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独特な油絵の具の匂いに、風でひらひらと運ばれてきた桜が絵の具のつまった水道に吸い込まれる。四階の端にある美術室の椅子に座らされ、俺は目の前でキャンバスに筆を走らせる空澄を見つめていた。
「ああっ! あずみん、動いちゃダメだぞ!」
「少しぐらい動かしてくれよ。というか、いつ終わるんだ?」
「うーん、夏までには!」
「それ、絶対終わらないだろ」
季節は巡って春になり、俺達は早くも三年生になった。時の流れという物は年々早くなってきているようで、止ることも知らない。過去を振返ろうにも過ぎ去ってしまったそれはただの道でしかない。
ざっくり一年前だったか、さらに一週間後、病院から連絡を貰い、空澄が目覚めたと俺はすぐさま病院に向かって走った。起きたという空澄は、病室に行けばケロッとした顔で「おう、あずみん、久しぶり!」なんて呑気に言ったものだから、思わず手が出そうになってしまった。だが、殴るために握っていた拳を離して俺は、ただ純粋に良かったと安堵した。泣いているのかと聞かれたが、別に泣いてはいなかった。だが、それぐらいにはよかったと、心の底から思った。
そこから、空澄の身辺には監視の目がつき、すぐ隣ではないが、いつもみられているような生活が始まった。空澄は「嫌だよなあ~」と珍しく顔を歪ましており、こういう時だけ父親面する空澄の父親は「空澄が危ないから」という理由で勝手にボディーガード兼、監視役をつけたらしい。全く勝手な話だった。アミューズの手がかりも掴めずじまいで、そっちの捜査を進めた方がいいというのに。
(綴は、今年も一緒のクラスだったが、全然顔も見かけてないし、何処で何やってんだろうな……)
奇跡的にも、綴とは今年も一緒のクラスで隣の席同士だったが新学期が始まってからまだ顔もみていない。ただそこに綴の名前があったから、今年も同じクラスかと思っただけで、あれ以降喧嘩別れのような物をしてしまったため、会わせる顔がなかった。
「う~ん、今日はここまでにしよっかな!あ、あずみん、前に俺様が描いた油絵みるか?」
「見せてくれるなら、勿論みるが……」
「ちょっと待っててくれ持ってくるから……あ! まだこれは完成してないから、勝手にみちゃダメだからな。ぜーったいみちゃダメだからな!」
「フリかよ……」
そんな呟きなど聞いていない空澄は準備室から前描いたという絵を持ってくるために席を外した。
空澄の絵は何度か見せて貰っているが、全く絵になど興味なかったような、俺が中学生の頃勝手に美術部でいいんじゃないか? と言い出してからずっと続けている。そのせいか、それとも才能あってか、そういうのに疎い俺でも引き込まれるほ力があった。
そうして、戻ってきた空澄は自分よりも大きなキャンバスをうんしょ、と見えやすい位置に置くと、絵の中の世界が色鮮やかに映し出された。
そこには、満開の桜が咲き誇っており、風で舞い上がる花びらが空一面を埋め尽くしていた。まるで、空澄の気持ちを表しているかのように綺麗で、そして何処か孤高感が漂っている。
「桜……だな」
「桜だ!」
「どうしてこれを?」
「俺様な、一応四月に生れたっていうから、桜を描いた!」
単純だなと思いつつも、そういえばもう少しで空澄の誕生日だったなと思い出し、今年は何をプレゼントしようかと頭は考え始めていた。
目の前の空澄の桜をみていると心が浄化される気がして、ずっと眺め続けていられそうだった。
(凄いよな……)
一芸があるということは凄いことだと思う。何作品かコンクールで賞も取っているみたいで、益々空澄の腕は上がるばかりだった。それを隣で見続けてきたことに少し優越感もある。
(そういえば、空澄は進路……どうするつもりなんだ?)
新学期早々配られた進路の紙。逃げようにも逃げれない受験生となり、今だ何も決まっていない状況に多少の焦りを感じていた。だから、空澄は何処に行くのかと気になってしまっていたのだ。財閥を継ぐためにそういう系の大学を選ぶべきなのだろうが、俺もそうだが、空澄の頭でいけるかどうか。
ふと、横にいる空澄のことが気になって、視線を向ける。すると、空澄は俺が見ていることに気づいたのかこちらに振り向いた。
俺と空澄の目が合う。宝石のようなルビーの瞳をみていると自分の考えていること何てちっぽけだと思ってしまう。
「どうした? あずみん?」
「なあ、空澄。空澄はどこの大学に――」
「ああっ!」
「うわっ、何だよ。吃驚した……どうした、大きな声出して」
「俺様、担任に呼ばれてるの忘れてた。あ、あずみん、後片付けよろしくな!」
じゃ! と手を振って目にもとまらぬ早さで空澄は美術室を出て行ってしまった。引き止める時間も無く。
「ったく、俺は片付け方なんて知らないぞ……」
油絵の具の片付け方は少し違うようだし、油のついた筆を洗う為のものもあるようだし……と、前に空澄に聞いたことがあったが全く覚えておらず、椅子の上に置きっぱなしのパレットと、筆をみて俺は手を止めた。
先ほどの進路のこと、俺の未来のこと。
(俺は、何になりたいんだろうな)
一度出た答えを消しゴムで消してしまったかのように、俺は自分の未来を進路を画けずにいた。