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仕事という名目でやって来た為にジークは宮廷魔導師の制服を身に着けていた。騎士のように素早く身体を動かすことはないし、英雄職でもある魔導師の制服は見栄え重視の装飾が多くて堅苦しかった。その襟元のボタンを一つ外してから、ふうっと息を吐いた。これから娘達には長い話をしないといけない、そんなところだろうか。
「ベルが手紙で確認してきた通り、ティグは猫だよ」
「虎じゃなくて、トラ猫ってことですか?」
「そう、トラ猫。よく知ってるね」
そうか、君のいた世界では猫は珍しい物じゃないのかな、とジークは感心したように呟いた。猫にもいろんなタイプがいるのを知っているということは、それらに馴染があるということだ。
「猫って言うと大騒ぎになるからね、ずっと虎の子供で通してたんだけど、意外とバレないものだね」
少し悪戯っぽく笑う魔導師の顔に葉月は見覚えがあった。何かを企んだ時のベルのとそっくりだ。見た目もそうだが、ベルは性格も父親似だと思って間違いない。
「その猫は、今はどちらに?」
「さあ……どこだろうね」
ふっと寂し気な表情に変わる。冒険譚の先の話はジーク本人しか知らない。いや、猫の行方はジークも知らない。
「ある方から、お父様の冒険譚には二種類あると伺って、初版本をお借りしたのですが」
脇に置いていた書籍を父へと差し出す。ケヴィンに学舎から借りてもらった、虎が三匹出てくる物語だ。受け取ると、ジークはパラパラとページを捲って、懐かしそうに目を細めた。
「ああ。最初に書かれたやつだね。ティグの友達も出てくるやつだ」
「本当は、猫は三匹だったんですか?」
ベルが子供の頃に話し聞いていたのは増版本に基づいたもので、虎(つまり、猫)は一匹しか出て来なかった。実の娘に話す昔話でも、父はその存在を守ろうとしていたということだろうか。
「そうだね。実際に私と共に戦ってくれた猫は、三匹だ」
要するに、初版本の方が事実に近いということだった。彼の冒険を物語にしたいという作家に聞かれるままに語ったけれど、完成した物語が出版されてすぐ、迂闊だったと後悔した。猫だろうが虎だろうが、英雄と戦った獣が他にもいるならと、その存在を探し求めて森に入る人が後を絶たなかったのだから。
だから、作家に頼んでラストを書き換えて貰った。初版の在庫は全て買い取って処分した。先に売れてしまった本の回収はできなかったので、二種類の物語が世の中に出回る結果となった。
「ティグ以外の、他の二匹の行方も分からないのですか?」
「古代竜との戦いで怪我を負った猫達は、三匹とも皆、消えてしまったんだよ」
光に包まれて、あっと言う間にね、と話す元英雄の顔はとても辛そうに見えた。瀕死の聖獣がどこに行くのか、その光の行く先を知る者は誰もいない。ジーク本人にとって、あの冒険の結末は決して華やかな物ではなく、仲間との別れを意味する悲しい思い出でしかなかった。
「みゃーん」
しんとする空気を打ち破ったのは、可愛い鳴き声だった。人見知りの激しい愛猫は自分の意志で訪問者の前にその白黒の姿を現した。階段の上の声がした方を見上げて、魔導師ジークは目を見開き、勢いよくソファーから立ち上がった。
「⁈」
「みゃーん」
トトトと軽やかな足取りで降りてくると、驚いて声を出せずにいるジークの足をクンクンと嗅いでから、親し気に擦り寄った。
「君は……生きていたんだね……」
そっと猫を抱き上げて、慣れた手付きでその毛並みを撫でる。猫が居るとは感じていたが、まさかそれがこの子だったとは。
くーはジークの顎に頭を擦り付けて、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「えっ、くーちゃん?」
猫と魔導師の様子に混乱の表情を隠せない葉月へ、ジークは静かに頷いて見せた。猫を抱いたまま、再びソファーへと腰を降ろす。くーは変わらず彼の膝から降りる気配なく、喉を鳴らして甘え続けていた。
「この子は、ティグの友達だよ」
また会えるとは思わなかった、と言葉が続かない。熱くなった目頭を、猫を抱く反対の手で覆い隠した。娘の前で初めて見せる醜態だったが、どうしても抑えることができない。くーは頭を上げて、ジークの顔を覗き込んでいた。
「お父様……」
強く優しい父の見たこともない弱い一面に、ベルも言葉が出なかった。まさか同居猫が父の戦友だったという驚きよりも、会わせてあげることが出来て良かったという喜びの気持ちの方が大きかった。
冒険談を語って貰う度に垣間見た父の寂し気な顔は、幼い頃のベルにはずっと引っ掛かりとなっていた。それが今、少しばかり解けたように感じた。
「すまないね。つい嬉しくて……。この子は葉月ちゃんの?」
「はい。一緒に来ました」
葉月が別の世界からの迷い人だということはベルから聞いていたが、猫も一緒だということはここに来るまで知らされていなかった。葉月と猫との出会いから、転移の際の状況までを聞いている内に、マーサが慌ただしく夕食の準備に取り掛かり始めていた。すっかり夜が近付いているようだった。