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ジークの上着の襟にずらりと並んだ飾りボタンのような勲章を、猫は遠慮がちに突ついていた。光の加減でキラキラと光るのが少しばかり気になるようだ。宮廷から着てきた制服はあっという間に毛だらけになってしまったが、猫が魔導師の膝から離れる様子は無かった。
三十年ぶりに触れた猫の毛並みは柔らかくて暖かかった。懐かしい感触にジークは冒険者として過ごしていた頃のことを思い出していた。
「強さは時として、孤立を招くんだよ」
他の冒険者と上手くいかず、はぐれ魔導師と呼ばれるようになってしまった彼の傍に居てくれたのは、猫だった。人は力の差を気にして離れていくが、猫はそうじゃない。気まぐれだけれど、ちゃんと傍にいてくれた。
「この子が生きているのなら、ティグ達もどこかに居るのかもしれないね」
それがこの子が帰って来た理由なんじゃないかと、ジークは葉月へと語った。
推測するに、彼が猫達と別れたあの時に見た、瀕死の猫達を包み込んで消えていった光の行方は葉月の住んでいた世界だったのだろう。猫達にとってあちらの世界は、傷付いた身体を休めることができる癒しの世界なのかもしれない。
そして、身体も魔力も戻ったので、くーは戻って来た。あちらでの10年がこちらでは30年という経過年月の差は生じたものの、元にいた森に間違いなく帰ってきた。
「友達に会いに……」
古代竜との戦いで、一番深い傷を負っていたのがくーだったとジークは記憶している。確かに、葉月が動物病院でも「車か何かに轢かれたんじゃないか」と言われたくらいの大怪我だった。まさか古代竜と戦った怪我だとは思いもしなかったけれど。
「怪我の癒えた順だとしたら、他の子達はもう戻って来ているのかもしれないね」
勿論、帰って来ない子もいるかもしれないし、断定はできないけれど。もし居るとすれば、猫が迷わず目指してきた、このグランの魔の森なのだろう。
「お父様がティグと出会われたのも、この森で?」
「ああ。森のかなり奥の洞窟の前だったよ」
一人で魔獣討伐の依頼を受けていた時、目当ての魔獣を仕留めてすぐ、油断して警戒を怠ったが故に絶体絶命な危機に陥ってしまった。その時、突如現れたティグに助けられたのだった。ティグは仲間でもあったし、命の恩人でもあった。
「大型の魔獣も、一瞬で消し炭にしてしまうんだよ」
「ええ。くーちゃんも同じね」
猫の光魔法は人知を超えている。圧倒的な魔力を誇る魔導師ジークでさえ、その威力には驚いたようだ。聖獣だから強いのか、強いから聖獣なのか。
「失礼致します」
会話が途切れたタイミングを見計らって、マーサが割り込む。夕食の用意が出来たことを伝えて、三人をテーブルへと勧めた。
「嬉しいね、マーサの食事は何年ぶりだろう」
「マーサの作ってくれるのは、何でも美味しいのよ」
「まあ、ありがとうございます」
ご機嫌で給仕する世話係の様子に、ジークはニコニコと微笑んだ。何だかんだあったようだけれど、娘達もそれなりに上手くやっているようだと安堵した。
ずっとジークの膝の上を陣取っていた猫は、ようやく床に降りると葉月の元へと歩み寄った。手を伸ばして抱き上げると、頬に頭を押し付けるように擦ってくる。小柄な身体を毛並みに沿って撫でると、満足そうに喉を鳴らしていた。
「くーちゃん、お友達に会えるといいね」
「みゃーん」
大事な妹分が友達に会いたがっているのなら、下僕である葉月がしてあげることは一つしかない。
「探しに、行こっか」
「葉月?」
二人のやり取りを聞いていたベルが、驚いたように振り向いた。どちらかと言うと臆病な葉月が、猫を探しに森の奥に行こうとしているのだから。
「帰るかどうかは、お友達に会えてから考えよう」
「みゃーん」
別れてしまった仲間に会う為に転移して来たのなら、その目的を達成しないことには猫に帰る気はなさそうだ。なら、こっちから探しに行こうと葉月は覚悟を決めた。
夕食を取りながら、ジークに猫達と出会った場所などを確認していたところを見ると、その決意は固いようだ。
「私も一緒に行くわね」
「ベルさん?」
「だって、葉月は私の弟子なんでしょう? 師匠として、放っておけないわ」
引き篭もり魔女なのに、とその場の全員が同じ事を思ったが、誰も声には出さなかった。くーだけはテーブルの足下であむあむと喋りながら食事を貪っていた。
「なら、宮廷からの話は、まだまだ保留でいいのかな?」
「ええ。お願いします」
宮廷からの話って? と葉月がきょとんとベルの顔を伺う。
「宮廷魔導師のお誘いをいただいたんだけど、断る理由が思いつかなくて困っていたのよ」
ふふふ。丁度良かったわ、と楽しそうに笑ってみせる。毎回、手紙の返事には苦労していたけど、迷い人が理由なら、しつこく勧誘されることも無いはずだ。
娘に宮廷勤めが出来るはずがないと思っていたので、ジークも何となくホッとしているようだった。