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『名前を呼べたのは、あの日まで』
prtg
pr視点
病室は、音がなかった。
正確に言えば、音はあるのに、耳に入ってこなかった。
点滴が落ちる音。
機械の規則的な電子音。
カーテンの向こうで誰かが歩く気配。
全部が遠い。
ぷりっつは、ベッドの横に立ったまま、動けずにいた。
椅子に座ると、何かを「覚悟した」みたいで嫌だった。
ベッドの上のちぐは、目を閉じている。
顔色は悪い。
でも、寝顔だけ見れば――いつもと同じに見えてしまうのが、いちばん残酷だった。
「……ちぐ」
声が、思ったより掠れていた。
返事はない。
当たり前なのに、胸の奥がじわっと痛む。
ぷりっつは、ちぐの手にそっと触れた。
驚くほど冷たくて、反射的に指を引っ込めそうになる。
「冷た……」
笑いに変えようとしたけど、声が続かなかった。
昨日まで、ちぐは普通に笑っていた。
「ぷりちゃん今日ね、コンビニでさ」
そんな、どうでもいい話をしていた。
それなのに今は、
胸が上下しているかどうかを、必死に目で追っている。
「なぁ……」
言いたいことは山ほどあった。
でも、どれも言葉にすると壊れそうで、選べなかった。
沈黙の中で、
ぷりっつは思い出していた。
ちぐが無理して笑う時、
決まって少しだけ声が高くなること。
帰り道、疲れてるはずなのに
「大丈夫」って言う癖。
全部、気づいてた。
気づいてて、何もしなかった。
「俺さ……」
喉が詰まる。
「ちぐがおらんくなるとか、
考えたこと……なかってん」
言った瞬間、自分が最低だと思った。
ちぐの指が、わずかに動いた。
ぷりっつは息を止めた。
心臓が、うるさいくらい鳴っている。
「……ちぐ……?」
ゆっくり、まぶたが上がる。
焦点の合わない目が、少しずつぷりっつを捉えた。
「……ぷり……ちゃん……」
その声は、
今にも消えそうで、
でも確かに「生きてる」声だった。
「ちぐ……!」
名前を呼んだだけで、涙が落ちた。
「泣いちゃだめ……」
ちぐは、かすかに眉を下げた。
「泣いてると……
俺、行きにくくなる……」
ぷりっつは、思わず首を振った。
「行くとか言うな……」
「帰ろ。なぁ、帰ろうや……」
子どもみたいな言葉しか出てこない。
ちぐは、少しだけ笑った。
いつもの、優しい笑い方。
「……無理、なの……」
一瞬で、世界が崩れた気がした。
「ぷりちゃん……」
ちぐは、握られている手に、力を込めようとした。
でも、ほとんど力は入らなかった。
「……好きだったよ……」
過去形。
「ずっと……
言われなくても……
わかってた……」
ぷりっつは、声が出なかった。
喉が、胸が、全部ぎゅっと締めつけられる。
「俺は……」
やっと出た声は、震えていた。
「好き……」
「今も……これからも……」
ちぐの目に、涙が溜まる。
「……それ、聞けただけで……
ほんとに……」
息が、乱れる。
「…ぷりちゃんと…一緒に、年取るって思ってた……」
心電図の音が、少しだけ速くなる。
「…ごめんね……」
「謝るな!!」
ぷりっつは、思わず声を荒げた。
「謝るんは俺や……!」
でも、もう遅かった。
ちぐの視線が、ふっと天井に逸れる。
「……ぷり……ちゃん……」
それが、最後だった。
電子音が、一定の音に変わる。
長く、冷たい音。
誰かが走ってくる音。
医師の声。
肩を掴まれる感覚。
でも、ぷりっつは動かなかった。
ちぐの手を、離せなかった。
「ちぐ……」
「なぁ、ちぐ……」
何度呼んでも、返事はない。
ーーーーーー
数週間後。
ぷりっつは、ひとりで帰り道を歩いていた。
いつも、ちぐと並んでいた道。
信号待ちで、無意識に隣を見る。
「ちぐ、赤やで」
言ってから、気づく。
隣には、誰もいない。
胸が、ぎゅっと潰れる。
それでも、
ぷりっつは小さく笑って、空を見上げた。
「……なぁ、ちぐ」
声は、震えていなかった。
「俺、まだ呼ぶで」
「忘れへんから」
返事はない。
それでも。
名前を呼ぶたび、
確かにそこに「いた」ことだけは、
消えなかった。
コメント
4件
切ない😢 でも、やっぱりかちゃまの小説最高すぎる…!
ねえほんと好き😭天才