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黒焦げの大地で、それは歓喜に震える。
魔物にはとある命令が組み込まれており、言い換えるなら存在意義そのものだ。
人間の駆逐。
この戦いで、四人の邪魔者を始末した。
実行可能な強さが、赤い体には宿っていたということだ。
先ほどまでの騒音が嘘のように、今は静まり返っている。耳をすましたところで、誰かの足音さえも聞こえない。
勝因は攻撃魔法、グラットン。
その結果がこれだ。降り注いだ大岩達が、この地を埋め尽くしている。
特異個体狩りという名目で訪れた四人の傭兵。彼らが下敷きになった以上、戦場には巨大キノコしか見当たらない。
レッドハット。赤いだけのウッドファンガーではない。魔法を駆使し、今回も人間を殺してみせた。
死体を確認したわけではないのだが、手間をかけるまでもない。
無数の岩はそれぞれが人間よりも大きく、その重量は生物はおろか建築物さえ容易く押し潰せる。
ならば人間などひとたまりもない。
戦場には焦げ臭い空気が充満しており、先ほどまでなかった大岩が鎮座したまま。この地の風景が一変した理由は、二発の魔法に他ならない。
火の上位魔法と土の上位魔法。
どちらも強大な威力を誇り、そればかりか広範囲に被害をもたらすことから、キノコ地帯は見るも無残な状況だ。
その結果が彼らの敗北であり、特異個体は勝ち誇っている。
魔法の威力は詠唱者の魔力によって左右されるのだが、今回はこの魔物が勝っていた。
それだけのことだ。
一仕事終えたことから、赤いキノコが六本の根で歩き始める。
この世界から四人の人間を掃討出来た以上、ここには用がない。
一人でも多くの人間を殺したいという欲求は、魔物にとっては至極当然な行動原理だ。
煤まみれの地面を、スルスルと当てもなく進む。
どうやら人間の方から現れてくれるらしい。
探す手間が省けるのだから、ここで待ってていても良いのだろう。
しかし、殺したいという本能がそれを拒む。
他にすることも見当たらないため、人間探索を開始せずにはいられなかった。
そのはずだった。
違和感が六本の根を停止させる。
落下し、今はオブジェのように鎮座する大岩だが、その内の一つがゆっくりと上昇を開始する。
赤いキノコは即座に歩みを止めると、目がないにも関わらず、その様子を観察するように凝視する。
ありえない光景だ。
大地を埋め尽くす岩は、小石でもなければ空洞でもない。持ち上げることなど、到底不可能のはずだ。
「ぬおおぉぉぉ」
血の底から響く、うめき声のような何か。発生源は動き始めた岩の直下であり、その意味するところをこの魔物は見抜けない。
仮に理解出来たところで、もはや手遅れだ。
「だぁ!」
もはや受け入れるしかない。
魔法が生み出した岩とは言え、その硬さと重さは本物だ。
人間如きを潰せないはずがない。
ましてや、放り投げるなど絶対に不可能だ。
そのような常識を覆す存在が傭兵であり、その少年だった。
「怪我はありませんか?」
若葉色の髪を揺らしながら、前後を確認することから始める。自身は無傷な上、緑色の上着さえ汚していない。黒い長ズボンの膝には土がついてしまったがが、その程度で済んだことが既にありえない。
エウィン・ナービス。十八歳の傭兵。
自身の何十倍も重たい岩を受け止めてみせた。その身体能力が本物であることは、たった今証明された。
「助かったよ」
「オレも問題ない」
ハイドとメル。彼らにも損傷の後は見受けられない。
そして、彼女も無事だ。
「わたしも、だいじょぶ……。エウィンさんは?」
「もちろん平気です。頭打ったので、そこだけちょっとズキズキしますけど」
つまりは、両手と頭の三点で岩の降下を防いでみせた。
