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ルルーブ森林はその名の通り、樹木が茂った森林地帯だ。
西から東へ走る小さな川が存在しており、南部は海に面していることから、魔物さえ生息していなければ居心地の良い土地なのだろう。
しかし、魔物がいるからこそ、食糧問題に悩む必要がない。
この森にはウッドファンガーとウッドシープが闊歩している。
キノコとヒツジ。どちらも食卓には欠かせない食材ゆえ、専業の傭兵が日夜狩りに励んでいる。
彼らの仕事はそれだけに留まらない。
重たい荷物の運搬。
村人の護衛。
大量発生した魔物の掃討。
そのどれもが重労働な上に危険極まる。
状況によっては王国軍が動くこともあるのだが、彼らの使命は主に防衛だ。
それ自体も疎かには出来ない以上、その他の雑用は傭兵が受け持つしかない。
そういう意味では、今回の仕事も彼らの本業と言えるのだろう。
「ここが、キノコ地帯……」
ルルーブ港を出発し、シイダン川を越えたら東方面へ。
そこは森の中でありながら、その一画だけは風景がガラリと異なる。大地が大小様々なキノコに侵食されており、森の中を茶色と緑色の二色で表すなら、ここは茶色の絵具だけで事足りる。
「特異個体はこの付近に現れるらしい。見た目が赤いから、一目でわかると思う。気を引き締めて探そう」
驚く少年とは対照的に、その男は冷静そのものだ。
赤髪の傭兵はハイド。
その隣には、いかにも魔法使いといった風貌のメルが立っており、彼らはどちらも長身ながら、背丈の高さはメルの方がわずかに高い。
同じ傭兵でありながら、その少年は少々幼く見えてしまう。童顔な上に武装も折れた短剣一本ゆえ、護衛される側のようだ。
「ここから先って、魔物の気配がすごく多いです。あぁ、でも、全部が歩くキノコだとしたら、アゲハさんの鍛錬が捗りそう……」
年長者の背中を視界に捉えながら、エウィンは感嘆の声を漏らしてしまう。キノコまみれの景観も去ることながら、感知可能な魔物の多さには驚きを隠せない。
視界内だけに限れば、その数は十に満たない。
大きなシイタケはウッドファンガー。それぞれが退屈そうに歩いている。
ここはそれらの巣窟だ。じめっとした空気が、禁止類にとっては居心地が良いのだろう。
「こ、こんなにいっぱいいると、危ないような……」
自身の黒髪を握りながら、アゲハが率直な感想を述べる。
彼女の言う通り、ここは純粋な危険地帯だ。
巨大キノコには目も鼻もないが、人間の接近を察知出来る。
それだけにとどまらず、当然のように襲い掛かって来るのだから、腕に自信のある傭兵でもなければ近寄ることは厳禁だ。
だからこそ、問題ない。
「アゲハさんのことはきちんと守りますよ」
「エウィンさん……」
「そこ、イチャイチャしてないで作戦会議するよ」
四人は昨日知り合った。
そして、ハイドとメルが狩りを失敗したのも昨日。
負けたのではなく、標的を見つけることが出来なかった。よくある話ゆえ、彼らは落ち込みはしなかったのだが、そんな二人の前に最適な人材が現れる。
それがエウィンだ。
どこに魔物がいるのか、見ることなくわかってしまう。そのような天技は、こういったケースでは大いに役立つ。
だからこそ、提案を申し出ずにはいられなかった。
ルルーブ港に戻った四人だが、ギルド会館で夕食を囲みながら、ハイドはエウィン達に特異個体狩りの協力を仰ぐ。
獲物の名前はレッドハット。外見自体はウッドファンガーと瓜二つながらも、全身がベニテングダケのように赤く、既に傭兵を最低でも二人は殺している。
その結果、その首には八万イールの賞金がかけられる。
