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「だけど、サワグチ。お前、俺のこと思い違いしてるだろ。」
「ん…何が?」
何となく、空気が変わったような気がした。これまで不可解なだけだった笹岡が、既によく知っている友人くらいには感じられている。笹岡の方も、さっきよりも砕けた感じで窓際に設置されている棚の上に肘を置き寄りかかっている。
「だから…この間のことだよ。一階のトイレの事。覚えてない?」
「ああ。あれね。
お前って、ホモなの?」
「…」
「いや。もしかして、バイ?両方いけるっていうやつ。」
「…」
「なあ。」
「さあ。」
笹岡は横を向いたままで、何故か応えない。
怜は何故かムッとする。
「あれって、生徒会の会長だろ。お前らって一体どういう関係…」
「そう、言うけどね。逆なんだよ。俺が、やったかのように見えたかもしれないけど、俺がやられてたの。」
「は…。」
「いや、違うな…いったいどう、説明…うーん。
正確にはさ、ゆすられてたの。それで、トイレまで連れて来られて、さあってなったから、俺がもっと酷い事やってやったんだよ。」
「ゆすられてたって、あの生徒会長に?」
「うん」
「うんって。」
けれど笹岡はそう言ったきり、黙り込んでしまう。怜は明らかに混乱して来ていた。ついこの間起きた事、それ自体は友人同士のおふざけ程度で流そうとしていたのかもしれず、状況についてあまり深く考えることをしていなかった。
生徒会長から?
別の学校の、女子生徒から?
それから、4組の田中のさっきの剣幕。にやっと笑う笹岡の顔。
それから、自分が笹岡に向かって調子に乗ってした事。
「え…あいつって、そんな事するの。」
「そうだよ。」
「はあ…?じゃあ、ゆすられるってことは、その前に笹岡は何かしでかしたって事。」
「俺が?まさか。」
「じゃあ、」
何となく、怜は(ホモだ)と思った。
コイツの正体は、普通の男じゃないっていう事なんじゃないか。それに何かの拍子で気付いた会長が、興味を抱いてちょっかいを掛けた。そう考えると筋道が立つ、というより、気ままな笹岡の正体が一気に把握出来たような気さえした。
俯いている笹岡の顔を見て、怜は妙な気持ちになっている事に気付く。
腹が立つ。
無性にそう思っていた。
「…ふうん。分かったよ。
でもお前、もうちょっと気をつけた方がいいんじゃない?」
「…」
「じゃあもう、俺行く。」
そう言った怜の方を笹岡が見る。「帰るの?」笹岡はそう言い、怜は「うん」と応え、荷物をもう一度背負い直して教室から出て行こうとする。
「…サワグチ?」
「…なに」
「ちょっとこっち、向いてみて」
そう言われ、怜は振り向く。一体、何なんだと思い、それが顔にも出ていたかもしれない。
目に映ったのは窓際に寄りかかっていたままの笹岡の姿。それが立ち上がると、こちらへ向かって歩いて来る。
そうして顔がはっきり見えるくらいの近さまで近付いて来たかと思うと、妙なタイミングで笹岡が笑う。
「も一回、してみる」
「は。何を」
すると、怜が応える間もなく、笹岡が怜に向かって抱きついて来る。
唇が触れ合う。怜は驚いているが、怜はお構いなしに舌を怜の口の中へと侵入させて来る。
一瞬、突き飛ばそうかと思った怜だったが、目の前で目を閉じ、怜にキスしている笹岡の顔を見てるうち、だんだんと眠いようなおかしな気分になってきていた。
「おや」
口を離した怜が呟く。
流石に、今度は笹岡を手で突き飛ばした。
怜はよろめくと、怜の顔を見てニヤニヤしている。それから、怜のファスナーの辺りを触っていた手を上げて、「反応してた。」と呟く。
「…お前やっぱ、ホモなんだろ。」
怜は、当たり前の事を改めて聞いてしまったと思う。それでも怜は応えず、自分の荷物を置いてあった辺りへ向かうと、怜に向かって「…秘密、ちゃんと守っておいてね。」と呟く。
帰り道。
怜はあちこち寄り道し、すっかり暗くなった夜の道を歩きながら考えていた。
笹岡は、同性愛なんだ。もしかすると、バイなのかも知れない。まあ、それはいい。問題があるとしたら、今日起きた事だった。