さらにはどかすように放り投げたのだから、常軌を逸した腕力と言えよう。
満面の笑顔で頭頂部を大げさにさするエウィンだが、外傷もなければ出血も見られない。
ぶつけた頭に関しても、たんこぶの類は出来ておらず、つまりは上位魔法に晒されてなお無傷で乗り切れた。
そうであろうと、彼女は声を荒げずにはいられない。
「あ、す、すぐに治すね!」
アゲハは必死の形相で歩み寄ると、右手で恩人の胸元に触れる。深葬こと青い炎と異なり、傷を癒す際は体のどこに触れようと構わない。
それゆえのボディタッチなのだが、彼女の態度にはエウィンだけなく、居合わせた大人達も驚かされてしまう。
「おぉ、痛みがあっさりと。ありがとうございます」
アゲハの必死さに仰け反りながらも、礼を述べて誤魔化す。
もしくは取り繕う。
どちらにせよ、彼女の不安を払拭するために、エウィンは笑顔を作るしかない。
冗談半分の発言が原因で心配をかけてしまった。
そう反省しつつも、ここからは本題だ。
「グラウンドボンドに、今のは多分、グラットンですよね?」
エウィンは経験不足の傭兵だ。経歴の長さだけで言えば相当に長いのだが、実際には十一年もの間、草原ウサギだけを狩っていたため、蓄えている知識は浅い。
それでも、魔法の名前くらいなら言い当てることが可能だ。傭兵として最低限の教養であり、自分が習得していなくとも、魔法と戦技については把握しなければならない。
四方は巨大な岩まみれ。正面を見据えたところで魔物の姿は確認不可能だ。
それでも、ハイドは特異個体がいる方向を眺めながら、感想を述べる。
「グラットンで間違いない。俺達もこの魔法に晒されたことは初めてだ。魔物が、しかも上位の攻撃魔法なんて……。特異個体、侮ってはいなかったけど……」
レッドハットと名付けられた今回の標的は、既に二人の傭兵を殺している。その数字が六人に増加する可能性もあったのだから、ハイドとしても肝を冷やしてしまう。
「あいつは魔法を使う。その上、インフェルノが通用しない。イエスじゃないな」
「あぁ。撤退も視野に入れつつ、先ずは弱点を調べよう。エウィン君、俺達は前に出るから、アゲハさんを庇ってて」
この四人は即席のチームであり、リーダーは最年長のハイドだ。
その年齢は二十八歳。
次点でメルが二十六歳ゆえ、比べてしまうとエウィンはどうしても幼く見える。
「わかりました。ここに隠れていればいいですか?」
多数の岩が降り注いだことから、前後左右が行き止まりだ。ここに収まっていた岩は前方に投げつけたため、局所的に窪地となっている。
残念ながら、その目論見をハイドは否定しなければならない。
「いや、グラットンの岩はすぐに消えるから、そのタイミングで少し下がって欲しい。魔法が届かない場所まで、ね」
「なるほど、わかりました」
いかに魔法が非常識と言えども、万能ではない。
キノコ地帯を部分的に覆う岩達は、グラットンという攻撃魔法の産物だ。
大人が数人集まったところでびくともしないだろう。これらが放置されれば、景観は損なわれてしまう。
しかし、心配ない。ハイドが言った通り、これらは時間経過で幻のように消え去ってしまう。言ってしまえば魔法の限界であり、例外は火や雷の魔法がきっかけとなった延焼くらいか。
火種が魔法だとしても、樹木や建築物、そして船であろうと鎮火しなければ燃え続けてしまう。
ゆえに、森の中ではフレイムやインフェルノの使用は避けたい。
今回はキノコ地帯ゆえに開幕の一発をおみまいしたが、標的はほぼ無傷で健在だ。
その理由を、ハイド達は探らなければならない。
「メルのスプラッシュを合図に、俺も突っ込む」
「了解」
第二ラウンドに備えての話し合いは、一言二言で完了する。