二日目で倒せたとしても、一か月かかってしまったとしても、その額は変動しない。
ならば、取り分を半々に分けたとしてもエウィンの手を借りることは悪手ではないはずだ。
ハイドはそう考え、そして、今に至る。
「繰り返しになるけど、俺の戦系は支援系で、使える魔法はグレイスウォールまで。メルはコキュートスを覚えた魔攻系。ここまではオーケーかな?」
「はい。と言うか、お二人ってかなりの腕前ですよね? キュアを使えて、さらにはグレイスウォールまでって。コキュートスも上位の攻撃魔法で、しかも二つ目でしたっけ?」
エウィンが驚くのも無理もない。
支援系に属する人間は、鍛錬の果てに先ずはスリップペインという魔法を会得する。
そこからさらに多数の魔法を身につけていくのだが、回復魔法キュアまでの道のりは遠く、これを使えるかどうかで傭兵としての価値は天と地ほど変わってしまう。
眼前の男はこれを覚えている側の人間だ。一握りの傭兵であることが、この時点で証明されている。
「インフェルノの次だから二番目であっている。だからオレは八個の攻撃魔法を使える。なんなら実演しようか?」
メルの戦闘系統は魔攻系だ。
炎の攻撃魔法フレイムから始まり、氷魔法、風魔法の順に覚えていくのだが、最初の六個は下位の攻撃魔法と呼ばれている。
それらが貧弱なわけではない。
より強大な上位互換が存在するため、名目上、攻撃魔法を下位と上位に区別している。
インフェルノは広範囲を焼き尽くし、コキュートスは辺り一面を凍らせられることが可能だ。
どちらも強力無比な威力を誇るのだが、決して万能ではない。上位魔法には二つのデメリットが存在してしまう。
下位の攻撃魔法と比べると魔源の消耗が酷く、また、再詠唱には長いインターバルが求められる。
あえて三つ目の使いにくさを挙げるのならば、詠唱にかかる時間も憂慮すべきか。下位魔法が二秒に対し、上位魔法は五秒も待たなければならず、この差は決して無視出来ない。
「魔源がもったいないからやめてくれ……。それじゃ、方針云々の前に、エウィン君、教えてくれないか?」
「はい、何でしょうか?」
「この先のキノコ地帯に、レッドハットが現れるらしい。だけど、出会えるタイミングは朝だけ。長く見積もっても午前いっぱいって感じだろう。つまりは時間との勝負なんだが、うじゃうじゃいるウッドファンガーを無視することは出来ない。ちょっかいを出されても邪魔なだけだからね。だからこいつらを掃除しながら赤い奴を探すことになるんだけど、数がどのくらいかわかるかな?」
「えっと……、わかる範囲だけでも三十、いえ、四十以上です」
明かされた数字にハイドがわずかに眉をひそめるも、実際には想定の範囲内だ。
昨日、二人は特異個体を探した際に、ウッドファンガー達を片っ端から殲滅した。
その際にいちいち数を数えはしなかったのだが、手応えとしては想像していた数字に近い。
魔物は生物ではない。それに近い何かだ。
そうであると裏付けるように、一晩でウッドファンガーが再出現している。
菌糸類らしく、地面から生えたわけではない。
別世界から補充されるように、音もなくそこに再配置される。
だからこそ、人間は食糧に困らない。
草原ウサギの肉も、キノコ代わりのウッドファンガーも、いくらでも取り放題だからだ。一日の上限は決まっているものの、毎日狩れる以上、人間が飢える心配はない。
もっとも、この事実を喜んでばかりはいられない。
倒したところで再び出現するのだから、人間と魔物が争ったところで勝者がどちらかは決まりきっている。
