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雪柱の遺言書
朝になり、しのぶが紬希の体温や血圧を計ろうと部屋を訪れると、そこには紬希の布団の横にもう一組布団が敷かれ、無一郎が規則正しい寝息を立てていた。
『あ、しのぶちゃんおはよう』
「おはようございます、紬希さん。……これは一体………」
『無一郎くん泣き疲れたのかあのまま寝ちゃって。勝手にお布団引っ張り出してきてごめんね』
「いえ、それはいいんですが。…布団を敷いて、どうやって時透くんをそこに寝かせたんですか?まだ幼いといえど身体を鍛えた男の子ですし、しかも眠っているとなれば力も抜けて相当重たいと思います。紬希さんも体力が落ちているでしょうから抱えるのは難しいと思うんですが……」
頭が追いつかず、紬希に質問するしのぶ。
『ああ、大分前に教わった介護技術を応用したの。ひいおばあさまの介護をしてた時にね。少ない力で相手を動かせるのよ』
「そ…そうなんですか……」
全く。この人はこんなに若くしてどれだけの知識や技術を身に着けたのやら。
「…紬希さん、今日は体調どうですか?」
『元気よ。昨日と一昨日で色んな人が会いに来て力を分けてくれたおかげね』
にっこりと笑う紬希。
これは無理をしている笑顔ではないのが分かるので、しのぶも少し安心する。
「…ん……」
隣の布団に寝ていた無一郎が目を覚ました。
『無一郎くん、おは……!?』
紬希が言いかけて目を見開いた。
「どうしたんで……!?」
しのぶも思わず言葉を途切れさせてしまう。
「?」
2人が驚くのも無理はない。
無一郎は昨夜、散々泣いて泣いてそのまま眠ってしまった為に、瞼が土偶のようにパンパンに腫れ上がっていた。
「…おはようございます、つむぎさん、しのぶさん。……あれ?なんかあんまり目が開かない…」
怪訝な顔をして無一郎が目を擦る。
『あぁっ!無一郎くん…!…っふ……擦っちゃだっ…だめよ……ふふ…っ』
必死に笑いを堪えながら、紬希が無一郎を制止するのが可笑しくて、しのぶも思わず口元が緩んでしまう。
「…っ…時透くん……蝶屋敷の浴室を使っていいですから、湯浴みして着替えて来てください」
『そうね、それがいいわ。身体を温めて、…血流をよくして……ふっ…』
「?…はい」
言われるがままに離床し、浴室へと足を運ぶ。
そしてそこで初めて、自分の顔を鏡で見て驚く無一郎だった。
大分恥ずかしい思いをしたが、この顔のおかげで、夜の蝶屋敷を訪ね、病人の部屋で朝を迎えてしまったことへのお咎めは免れた。
朝風呂を済ませ、着替えを終えた無一郎が紬希の部屋に戻ると、彼女も隊服こそ着ていなかったものの、着物に袴と、普段と同じ化粧をして机に向かって何かを書いていた。
「つむぎさん。起きてて平気なの?」
『あ、おかえり無一郎くん。そうね、不思議ときつくないわ。…瞼の腫れも少し引いたわね』
紬希が氷嚢を無一郎に手渡す。
『首筋のところを上下に冷やしていれば、少し早く腫れが引くから』
「ありがとう。……紬希さん何書いてるの?」
紬希が筆を走らせていた紙は、既に5枚を超していた。
『…遺言書よ。鬼殺隊に入隊した時に書いた遺書とはまた別のね。』
「遺言書……」
無一郎が顔を曇らせる。
『そう。自分の屋敷とか財産とかどうするか、ちゃんと書いておかないと周りが困るのよ。後回しにしてたのを思い出して慌てて書いてるの。見る?』
「…僕が読んでもいいの?」
『全く問題ないわ』
そこには丁寧な字で、紬希の生家や仕事道具、柱になってから建てられた雪柱の屋敷を彼女の死後どうするか、財産の行方や持ち物の処分に至るまで事細かに記されていた。
無一郎が読む傍らで、紬希は更に筆を走らせる。
“鬼殺隊からの給金や神職として奉仕し供えられた初穂は、全額まとめたその半分を鬼殺隊に返金、もう半分は、街の恵まれない子どもたちへの支援に使用する。”
“着物・雑貨・装飾品は鬼殺隊内で必要な者に譲る。”
などなど。
そして、“自分の死後、亡き骸は宮景家の墓のある場所ではなく鬼殺隊内の墓地に葬ってほしい。”とも書かれていた。
それを見て、また視界がぼやけていく無一郎。
唇を噛んで天井を見上げ、涙が零れないように高速瞬きを繰り返す。
ひとつ、気になったことがあった。
「つむぎさん……」
『なあに?』
「“雪の呼吸”の継承はどうなってるの?育手とか継子とかいるの?」
『…ああ、それね』
そう。彼女の遺言書には、雪の呼吸に関する文章が全くなかったのだ。
『雪の呼吸はね、私が独自に編み出した呼吸法と剣技だから、師範もいないし弟子もいないの。もちろん、呼吸は風と水っていう大きい派生元があるんだけどね。無一郎くんがこの間見てくれた舞…、あれは宮景家に代々伝わる舞で、それを織り交ぜて剣技にした部分も多くある呼吸だから』
「そう…なんだ……」
そうしたら、育手も継子もいないなら、舞を継承する一族も途絶えてしまっているなら、紬希が死んだら雪の呼吸は誰ひとりとして扱えないということになってしまう。
それは寂しい。
「今からでも遅くないよ…僕が継子になる!」
『…ありがとう、無一郎くん。いいのよ。あなたには霞の呼吸が合ってるんだから。それにね、鬼の始祖を倒せば、呼吸を継承する必要もなくなるの』
紬希が度々口にする、鬼を倒すという言葉。
それほど、その未来は確実なのだろうか。
眉をハの字に下げる無一郎の頭を、紬希はいつもの穏やかな笑顔で軽く撫でた。
〔無一郎〜〜!!任務ヨ!!無一郎〜〜!〕
甲高い声がして、紬希の静養する部屋の縁側から銀子が入ってきた。
『任務ですって。無一郎くん、行ってらっしゃい』
「…うん……」
行きたくない、と思ったが、そんな駄々を捏ねるわけにはいかない。
『ほら、急いで隊服に着替えて。…銀子ちゃん、無一郎くんをよろしくね』
〔マッカセナサ〜イ!〕
他の隊士には生意気で高飛車な態度をとる銀子だが、紬希にはよく懐いていた。
『無一郎くん』
名前を呼ばれ、部屋を出ようとした無一郎が振り向く。
『気をつけて行ってらっしゃい。しっかりね』
紬希がいつもの優しい笑顔でそう言ったのに、なぜだか無一郎は胸の中がざわつくのを感じた。
「……っ。…うん、行ってきます」
胸のざわつきを振り払い、無一郎は隊服に着替えて銀子と共に任務へ向かった。
それが、紬希と交わした最後の会話となった。
つづく