やるべきことは明白。倒すためにはそのための手段を探らなければならない。
現時点で判明していることは二点だけ。
火の攻撃魔法が通用しなかったこと。
グラウンドボンドとグラットンを使うこと。
これらから考察すると、この特異個体はやはりイレギュラーな存在だ。
ウッドファンガーは魔法を使わない上、火の魔法を弱点とする。
そのどちらもが否定された以上、ここからの戦闘は手探りだ。
「こっちは結果を見ずにコールオブスパークを使う」
「どちらかは通用するはず、か」
メルが賛同する理由は、同じ予想に行き着いたからだ。
火の魔法が通用しない場合、その魔物は火属性もしくは水属性に当てはまる可能性が高い。
属性の種類は全部で八個。
火、氷、風、土、雷、水。
そして、光と闇。
この世界にはこれだけの要素が存在しており、それぞれに得意と不得意がある。
火属性の魔物には、火と氷が通用しない。
水属性の魔物には、水と火が通用しない。
インフェルノで焼けなかったことから、ハイドはレッドハットの属性を火属性か水属性と仮定した。
ゆえに、それぞれの弱点を突くことから始める。
火属性の魔物は水が苦手。
水属性の魔物には雷が効果的。
そういった事情から、メルに水属性の攻撃魔法を任せ、自身は雷属性を担当する。
まさに阿吽の呼吸だ。長年、二人で活動しているからこそ、最低限のやり取りで済ませてしまえる。
そういう意味では、エウィンとアゲハは未熟者なのだろう。
「合図があるまで待機してます。あのう、アゲハさん? もうどこも痛くないので……」
前だけを見つめてはいるが、少年は先ほどから困惑しっぱなしだ。
体のあちこちを、アゲハにペタペタと触られている。両腕から両脚に至るまで、チェックするように撫でまわされているのだが、その理由は問うまでもない。
「あ、そうなの? 良かった……」
彼女は心の底から心配していた。
巨大な岩に潰されかけらのだから、不安感を抱くことは至極当然だろう。
それゆえに頭部以外の負傷を探していたのだが、エウィンとしてはくすぐったい上にわずらわしいだけだ。
(頭以外を怪我してたとしても、さっきので治って……。まぁ、ツッコミは無粋か。心配してるだけっぽいし……)
アゲハの認識を正せたところで満足するも、この少年はわかっていない。
彼女は確かに心配性だ。自尊心が低いとも言い表せる。
しかし、それだけではない。
アゲハがエウィンに向ける感情の正体は、底が見えない依存心だ。
ウルフィエナという見知らぬ世界に転生を果たしたことで、彼女は恐怖に飲み込まれた。元から心が弱かったことから、恐れおののいて当然だ。
そのような状況下において手を差し伸べられたのだから、恋愛感情のような何かが芽生えたとしても不思議ではない。
だからこそ、心配してしまう。
依存してしまう。
エウィンも正義感の裏で自らの野望のために彼女を利用しているのだから、そういう意味ではお互い様なのかもしれない。
アゲハを地球に帰す。
アゲハを庇って死にたい。
両立しない目的を胸に抱きながら、今は言われた通り、守ることに徹する。
「あ、本当に消え始めた。それじゃ、下がってます」
四人を取り囲んでいた岩達が、砂塵と化して消滅する。
その結果が再会であり、再開だ。
真っ先にメルが詠唱を開始すると、ハイドも間髪入れずに続く。
「スプラッシュ」
「コールオブスパーク!」
彼らが光に包まれていた時間はどちらもおおよそ二秒。
メルは既にグラウンドボンドによる拘束から解放されており、歩くことは可能だ。
しかし、先に駆け出したのはハイドだった。隣の相棒から発射された塊を追いかけるように、魔物を目指す。
スプラッシュ。水の攻撃魔法。詠唱者の魔力によって大きさは変わるのだが、眼前に水で球体を作り、砲弾のように発射、標的に撃ち込む。