それでもイダンリネア王国が諦めない理由は、小競り合いでは敗れることはあっても、最終的には全ての戦争で勝利を収めたからだ。この先も変わらず、勝ち続けられると自負している。
「ここから見える範囲だと、五……、六……、七体か。まぁ、焦る必要はない。順に倒しながら奥を目指そう」
ハイドの言う通り、今はまだ早朝だ。
四人は明け方に起床し、身支度を済ませてから漁村を出発した。アゲハの足が遅いことから想定よりも移動に時間がかかってしまったが、それでも余裕があることには変わりない。
獲物はたった一体の特異個体。
しかし、先ずは邪魔者の排除から始めなければならない。
ゆえに、ここからはウッドファンガー狩りの時間だ。
前進するために。
赤いキノコを探すために。
ハイドとメルが歩き出す。
「先ずは俺達の戦い方を披露するよ。残った分は、エウィン君達で狩ってくれて構わない」
二人がキノコだらけの空間に足を踏み入れたことで、複数のウッドファンガーが警戒を開始する。
それらに顔など存在しないのだが、ハイド達は自分達が見られていると即座に察知してみせる。殺気が向けられているのだから、傭兵ならば出来て当然の芸当だ。
「右は頼んだ。魔法を合図に、俺も突っ込む」
「了解」
目配せすら必要ない。
彼らは自分達の標的を見定めながら、ズンズンと歩みを進める。
人間と魔物が互いを敵と認識してからおおよそ十秒。
まだまだ離れていようと関係ない。メルが右腕を前へ突き出せば、それが開戦の狼煙となる。
「スパーク」
狙いを定めるため、長身が立ち止まると同時だった。黒紅色のローブを包み込むように、メルが淡い光をまとう。魔法の詠唱に伴う発光現象だ。透明な泡が次々と生まれては上昇、その後に消失を繰り返す光景は、これこそが神秘的と言えよう。
選んだ魔法は雷。二秒間の詠唱をえて、メルの右手から雷撃がほとばしる。
その閃光は刹那の輝きだ。
絶縁体である空気すらも貫く威力が偽りではないことを、ウッドファンガーは身をもって知ることとなる。
感電と共に重度の火傷を負わされた以上、魔物であっても絶命は避けられない。
先ずは一体目。キノコの丸焼きが完成だ。
そして、二体目の討伐も間髪入れずに実行される。
雷撃を追いかけるように赤髪の傭兵が駆け出すと、その眼光は左の個体に狙いを定める。
当然ながら、ウッドファンガーはただのキノコではない。姿かたちは大きなシイタケながらも、実体は意志を宿した魔物であり、人間を殺すための存在である以上、迎え撃つに決まっている。
しかし、今回に限っては結果が伴わない。巨大キノコが体当たりを試みるよりも早く、灰色の刃がその体を上下左右に切り裂いてみせる。
この状況にアゲハは目を疑ってしまう。
(え、あっという間……。エウィンさんもすごいけど、この人達も本物なんだ……)
突然の雷鳴に驚き、次の瞬間には二体目が斬られたことに驚かされた。
焼け焦げたキノコと、食材のように切り分けられたキノコ。どちらも一メートル近い魔物なのだが、その姿は敗者のそれでしかない。
ハイドとメル。彼らの実力に偽りはなく、そうでなければ昨日の内に殺されていただろう。
もっとも、三人目の傭兵もまた、本物の強者だ。
「おー、さすが。僕達も負けてられませんね」
率直な感想を述べながら、エウィンがそそくさと走り出す。その速度は先ほどのハイドにも匹敵しており、アゲハが少年の思惑をくみ取るよりも早く、手土産と共に帰還を果たす。
「ささ、どうぞ」
「あ、うん……」
もはや何十回と繰り返したやり取りだ。
捕縛した魔物を差し出すエウィン。
傘を激しく揺らしながら脱出を試みるウッドファンガー。
両者を見比べながら、アゲハは鍛錬のために生贄へ触れる。
