テラーノベル
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キスされそうなぐらいの至近距離に、整った顔が接近したので、私は真っ赤になって後ずさる。
すると暁人さんはクスクス笑って、「ナイショ」と言った。
彼はポケットからスペアのカードキーを出すと、私に手渡す。
「鍵がないとエレベーターも動かせないから、なくさないように気をつけて」
「はい」
「駐車場は地下。タワマンじゃないけど、一応、出勤時にはエレベーターの待ち時間に気を付けて。あと、俺は出勤時は車だけど、芳乃は別途出勤してほしい。ここからホテルまでは歩いて三十分弱。自転車なら十分も掛からないと思う」
「じゃあ、自転車を買います」
「明日の日曜日、外商に家まで来てもらおうと思ってるんだ。君の服や靴、化粧品、生活雑貨とかを整えたいから。その時に良さそうな自転車も数台持ってきてもらおう」
「そっ、そんな……! 申し訳ないですから、自分で買います。キッチン周りはともかく、これからホテルで働く件については自分自身の事ですし」
「〝恋人役〟を忘れてない? 同棲するだけじゃなくて、デートもしないと、いざという時にそれっぽい雰囲気を作れないと思う。それに俺は恋人を甘やかして、色々買ってあげたいタイプなんだ」
「うう……」
さっきから暁人さんにグイグイ押されてばかりだ。
――と、不意に暁人さんが自分の鎖骨の下を指でトントンと打って言った。
「それ、素敵だね」
言われて首元に手をやると、昔ある人から贈られた、有名ブランドのペンダントがある。
ずっと当たり前につけていたけれど、改めて指摘されると懐かしい気持ちに駆られた。
「ありがとうございます。大切な物なんです」
「大切な物?」
彼は目を瞬かせる。
「はい。恋人ではないんですが、私には価値があると教えてくれた人が、プレゼントしてくれたんです。渡米してくじけそうになった時も、このペンダントを見ると勇気づけられました」
微笑んでペンダントの事を説明すると、彼は笑う。
「物を大切にする人なんだね。きっと、贈った人も喜んでいるんじゃないかな」
「……だったら、いいですね」
そのあと、いつまでも立ち話をしていてはなんだからと、自由時間にする事にした。
私は荷ほどきをして、あまり多くはない服をウォークインクローゼットに収めていく。
(こんなに立派なウォークインクローゼットなら、高級な服がズラリと並ぶべきなんだろうなぁ……)
それに対し、私が引き出しにしまっているのは、少しくたびれたTシャツなどだ。
ヨレヨレになった物は捨てているし、外に着ていっても恥ずかしくない服のはずなのに、この立派なウォークインクローゼットにしまっていると、なんだかとても恥ずかしくなる。
(〝外〟と〝中〟を合わせるって大事なんだな)
そう思いながら脳裏をよぎったのはウィルだ。
彼は自分に相応しい女性を婚約者にした。日本から来た一般人の私では駄目だったのだ。
今なら比較的冷静に理解できるけれど、それでもあの仕打ちは酷かった。
(……決まった相手がいるなら、事前にちゃんと言ってくれれば良かったのに。好きだったから別れ話を切り出されたら傷付いたと思うけど、『家や会社のためにお嬢様と結婚しなければならない』と説明されたら、ちゃんと引き下がる事ができたと思う。……なのに私の事を一方的に迷惑な人扱いして……)
思い出すと胸の奥がどす黒く染まってムカムカし、やりきれない想いに駆られる。
(不毛だから、あんまり考えないようにしよう)
そう決めた私は、バッグからコードレスイヤフォンを出すと、それで音楽を聴きながら片付けを続けた。
十一時四十五分から、十分の休憩をとったあと、私はキッチンに向かった。
「片付けは終わった?」
リビングで映画を見ていた暁人さんは、私を見て微笑みかけてくる。
「途中ですが、物が少ないので順調です。キッチンを見させていただきますね」
私はそう言って、立派なアイランドキッチンに向かう。
キッチン台はダークトーンのウッド調で、とても高級感がある。
家電はビルトインで、大型の冷蔵庫も含めてレンジや冷凍庫、ワイナリーや食器用クローゼット、調味料の棚などが、一見スッキリとした壁のように隠されている。
冷蔵庫についている液晶だけは表に出ているけれど、私はこういうタイプの冷蔵庫は初めてなので困惑する。
「この液晶はどんなふうに使いますか?」
「冷蔵庫の温度を設定したり、センサーでドアを開けたりできるよ。あと、食品を冷蔵庫に入れる時にAIカメラが認識して、連動するアプリで冷蔵庫の中に何が入ってるか確認できる」
「凄い!」
まさかそんな冷蔵庫があると思わず、私は声を上げる。
コメント
1件
若いけど、なかなか策士な様子の暁人さん…♡ 辛いめに遭い傷付いて帰国した芳乃ちゃんだけど…😢 暁人さんならきっと大丈夫❣️ 彼にお姫様のように大事に扱われて、いっぱいいっぱい甘えちゃおう‼️♥️♥️♥️🤭