メルの場合、作られた球体の直系は胴体の横幅をわずかに超えており、水のボールと呼ぶにはいささか大きいが、これは玩具でもなければ競技用の道具でもない。魔物を殺すため、迷いなく直進する。
対してハイドが使用した魔法はコールオブスパーク。強化系に属するこれは、自身の拳もしくは武器に雷をまとわせることが可能だ。
彼の右手は灰色の片手剣を握っており、その刃が雷のように発光するばかりか、バチバチと静かに轟いている。
魔物の虚をつく連撃だ。
潰したはずの人間達が生きていた。この事実に驚いてしまった時点で、レッドハットは反応すら出来ない。
空中を突き進む水の塊と、棒立ちな巨大キノコ。どちらも一メートル近いサイズゆえ、両者が衝突すれば大惨事だ。
そのはずだが、期待は裏切られる。
「だとしても!」
ハイドが猛る。既に距離を詰め終えており、飛び散る水滴にも怯まない。
水の攻撃魔法をぶつけられてもなお、レッドハットは無傷のままだ。真っ赤な傘は歪むことすらなく、太い柄も直立を維持している。
バケツで水を浴びせられた程度なのか、そこから一歩も下がらない。
樹木すらも容易に打ち砕けるほどの威力がメルのスプラッシュには秘められている。水の重量は重く、さらには矢のように速いのだから、その破壊力は大砲と同等かそれ以上だ。
しかし、通用しない。
この魔物は涼しそうに立ち続けている。
そうであろうと、彼らは驚かない。
仲間達に見守られながら、ハイドが赤いキノコへ斬りかかる。その刃は雷を帯びており、触れた者を感電させることが可能だ。
レッドハットの右隣を追い越す刹那、赤い胴体を切り裂くように刃を走らせる。手を伸ばせば届く距離ゆえ、ハイドほどの傭兵ならば斬り損ねるはずがない。
(この手応えは……)
そのまま走り抜け、勢いそのままに振り向けば、ハイドとメルで標的の前後を抑えることになる。
ハイドの剣はスチール製だ。七十万イールと高額なのだが、それだけの切れ味が保証されている。
傭兵にとって、この等級の武具は一人前の証だ。巨人族さえ屠れるのだから、ハイドのスチールソードはあらゆる魔物を切り伏せられる。
鋼鉄製の刃は伊達ではない。
その事実は揺るがないのだが、ハイドは眉間にしわを寄せる。
「ちょっと斬れたけど、思ってた以上に硬い。しかも、水と雷が通らなかった? メル! 他の魔法を試してくれ! 俺がこいつを引き付ける!」
「了解。詠唱は既に済んでる、グラニート」
斬ることは出来た。
しかし、灰色の刃は命に届いていない。
そうであると裏付けるように、レッドハットの負傷は小さな切れ込みに留まっている。人間ならば出血が伴う傷なのだが、これはシイタケの姿を模倣した魔物であり、血液など流れてはいない。
ましてや痛覚がないのか、胴体の切り傷を無視するように直立を維持している。
ハイドの言い回しは正確ではない。
この魔物は決して硬くはなく、その表面は菌糸類同様に柔らかい。
にも関わらず両断出来なかった理由は、切れにくいからだ。
つまりは、ありえないほどに頑丈ゆえ、刃が奥までめりこまなかった。
この特異個体がいかに手ごわい魔物か、改めて実感させられる。
それでも、成果は得られた。ついに傷を負わせられたのだから、悲観する必要などない。
その一方で、この攻防を手放しでは喜べない。
なぜなら、二種類の魔法が通用しなかったからだ。
水の攻撃魔法、スプラッシュ。
雷の強化魔法、コールオブスパーク。
どちらも命中したのだが、この特異個体は平然としている。
ハイドとメルはレッドハットの特性について目途をつけているのだが、結論を出すのは全てを試してからだ。
それゆえの指示であり、メルの対応も迅速だった。