その結果、巨大キノコは青い炎に全身を焼かれ、炭すら残せず消滅してしまう。
あっという間の焼却だ。
焼き殺された方は当然ながら、実行したアゲハすら余韻に浸る暇などない。
「では、次。はい、どうぞ」
手ぶらになった以上、エウィンは間髪入れずに駆け出すのだが、アゲハの返答よりも早く舞い戻る。
もちろん、手ぶらではない。少年の両手は新たなウッドファンガーを携えており、一瞬の間に往復したということを意味する。
「あ……、てい!」
「お、気合入ってますね~。この調子でどんどん行きましょう」
「てい! てい!」
アゲハは考えるのを止める。
眼前の恩人もまた日本人のものさしでは測れないことをすっかり失念していた。
ならば、周囲の掃除が終わるまでは自身の役割を果たすことに徹する。
このやり取りを遠目で眺めるハイドとメルだが、ぼやかずにはいられなかった。
「かっこつけた手前、少し恥ずかしいな」
「楽しそう。オレも混ざりたい」
「え⁉」
朝陽が降り注ぐここはルルーブ森林の片隅。大量のキノコが群れるように生えており、だからこそ、ウッドファンガーも多数生息している。
いよいよ始まったキノコ狩り。
鍛錬のため。
金を稼ぐため。
そういった思惑を抱きながら、彼らは傭兵らしく、突き進む。
「えい! とぉ!」
「すごいすごい! メルさんも手伝ってくれるから、ものすごいペースで倒せてますよ」
男二人が、貢ぐようにアゲハへキノコを運び続ける。たったこれだけの行為でウッドファンガーを狩れるのだから、殲滅速度は順調と言う他ない。
「え? 俺も混ざんないとダメなやつ?」
ハイドだけが蚊帳の外だ。
もっとも、周囲の警戒と特異個体の探索も必要ゆえ、分業という意味では適切なのかもしれない。
四人はゆっくりと前進を続ける。キノコ地帯は視界の範囲内だけに留まらず、その先もまたウッドファンガーの楽園だ。
魔物狩りすらも楽しめてしまう。
傭兵とは、そういう異常者の集団だ。
◆
「まだ九時過ぎか。順調だね」
四人は円陣を組むように座っている。落ち葉が敷かれた大地は暖かく、座り心地は悪くない。
ハイドが鞄から取り出した銀色のそれは手鏡のようで全くの別物だ。
これは懐中時計であり、傭兵ならば必需品と言えよう。
短針は九の数字を指している。
レッドハットと出会えるチャンスは午前中に限られるらしく、リミットは残り数時間と言ったところか。
つまりは、焦る必要などない。
そうであるとわかっているからこそ、彼らは一旦腰を落ち着かせている。
「いや~、いっぱい狩っちゃいましたね」
「うん、すごかった……」
エウィンが笑顔を向ければ、アゲハも答えるようにはにかむ。
この休憩は彼女を考慮してのものだ。
一時間以上もの間、移動しながらウッドファンガーを燃やし続けた。
その結果、彼女の足取りはどうしても鈍ってしまう。
ハイドは同行者をいたわることを忘れない男ゆえ、談笑を兼ねた息抜きを提案した。
「キノコ地帯の掃除、ほぼほぼ完了か。すごいもんだ」
「ああ。やはりエウィンの天技は凄まじい。イエスだな」
レーダーのように周囲の敵影を把握することが出来る。探すという手間を省けるのだから、魔物の討伐は想定以上に順調だ。
「お役に立てて良かったです。僕としては、アゲハさんの炎の方が驚きなんですけどね」
「青い炎も十分すごいと思うよ。燃えカスすら残らないなんて、間違いなく必殺の天技だ」
エウィンの意見がハイドを大きく頷かせる。
メルも魔攻系の傭兵として、感想を述べずにはいられない。
「魔源を消耗しない利点は大きい。近寄る必要はあるが、そこはエウィンがカバーするのだろう?」
