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それは今から二年と少し前の、六月の初めのことだった。
あの頃の僕は一時限目の授業の遅刻常習者で、毎日のように一時限目はカウンセラー室で時間を潰し、二時限目から授業に出るという学校生活を送っていた。
カウンセラー室には緒方先生というカウンセラーの先生がいて、僕の良き理解者だった――と僕は当時、勝手にそう思っていた。
その頃の真帆はというと、僕とは異なり、日々モヤモヤとした気持ちのなか、息苦しい毎日を送っていたらしい。
井口先生のいるこの高校への入学をおばあさんから強要|(とまで言っていいのかは解らないのだけれど)された真帆は、中学の頃に仲の良かった友人たちと離れ離れにさせられ、ずいぶん気が荒んでいたようだ。
そのために、真帆は同性の先輩から目をつけられた際、校舎裏でそんな先輩たちを相手に風の魔法を使って散々な目に合わせ、そこにたまたま僕が立ち入ってしまったことで、僕と真帆との関係が始まったワケなのだけれども――
「……原因はそれよりも少し前。私の定期検診をしていた魔法医のお医者さんから聞かされたお話が、より私の心を荒々しくさせていたんです」
真帆がそう口にした途端、周囲の光景がゆっくりと変化していった。
気がつけばやたらと古めかしい、ボロボロの小さな診療所の中。
真帆は年老いたお爺さんのお医者さんを前にして、目を見開いて口をつぐんでいた。
お医者さんは何かの表を真帆に見せながら、
『間違いないね。身体の機能そのものが、人よりゆっくりになっているようだ。特に生理に関しては、長命であるがゆえに必要ないと身体が判断したのだろう。このままだと、生理そのものが止まってしまうかもしれないねぇ』
真帆はしばらく口をつぐんでから、ゆっくりと、医者に訊ねる。
『……それって……つまり、どういうことですか?』
『まぁ、アレだよ。子供を産めない身体になるかもしれないってことだねぇ。永遠とも呼べる長命であるからこそ、子孫を残す必要がない。そう真帆ちゃんの身体は判断しちゃったのかもねぇ』
『……それ、本当なんですか? 絶対に、間違いないんですか?』
『さぁ、それはまだ何とも。でも、初潮からずっと記録をつけてて、やけに生理の周期が遅いと思うんだよねぇ。それはまぁ、そういうのは体調や体質、ストレスとかにもよるんだけれども、真帆ちゃんの場合、その周期が一定の間隔で伸びていっているんだよねぇ。この間隔で計算すると、真帆ちゃんが高校を卒業する頃にはほぼ止まっていると言って過言じゃないくらいの周期になってしまってるんじゃないかなぁ。専門家ではないから、絶対とは言い切れないけどねぇ』
『……その周期って、将来的にはどれくらいになる計算なんですか?』
『んー、ざっくりだけど、十年に一度、生理が来るかどうかってところかねぇ』
その言葉は、真帆にとってとても衝撃的なことだったらしい。
「……とても、ショックだったんです。従兄弟のところに産まれたユウリちゃんがあまりにも可愛くて、私も将来は素敵な旦那さんと結婚して、いつかは子供を産んで育てたいって、あの頃は本気でそう思っていたんです。だから、あの時、お医者さんからそんな話をされて、私はただただ焦っていました。このままだと、私のその願いは叶えられなくなってしまうんじゃないかって」
そう真帆は僕に小さく口にしたのだった。
真帆は自分が子を持つことを望んでいた。それも、強く。
その気持ちが、真帆から、真帆の記憶から、僕の中に流れ込んでくる。
友達と離れ離れになってしまったこと、自分には子供が産めなくなるかもしれないというショックと焦り。
そんななか、上級生からの言い掛かりに腹を立てた真帆は、校舎裏であんなことをしてしまった、というわけである。
それをたまたま目撃してしまった僕は、やがて真帆に騙される形で恋人ごっこを始めるわけなのだけれど――そのうち恋人として仮採用され、本採用されて、というのは僕のよく知るところである。
やがて僕と真帆は、榎先輩のお爺さんが残した医療系の魔術書と、そのお爺さんが子孫のために残した魔力を宿した腕をめぐる出来事に巻き込まれていくのだけれども、その魔術書を読んでいた真帆が、どこに着目したかと言えば――
まるで走馬灯のように、周囲の様子が目まぐるしく変わっていった。
診療所から真帆の家、学校、日々のモヤモヤ、やがて僕と出会い、僕の両親がたまたま持っていた、榎先輩のお爺さんが書いた件の魔術書。その魔術書を学校の生物室で真帆に渡して――その時、真帆はこう口にしたのだった。
『すごい……借り腹? 反魂? 何だか怪しげな魔法がたくさん載ってます』
その時、真帆が特に注目していた魔法――それが借り腹の魔術だったのだ。
「この魔法が本当に使えるのであれば、或いは――そう、私は思ったんです」
真帆はため息まじりに、そう言って僕を見上げた。
それがどういう意味であるのか、僕はすぐには理解できなかった。
借り腹――つまり、別の人のお腹を借りて、真帆は自分の子供を産んでもらおうと思ったのである。
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