赤いキノコが背後の人間を警戒するも、翻弄するように新たな魔法が行使される。
グラニート。土を司る攻撃魔法。グラットンが上位に対し、こちらは下位に属する。地面を盛り上がらせ、対象にぶつけることで殺傷を行うのだが、その威力は侮れない。大地の重量をそのまま衝突させるのだから、狙われた側は軽傷では済まないだろう。
そのはずだが、赤いキノコはびくともしない。打たれた部位が正面なのか、背中なのか、それすらも判別出来ないものの、レッドハットは傘をゆっくりと揺らしながら悠然と立っている。
「まぁ、そうなる……だろうな」
「イエスじゃないな。だとしても……、ストーム」
ハイドとメルは離れており、叫ばない限り互いの声など届かない。
それでもやるべきことは明白ゆえ、次の手を迷いなく繰り出せる。
赤みがかった黒いローブ。それをヒラヒラと躍らせながら、誰よりも長身のメルが魔法の詠唱に取り掛かる。
ストーム。風属性の攻撃魔法。不可視の刃で相手を切り刻めるこれは、ほぼ必中と言っても差し支えない。フレイムやアイスクルのように何かを発射するのではなく、標的を取り囲んだ状態で魔法が成立するためだ。
向けられた杖の前方で、赤いキノコがかまいたちに襲われる。
見えない刃物が音を立てて斬りかかる光景は、魔法だからこそあり得る現象だ。
その手応えに、先ずはハイドが口角を釣り上げる。
「弱点はやっぱり風属性か。と言うか、それ以外の魔法が一切通用しないなんて……」
ありえない。
ありえないはずなのだが、今回の標的は特異個体。何が起きても不思議ではなく、経験豊富な彼らだからこそ、戸惑い、手間取ってしまった。
「こいつは土属性の魔物。だから使う魔法も土。弱点も必然的に風」
メルも正解を言い当てる。
土属性の魔物は土と雷に耐える一方、風には弱い。
だからこそ、ストームで傷つけることに成功した。
もっとも、本来ならば火や氷の魔法も通用するはずだ。
にも関わらず、風の攻撃魔法以外が一切無効化された理由は、この特異個体がそういう能力を持ち合わせているとしか考えられない。
イレギュラーかつ厄介な耐性だ。場数を踏んできたハイドやメルでさえ、このような魔物とは出くわしたことがない。
「わかってしまえば……。コールオブストーム!」
赤髪を揺らしながらの詠唱は、わずか二秒で完了する。
スチールソードの雷鳴が霧散すると、入れ替わるように突風が付き従う。
コールオブストーム。強化魔法の一つ。武器に風を付与する効果ゆえ、この戦闘においては大いに役立つはずだ。
彼らはついに見出した。
この魔物には物理的な攻撃の他に、風の攻撃魔法が通用する、と。
ゆえにハイドは斬りかかり、メルは離れた位置からストームで応戦する。
可能ならばエウィンも戦力として組み込みたいのだが、アゲハを守らなければならない以上、それは難しい。
彼女に魔法が向けられた場合、間違いなく殺されてしまう。離れていればその危険は排除出来るのだが、今度は別の魔物を警戒しなければならないため、どの道、庇う必要がある。
だからこそ、キノコ狩りはハイドとメルが最適だ。この魔物と出会うことが出来たのだから、後は倒すだけで良い。
そのような甘い考えは、新たなる魔法によって打ち砕かれる。
「また……」
「詠唱だと」
ハイドが斬りかかろうとした瞬間だった。
レッドハットが三度目の詠唱を開始する。透き通るような白い光を放出しており、誰を標的とし何を使おうとしているのか、この時点では判別出来ない。
そうであろうとハイドのすべきことは一つだ。あわよくば詠唱を中断させるためにも、突風をまとわせた刃を振り下ろす。
まな板に置いたシイタケを縦に二等分するように、全力でスチールソードを走らせるも、結果は残念としか言いようがない。
(く、やはり!)