「まぁ、そうですね。アゲハさんには体力をつけてもらって、活動の幅を広げたいと思ってます」
小休止ゆえに彼らは盛り上がる。
本命の獲物は未だ見つからないものの、狩りそのものはすこぶる良好だ。出会って二日目の傭兵が顔を突き合わせているのだから、実体験や噂話など、話題が尽きることがない。
前方には木々の代わりにキノコ達が群生しており、森林と言うよりは別の何かだ。周囲を広葉樹でか困れていようと、この一帯は異質と言う他ない。
樹木特有の匂いにほんのりと混じった甘い香り。
木々に遮られない、太陽の光。
それらを堪能しつつも、時に笑いを交えながら話し込む。
とは言え、ここには遠足目的で訪れたわけではない。
頃合いを見計らうように、ハイドが本題について尋ねる。
「エウィン君、魔物は後どれくらいかな?」
「森の方も含めますと、この辺りには二十体くらいいます。ただ、向こうの方まではわからないです」
四人は現在地は、キノコ地帯からわずかに外れた森の中。大量のキノコが一望出来る場所に陣取っているのだが、エウィンのレーダーは現在進行形で敵影を捉えている。
「うん、そこまでわかれば十分だ。そろそろ再開しよう。エウィン君、引き続き先導してもらっていいかい?」
「もちろんです。今度は引き返すような感じで……、ん?」
立ち上がり、進行方向を見定めた瞬間だった。
視界の範囲内には魔物の姿は見当たらず、不気味なキノコ群だけが映っている。
しかし、その違和感を無視することは出来ない。勘違いの可能性は捨てきれないが、どちらにせよ確認すべき事柄だ。
「あっちの方、朽ちた木がいくつか並んでる辺りに、突然魔物が現れました。さっきまではいなかったはずです」
現在地からは死角となっており、この情報が嘘か本当かは確認しようがない。
そうであろうと疑う理由もなく、ハイドは我先に歩き出す。
「了解。念のため、俺とメルが先行する」
「わかりました。僕達はお二人の後ろを」
進軍開始だ。キノコの栽培地を彷彿とさせる大地へ、四人は再び足を踏み入れる。
「なんとか踏まないよう努力しても、やはり踏み潰してしまうな」
「どうせ毒キノコ。オレは気にしてない」
「そうなの? 案外食べられそうな見た目してるけど……」
歴戦の傭兵であろうと、キノコの種類までは見分けがつかない。彼らの多くは調理されたものを食べるだけゆえ、仕方がないと言えばそれまでだ。
「アゲハさん曰く、シイタケとかテングダケとか色んなのが混在してるみたいで、きちんと選べば食べられるのもあるとかかんとか……」
「へー、そういう知恵もきっと必要なんだろうね。俺達はそういうのからっきしだからな。キノコと言えばウッドファンガーだし」
判別出来れば、食費を浮かせることも可能だろう。
ハイドは静かに唸るも、ウッドファンガーを狩れるのなら、小さなキノコをわざわざ収穫する必要もない。
「あ、もう間もなくです。遠ざかるように移動してるみたいですが、このペースなら……」
ある程度近寄れば、多数のキノコに溶け込むウッドファンガーも視認可能だ。
ましてやそれが、巨大かつ赤色ならば尚更だろう。
先頭のハイドがわずかに減速すると、三人も静かにペースを落とす。
「いた、あいつだ。間違いない。やはりエウィン君を誘って正解だったな」
「ああ。傘も棒の部分も赤い。レッドハット、イエスだな」
率直な感想を述べずにはいられないほどに、前方の個体は赤色だ。六本の根を足代わりに働かせ、散歩でもするようにそれは歩いている。
メルの言う通り、その魔物は赤い。
頭部の傘も、体の傘も、他の個体とは異なり血のような赤色だ。
