではあるのだけれど、実のところ楸さんひとりだけの問題ではなかったから」
「何ですかそれ。また回りくどい言い方をして。何が言いたいんですか?」
僕が眉根を寄せながら問うと、乙守先生は口元を綻ばせて、
「……まぁ、それをこれからあなたに――あなたたちに見せてあげるつもり。いいでしょう、楸さん?」
えっ、と思いながら乙守先生の声をかけた先、少しばかり離れたところに視線をやれば、小さく俯く真帆の姿がそこにはあった。
真帆はバツが悪そうに、申し訳なさそうに、いつもの覇気など全くない様子で、おずおずと僕や乙守先生に目をやりながら、
「……見せないとダメですか? どうしても?」
「このまま黙っておくつもり?」
「私のしたことを考えれば、そのほうが良いかなって――」
尻窄みになっていく真帆の言葉に、僕は首を傾げる。
「どういうことだよ、真帆。また何かやらかした話? でも、そんなのはいつものことじゃないか」
だから、気にするようなことじゃない、と言おうとしたのだけれど、
「いつものことどころじゃない話。シモハライくん。あなたにも関わりがある話」
「……僕に?」
「えぇ、そう。そしてそれこそが楸さんのこれからと、そしてシモハライくん、あなたたちふたりの将来に関わることがらってこと」
乙守先生は言ってから、再び真帆に視線を向けて、
「どうせ目が覚めてあちらに戻ればここでの記憶なんて忘れているんだから、この際全部話しちゃいなさい。全部シモハライくんに見せてあげなさい」
真帆は大きなため息をひとつ吐いて、下から見上げるように、僕を見つめる。
その小さな両の手をモジモジさせながら、
「……これをお話したら、ユウくんは私を嫌いになっちゃうかもしれません。ドン引きしちゃうことになるかもしれません」
いったい、真帆は何をやらかしたというのだろうか。そしてそれが、僕たちの将来にどう関わってくるというのだろうか?
「だから、何度も言わせないで。ここでの話は全部忘れちゃうんだから、安心しなさい。私はただ、それによってあなたたちがどんな答えに至るのか、それを見極めたいだけ。そしてそれこそ、楸さんの認定試験そのものといえるのだから」
さぁ、観念して話してあげなさい。
乙守先生はそう真帆に促した。
真帆はゆっくりと僕のすぐそばまで歩み寄ると、もう一度深いため息を吐いてから、
「――あれは、一年生のとき。私とユウくんが出会った、あの時まで遡ります」
そう、切り出したのだった。