真っ赤な頭部に浅い切れ込みを作ることは出来たが、せいぜいがその程度だ。
この魔物が見た目以上に頑丈なことは承知の上で力を籠めるも、致命傷は与えられない。
ハイドは怯むことなく、様々な角度から斬りかかるも、やはり両断にはほど遠い。刃を深々と突き刺すことさえ不可能だ。
鋼鉄以上に硬い何かがウッドファンガーの着ぐるみを着ている。そのようなありえないことを連想するほどには、この魔物は頑丈過ぎた。
ゆえに打開策を練らなければならないのだが、特異個体は待ってはくれない。
詠唱の完了と共に発動した魔法は、グラニートだった。
「ぐぅ⁉」
「メル!」
盛り上がった地面が体当たりのような要領で、メルを後方へ吹き飛ばす。
彼はエウィンとアゲハの真横を一瞬で通過し、勢いそのままに広葉樹に激突、そのままそこに倒れ込んでしまう。
生死は不明だ。少なくとも、軽傷では済まないだろう。
そして、惨劇は終わらない。
真っ赤な巨大キノコは棒立ちのまま、またも詠唱を開始する。
次は何だ?
ハイドは当然ながら、エウィンも身構えずにはいられない。
わかっていることは一つだけ。
魔物が狙っている人間はハイド以外にありえない。魔法には射程があり、エウィンとアゲハはその外側へ避難済みだからだ。
(どっちで俺を?)
ハイドは自身に向けられるであろう凶行を二個に絞れている。
先ず、グラニートはありえない。魔法には再使用までに少し待たなければならないため、間髪入れずの連続詠唱が不可能だからだ。
ゆえに候補はどちらかなのだが、答え合わせは考えている間に済んでしまう。
男の足元に出現した、黄色い輪。それは地面に書かれた円ではなく、とある魔法の発現を意味する。
それは即座に縮み、最後は点となって消滅するも、この時点でハイドは後ずさることすら出来ない。
「グラウンド……!」
グラウンドボンド。対象をその場に拘束する弱体魔法だ。
この時点では無害と言えよう。現状では足が動かなくなっただけゆえ、痛くも痒くもない。
しかし、ハイドは青ざめる。目の前の特異個体が繰り返すように詠唱を開始したためだ。
(次の魔法は……!)
先ほどと同様のパターンなら、次は攻撃魔法の順番だ。
逃げられないよう、詠唱時間の短いグラウンドボンドで退路を断ち、続けざまに強力な攻撃魔法を浴びせる。魔物にしては小賢しい戦法ながらも、それゆえに人間を効果的に殺せる。
グラニートかグラットンか?
どちらにせよ、彼には身構えることしか出来ない。
実はこの魔物同様にハイドはグラウンドボンドを使えるのだが、この状況では何の意味も成さない。
ゆえに、覚悟を決める。
レッドハットの詠唱は三秒目に突入しており、この時点でグラニートは除外だ。
残るはグラットン。広範囲に岩を降らす、上位の攻撃魔法。
殺される?
耐えられる?
答え合わせの機会は数秒後に訪れるも、残念ながら正解を知ることは出来ない。
その前に、勝者と敗者が決定してしまうからだ。
「え?」
予期せぬ事態がハイドを驚かせる。
突然、眼前の真っ赤な巨大キノコが体の大半を失ったからだ。
メルの魔法も、スチールソードの刃すらも受け付けない頑丈さに偽りはない。ハイドの手に残る痺れが、鋼鉄製の刃を跳ね除けた証拠そのものだ。
そのはずだが、頭部代わりの真っ赤な傘が、そこにない。赤い柄もいくらか削られており、人間で例えるなら胸元付近から上が何らかの方法で消滅したような状態か。
ハイドにわかることは一つ。
その瞬間、緑色の突風が横切った。
力強く、なによりこの場の誰よりも速いそれが、今回の獲物に襲いかかったことは明白だ。
「よっし! ダメ元でしたが、何とかなりました」
減速を終え、仲間との合流を目的とした方向転換の後、緑色の髪を揺らしながらエウィンが満面の笑顔を彼らに向ける。
何をしたのか?