異なる点がもう一つ。傘の表面には白色のまだら模様が装飾のように存在しており、その姿はベニテングダケに似通っている。
「あれが八万イールの特異個体……」
エウィンにとってはその程度の魔物だ。
見つけられた時点で自身の役割は果たせたとも考えており、周囲を警戒しながらも指示を待つことに徹する。
アゲハは相も変わらず黙ったままだ。体力、足の速さで遥かに劣ることから、はぐれないよう必死に歩いている。
ハイドがついに立ち止まるも、ここからは改めて作戦会議の時間だ。
「見渡した限り、魔物はアレだけっぽいけど、この認識であってるかい?」
「はい。もう少し進んだら五体くらいいますけど、まぁ、ドンパチしたところで気づかれる心配はなさそうです」
ゆえに、ここには四人と一体しかいない。
邪魔される心配はない上、特異個体は人間の接近に気づけていないのだから、この時点でハイド達の方が優勢だ。
「魔物じゃないキノコを巻き込んじゃうのは少しかわいそうな気もするけど、メルのインフェルノでさっさと終わらせよう」
「ウッドファンガーの弱点は火属性。セオリー通り」
「そういうこと。エウィン君、魔法の届く位置まで近づくよ」
「はい。念のため、警戒は続けます」
それぞれがそれぞれの役割を自覚していることから、話し合いは手短だ。
ハイドが先陣を切り、じりじりと歩みを進める。
メルがそれに続くも、右手は既に杖を握っており、後はタイミングを伺うだけ。
エウィンはアゲハを庇うように前進するも、索敵だけは怠らない。
大地とキノコを踏み進めること数分。四人はついに、真っ赤な魔物と対峙する。
「メル」
「気づかれた。まぁ、問題ない。こっちも既に射程内」
このやり取りを合図に、傭兵達が立ち止まる。
ハイドの右手は剣を抜く準備を終えており、メルのやる気も十分だ。
数歩後ろの二人だが、現状では様子を伺うことに徹している。四人という状況に慣れておらず、言い方を変えるなら、指示無しでは動くことが出来ない。
動かないという意味では、前方の魔物も同様だ。
もっとも、赤いキノコは棒立ちではない。警戒心を高めながら、人間の立ち振る舞いを凝視している。
訪れた静寂は、呼吸を整えるための猶予。
長身の傭兵が右腕を動かし、杖を突き出す。この動作は開戦の狼煙そのものだ。
「さぁ、始めるぞ」
この声と同時に、メルの体が光に包まれる。詠唱に伴う発光現象であり、いくつもの泡が生まれては消えゆく様は、これが破壊行為の準備であろうと目を見張るほどに美しい。
選んだ先制攻撃は上位の魔法。そうであると裏付けるように、メルは五秒もの間、この光をまとい続けた。
「インフェルノ」
狩りの時間だ。
同時に終わりを意味する。
それほどの情景だった。
レッドハットと命名された特異個体を囲うように、巨大な火柱が大地から四本も噴き出す。
真っ赤なそれらは轟々と燃えており、その熱気は空気すらも燃やすほどだ。
これらの出現は前段階でしかない。
そうであると裏付けるように、四本のそれらが一斉に中央を目指し始める。
包囲されている時点で逃げ場などなく、ましてや一瞬の出来事だ。魔物は四方向から迫る炎に飲み込まれ、合流した火柱がその火力を高めると、その内側で全身を炙られ続ける。
しかし、まだ終わらない。
巨大化した炎が爆発するように四方へ自身を拡散させる。上位魔法である以上、被害は周辺にまで及ぶ。
まるで火山口からマグマが漏れ出たような光景だ。辺り一面が完全に焼かれており、その範囲内には草一つ残っていない。
インフェルノ。魔攻系が習得する火属性の攻撃魔法。火球を発射するフレイムの上位互換であり、その威力は比べるまでもない。習得者は少なく、メルがその内の一握りだ。
