巨大なバケモノの胸の傷口からはシューシューと黒い煙のようなものが噴き出し続けている。
同時に、コユキの意識の中に、何か不思議な波動が流れ込んでくる気がし、軽い頭痛を感じた。
コユキの口から本人も意識しないまま言葉が漏れる。
「オ? オルクス……?」
一瞬呆けたように口にした後、やや間を置いてはっ、と我に帰り目の前のバケモノを注視すると、噴き出す煙に反比例して、体全体がボロボロと崩れて小さくなり、あっという間に巨大な体躯は消え失せ、その場に黒々とした灰だけが残ってしまったではないか。
「やだっ、あ、あれぇ? こ、殺しちゃった…… のかな? ……うん? まあ聖女? ……うん、まぁそうね、あたしはそれはそれは清い処女(オトメ)だけどさぁ…… えっ、うわぁっ、アタシの大事なかぎ棒がぁー、あー汚い! やだーキモいぃー」
コユキは手に持ったかぎ棒に、床に残った物と同じ黒い灰がべっとりと付いている事が嫌だったが、大事な事を思い出す。
「はっ! みんなは! こうしちゃいられん、急げー! リョウコー! リエー!」
ひとまず自分の命は助かったらしいことにほっとした後、家族はどうなってしまったのか急激に不安になってきた、当たり前だ。
大きな声で妹達の名前を呼んでみたが、なんの返事も無かった。
不安な気持ちがどんどん高まり、コユキの足を母屋の中に向かわせる。
家の中は静まり返っていた。
……冷蔵庫のうなる音だけがやけに大きく耳に響いてくる。
コユキは見たくない、想像したくない、そう思っていた光景を前に思わず息を飲んだ。
廊下にはツミコ、台所にはミチエとトシコがぐったりと倒れていたのである。
恐る恐る近付いて順番に指でつついてみたが、揃ってピクリともしない。
「えぇ! しっ、死んでる…… う、嘘……」
余りの事にコユキは太った顔を両手で覆い、言葉を失った。
そして、呆然と家族たちの遺体(?)を見つめ続けた。
「む? でも何か変よね? 血とかも出てないし」
得体の知れ無いヤギ頭のバケモノの襲撃を受け、家族全員生きているのか死んでいるのか分からない状況。
しかし、コユキは冷静でどっしり、そしてでっぷり構えているように見えた。
この惨状を目の当たりにして僅かな時間で落ち着きを取り戻すとは、端から見ると冷酷にさえ感じる。
コユキは最初、皆の顔や体を確認するまでは、死んでしまったのだと思い込んだ。
だが、コユキにとって目の前で起きている事を無理やりにでも自分とは関係の無い事、
『何も感じない、私は平気、いつもと変わらない状況、平常、平常、平常』
と自身に言い聞かせ更に、
『あたしのせいじゃ無いし、関係無いし、はぁ? 何言ってんの、バカじゃん』
と、居もし無い相手と脳内で口論を始め勝利を収め、最終的には思考を停止させる事を成功させていたのである。
彼女に取って無理やり気持ちを麻痺させることは、容易な事だった。
精神状態異常無効だった、耐性じゃない無効だ、完全防壁だ。
周囲の人達からの、
「デブ!」
「くっせ~!」
「ダイエットしたら?」
「キモイ!」
などの有難いアドバイスを一切聞かない様にする為に、幼少期より鍛え上げてきたスキルである。
但し今回に限っては、
――――大丈夫、大丈夫、きっと大丈夫! なんでもない、なんでもない! 今は気を失ってるだけ! それに私のせいでも無いし、気にするな! 気にしちゃダメ! 大丈夫、寝て起きれば全部元通り! 元通り…………
と自分に言い聞かせ続けたが、いつもと違い中々逃避し切れないでいた。
不安な気持ちを誤魔化すように、ミチエの顔を何となく触り続けた。
頬に触れても、おでこを擦っても、顎をくすぐってみても反応が返って来る事は無かった。
なかなか現実を受け入れられないコユキは、さらに母ミチエの顔を刺激し続けた。
鼻の穴に指を突っ込んでみたり、両の瞼をひっくり返して見たり、サインペンで眉毛をつなげてみたり……
だがやはり、母ミチエは反応しない。
コユキは段々意地になっていった。
右手で母ミチエの鼻をキュッと摘まむと、左の掌で口を確りとフォールドし、時計に目をやった。
二十分程が経った。
……やはり母は何の反応もしなかった。
当然、苦しそうな素振りも見せない。
コユキの肉に埋まった両目から涙が溢れ出した。
母の鼻を摘まみ、口を押さえた状態のまま、嗚咽(おえつ)を伴いつつ泣いた。
ピクピクピク
不意に手指を通して、母ミチエの体から小刻みな痙攣が伝わって来たのだった。
「っ!」
慌てて、母の鼻と口を解放し、同時に顔を近付けて耳を傾ける。
「すぅぅぅぅぅぅ~」
コユキは涙に濡れたままの|双眸(そうぼう)を大きく見開き、その後満面の笑みで顔を綻(ほころ)ばせた。
「い、生きてんじゃんっ!」
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