ハイドは未だわかっておらず、相槌を打つ余裕がない。
ゆえに、少年の独白は続く。トコトコと歩く姿はどこか幼いが、身体能力の高さはたった今証明された。
「足が折れても構わないと覚悟して、思いっきり蹴飛ばしてみました。いやはや、実は自分でもビックリしてます。いや、本当に……」
うぬぼれているわけではなく、紛れもない本心だ。
エウィンは自身の強さを計りかねている。本来ならばありえない状況だが、ゴブリンに殺されかけた際に、身体能力がありえないほどに向上したためだ。
自身がどこまで通用する傭兵なのかわからないため、それを知るためにもルルーブ森林を訪れたのだが、ここのものさしでは足りないのかもしれない。
「足が折れてもって……。はは、すごいな、エウィン君は……」
さすがのハイドも呆れるように笑ってしまう。
倒せないばかりか、逃げることすらもままならない。それほどの窮地に追いやられるも、眼前の傭兵が一瞬にして覆してくれた。
ゆえに、喜ぶ前に驚いてしまう。
「い、いえ。色々あって、自分でもよくわからなくて……」
「謙遜ってわけでもないのかな? まぁ、そこらへんのことは帰り道にゆっくりと聞かせてもらうよ」
勝利の実感をゆっくりと噛みしめる二人だが、遠目でそれを眺めるアゲハは独りぼっちだ。
しかし、男二人が楽しそうにじゃれている姿には、自然と笑みを浮かべてしまう。
「何が起きたのか、わからないけど、が、眼福……。あへ、あへ」
惚れた男が活躍した。それだけでも喜ばしい。
彼らの会話は聞こえないのだが、どうやらエウィンが褒められているらしく、アゲハはその姿を焼き付けるように凝視する。
ここには彼女しかいない。それをわかっているからこその独り言だ。
そういう意味では誤算だった。
「ここまでとは、な。全力……かどうかはわからないが、全力疾走を伴ったキック。イエスだな」
「え?」
彼女のに、吹き飛んだはずのメルが飄々と立っている。
黒紅色のローブがいくらか汚れているが、出血の類は見当たらない。その表情は普段通りに不愛想ながらも、その身長を活かしてアゲハの頭越しにハイドとエウィンを見守っている。
「オレとハイドの二人では苦戦していた。礼を言おう。さぁ、合流だ」
アゲハの返事を待たずに男は歩き出す。
一方、彼女はその場から動けない。前触れもなく後ろから話しかけられてしまったがゆえに、極度の緊張中だ。
人間不信は未だ治らず。
心を許したのはエウィンだけであり、一時的な仲間であろうと例外にはならない。
「おう、メルも無事だったか」
「ああ。ちょっと痛むが、どうということはない」
そんなやり取りが聞こえてきたが、アゲハはかかしのように棒立ちのままだ。
レッドハット。真っ赤なその姿は周囲のウッドファンガーとは違うことを意味しており、三人は戦いの中でそれを痛感させられた。
鍛錬も兼ねてエウィンは同行するも、考えが甘かったと知ることとなった。
特異個体。魔物の突然変異か、はたまた単なる個性なのか。どちらにせよ、侮ってはならない存在だ。
エウィンは勝利と共にそう学ぶも、大人達二人に頭を撫でられながら考える。
(ハイドさん達の実力は本物……。んでもって、今回のキノコも他とは桁違いに強かった。じゃあ、僕はどのくらいなんだろう?)
今はまだわからない。
この地に滞在している間は、調べようがない。
これもまた、学びの一つと言えるのだろう。
「帰ったら、昼飯をご馳走しよう。遠慮せず、食べてくれ」
「え⁉ だったら、粗挽き羊肉の汁なしうどんはありですか⁉」
ハイドの提案にエウィンは必死の形相で問いかける。
それは同時に、自身の希望でもあった。
「何それ? メル、知ってる?」
「ああ。粗挽き羊肉の汁なし月見うどんでも構わないぞ」
「そんな! 月見……、月見って何ですか?」
盛り上がる彼らを他所に、彼女は未だ動けない。
それでも、男三人がじゃれつく姿から、アゲハはちゃっかりと栄養を補充する。
「眼福ぅ、あへぇ……」