本来ならば、この魔法を森の中で使用してはならない。資源でもある樹木を多数燃やしてしまうばかりか、その余波は山火事を引き起こしてしまう。
しかし、ここはキノコがひしめくイレギュラーな土地。
ましてや特異個体に認定された強敵が相手ということから、ウッドファンガーの弱点でもある火属性の攻撃魔法は最善手と言えよう。
ゆえに、これでレッドハット狩りは終了だ。
後はルルーブ港のギルド会館に戻り、報酬の八万イールを受け取れば良い。
山分けゆえ、一人当たりの収入は二万イール。高額とは言い難いが、決して悪くない。宿代や食費の足しとしては十分だろう。
誰もが勝利を確信していた。
ゆえに、燃える大地の中心で、真っ赤な巨大キノコが直立している光景には誰もが目を疑ってしまう。
「メル、加減なんて……」
「していない。そういうの苦手」
「だよな。だったら可能性は……」
特異個体は存命だ。インフェルノの熱気は四人にさえ届いており、この一帯の空気は汗ばむほどに暑くなっている。
それでもなお、わかることはある。
真っ赤なキノコには、火傷の形跡すら見当たらない。傘に存在した白いまだら模様は焼失したが、変化としてはその程度か。
この状況に対して、ハイドは即座に三つの可能性を見出す。
この特異個体が、火属性の魔法に対し高い抵抗力を備えている。
もしくは、魔法への完全耐性。
あるいは、自分達より遥かに格上の魔物なのかもしれない。
今回の獲物は、ウッドファンガーの変異体だ。そういった事情から、侮れないとは言え、そこまで手ごわいとは予想しづらい。身長百五十センチの児童が大人になったところで三メートルには至らないように、いかに特異個体と言えどもその実力が桁違いに向上するとも思えない。
そのような希望的観測は、次の瞬間に打ち砕かれる。
未だ高温なその中心で、レッドハットが淡い光をまとう。
その結果、ハイドは眉をひそめずにはいられなかった。
「キノコが、魔法だと?」
ありえない。
しかし、ありえない話でもない。
イダンリネア王国の学者が長年調査し続けた結果、一つの学説を導き出す。
魔法とは本来、魔物の専売特許だったのかもしれない、と。
そう結論付けた理由の一つが、魔物が内包する魔源の総量だ。
魔源とは魔法の発動に必要な燃料であり、メルのような魔攻系の傭兵は当然ながら、エウィンでさえ少量ながらも保持している。
そして、魔物も例外ではない。
最も弱い草原ウサギも、この森に潜むウッドファンガーも、魔法を使えずとも魔源を蓄えている。
知識人を驚かせた調査結果の一つが、魔物の魔源が人間とは比較にならないほどに膨大だったことだ。
何十倍。
何百倍。
必要ないはずの魔源を、魔物達はなぜかその内側に貯め込んでいた。
傭兵や軍人でさえ、魔法を何度も使えばあっという間に魔源を使い切ってしまう。スタミナ同様に少し休めば回復してくれるのだが、どちらにせよ魔法の使用回数は限られる。
対して魔物はその心配はない。
いかに連発しようと、魔源の底が見えないからだ。
王国お抱えの学者、研究者達は仮説ながらも結論付けるしかなかった。
魔法と魔物は切っても切れない関係であり、あるいは魔法とは魔物から発生したのかもしれない。
あるいは逆か?
魔法という神秘が零れ落ち、魔物がその形を成した可能性もありえる。
真実は未だ不明ながらも、ハイドとメルは現実を受け止めるしかない。
真紅のウッドファンガーが、魔法を詠唱している。
この時点で驚きなのだが、そうであろうと彼らは考えなければならない。
相手がどんな魔法を使ってくるのか?
それを知る術はないのだが、詠唱の長さで予想することは可能だ。
(逃げるか?)