怜に取っては初めてのキスだった。正確には二度目だが、普段部活やクラスでも男子に囲まれて、平気で過ごしていた怜はドラマや漫画なども、殆ど男ものしか取った事がない。怜に取って笹岡という存在は未だ持って不可解なものに見えて来ていた。
口の中に入って来た笹岡の舌の感触がやけに鮮明に焼き付いている。それから、何故か目を閉じていた笹岡の顔。
それを思い浮かべると、怜は自分の顔が熱くなっている事に気がつく。
「そう言えばさあ、そこの席の人って、何してるのかな」
友人の一人が急に呟く。2年になるにあたって、留年するような生徒も居たが、おそらくこの新学期から一度も埋まったのない席はその正体不明の「ハヤシ」という生徒のものなのだろう。
「俺、知ってるよ。商店街経営してるとこの一人息子だって」
「どこの?」
「うーん。ブティックなんとか、って言ったかな。」
「ふうん。」
誰もそれを、笑う友人は居なかった。無論全員に両親が居るし、進路に不安を感じる年齢でもあった。
「あ。そういえば、4組の笹岡っているだろ。
あいつも、一年の時休んでたんだよね」
怜はつい今しがた思い出したように聞いてみる。
「ああ。確か、先天性のなにか病気があるらしくて、体が弱いんだって。」
「え。そうなの?」
「あんまよく、聞いたことないけど。
一年の頃はもっと小さくて、すっごい大人しくてさ。女子が友達なんだと思ってた。あいつ」
「ふーん。」…今は、と言いかけて怜は口籠る。
そんなこと、全く知らなかった。つくづく、自分が知らないことは全く知らないまま、平気で生きているんだなと思う。
とぼとぼと走り込みをしている怜達に、三年から大声が掛かり、はっとした顔をしてそれぞれが速度をあげる。その後も、張り切った主将の思いつきのせいで、何周も走らされたあと、汗だくでグラウンドの砂の上に友人とともに座りこんで居る。
「おい。言われるぞ」
友人が立ち上がり、声をかけられた一年もさっと立ち上がる。怜はそれを眺めながら、余裕のあるそぶりでまだ膝を立ててグラウンドを眺めている。
「怜。おまえ、バイト始めるの?」
同級生の悠里から話しかけられる。
「うん。夏休みの間だけね」
「ふーん。小遣い、足りないの?」
「足りるわけないじゃん。欲しいものいっぱいあるもん」
二人は立ち上がり、集合している場所へと歩いて行く。
でも別に、何かを言うわけでもない。進路も決まって居なければ、それを相談したいと思うわけでもない。
翌日の朝、教室に入る前に聞き覚えのある声から話しかけられる。
「おはよう」
振り向くと佐藤ユウが立って怜の方を眺めていた。
「おはよう」怜がそう返すと、ユウが微笑む。
「あのさ…この間、怜が話してた写真集のことあるでしょう。」
「写真集?」
そういえば、この前呼び出された時に、ユウに言ったかもしれない。無名の写真家の写真集で、自分が叔父さんから譲り受けたもの。
あまり物持ちのよくない怜だったが、それが自分の部屋から無くなったあと、Amazonや古本屋のどこを探しても置いていない。
「妹が、もしかしたら売ったのかも」
そう言うと、ユウは笑っていた。
「うちの従兄弟が、それ持ってるんだって。もうかなり古くて、本棚の奥に置いてあるだけらしいんだけど…要る?」
「えっ。いいの?」
怜が驚いた顔をすると、ユウが頷く。
「まじで。お金払った方がいいよね」
「えっ。いいよそんなの。もう、見てもいないらしいから。」
「本当」
「…。」
その時、始業開始5分前のベルが鳴る。やけに間延びした音で、周りの生徒が動き出す様子が見える。怜は、ユウが何か言うのを待っていたが、そのうち友人から呼ばれ、とりあえず別れを告げる。
「じゃあね」
怜がそう言うと、ユウが一瞬、不可解な顔をする。
その顔を見て、怜はギクッとする。
ユウは身を翻したかと思うと、背中を向けてすぐそばの自分の教室へと戻って行った。
怜も自分の教室へと向かう。
しばし、自分の席に座りぼーっと肘をついたままで考えごとをしていた怜だったが、ざわめいたまんまの教室の中で、村岡が先日、怜に向かって言っていた事が胸を掠めていた。