ハイドの方針は悪くない。
しかし、実行は不可能だ。
なぜなら、詠唱は既に完了していた。
メルは見覚えのある魔法に、小さく唸ってしまう。
「く、そう来るか」
気づいた時には手遅れだ。
男は既にそこから一歩も動けない。黒紅色のローブを揺らすことや、白い髪ごと頭を振ることは出来るのだが、両脚が地面から離れてくれない。
エウィンはこの魔法を見たことがない。
アゲハもそれは同様だ。
ハイドは自身も使えることから、驚きながらもその魔法を言い当てる。
「グラウンドボンド……」
弱体魔法、グラウンドボンド。支援系の人間が習得する魔法の一つ。狙った相手をそこに縛り付けることが可能であり、地面に引っ付いて離れないように見えるも、正しくは空間そのものに縛られている。
発現の合図は足元に現れる黄色の輪っかだ。それが急激に縮み、対象の真下で点になると、狙われた側はそこから動けなくなる。
効果時間は最大三十秒。この時間は魔法の使い手と標的の実力差によって変動する。
例えるなら、今のアゲハがこの魔法を習得し、エウィンの拘束を試みたところで、縛れる時間は一瞬か数秒程度だろう。
もしくは、魔法そのものが成立しない。
弱体魔法は相手を傷つけることが出来ない上、成否すらも読みづらい。
そういった事情から重要視されることはなく、エウィンも安堵の息を漏らしてしまう。
「良かった。これなら何ともないですね」
しかし、彼らは即答出来ない。
傭兵の中には、弱体魔法を軽視する者もいるのだが、二人に関しては異なる。
足止めがいかに有効か、経験的にも知識としても知っていた。
「やばいか?」
「ああ」
ハイドがぼやくと、メルも前方を凝視しながら覚悟を決める。
一方、後ろの二人だけが何もわかっていない。
ゆえに、問わずにはいられなかった。
「え? 何が、あ……」
エウィンもついに気づいてしまう。
遥か前方の魔物が、再び白く輝いている。
新たな魔法の詠唱だ。
その時間は二秒を経過した。グラウンドボンドの詠唱時間は二秒ゆえ、今回はそれ以外の魔法が選ばれたということになる。
三秒経過。
この時点で、ハイドとメルは最悪の状況を想定してしまう。
弱体魔法ではない。
強化魔法でもないのだろう。
回復魔法でもなければ、下位の攻撃魔法もありえない。
つまりは、かなり絞り込めた。
その結果、メルの脳裏に全滅の二文字が浮かび上がる。
「オレのことは構わず……」
言い終える時間すら残っていなかった。
五秒経過と同時に、大地が彼らを飲み込むように轟音を響かせる。
大地震のような揺れは単なる前触れだ。
四人の頭上に出現した、無数の巨大岩。
その数を把握することなど不可能だろう。
猶予が与えられれば数えることは可能な数量だ。
しかし、それらは瞬く間に、そして隕石のように降り注ぐ。上を見上げた時には何もかもが手遅れだ。
一つ一つが建物を粉砕するほどの破壊力を持ち合わせており、それらが勢いをつけて落ちてくる以上、狙われた側はひとたまりもない。
グラットン。土属性を司る、上位の攻撃魔法。多数の岩石を生み出し、それらを投げつけるように落下させる。圧倒的質量で生物を潰すという、シンプルかつ絶対的な殺傷手段だ。
抗えない。
抗えるはずがない。
そうであると裏付けるように、彼らは成す術なく下敷きになった。
メルは言わば人質だった。
グラウンドボンドで拘束された以上、この傭兵だけは逃げられない。
ゆえに、ハイドは術中にはまるようにためらってしまった。
自分だけならその場から避難出来ていたかもしれない。
しかし、相棒を見捨てられない以上、打開策を探してしまう。
その結果がこれだ。
巨大な岩と大地が、彼らを挟んで潰す。
人間の一部は魔法を使う。
魔物の一部も魔法を使う。
たったそれだけのことだ。
戦場で二つの魔法が交錯した結果、どちらかの命が潰える。
変わらない事実であり、揺るがない真実だ。
数の優劣など関係ない。
魔法なら、それすらも覆してしまう。
特異個体。
魔物の変異体。
あるいは、人間を減らすための奇策か。