コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「最初に交わした契約通り、香津美には休み明けから働いてもらうつもりだが……」
手に持ったお揃いのカップに口を付けながら、聖壱さんの話を聞く。
今朝のコーヒーは聖壱さんが淹れてくれたの。卵もまともに割れない人だから心配で見ていたけれど、コーヒーを淹れるのは得意らしい。
「ええ、ちゃんと分かっているわよ。私はどんな仕事をすればいいのかしら?」
「香津美には俺の秘書をやってもらいたい。今まで何度か秘書はいたんだが、俺の振る仕事量が多すぎるらしくすぐに辞めていってしまうんだ」
確かに聖壱さんは仕事に厳しそうな感じがするし、本人が仕事が出来る人だろうからその感覚で仕事を割り振っているのかも。
いつかこういう日のために色々な事を学んできたのよ、望むところだわ。
「いいわ、仕事中は妻ではなく部下として聖壱さんの会社のために働くわよ」
「香津美のそういうハッキリした性格もいい。だが俺は妻だからと甘やかすつもりはない、仕事は厳しくいくからな」
「ええ、是非そうしてちょうだい」
今までは岩崎の叔父様の関わっている会社で、お人形のような扱いばかりを受けてきたの。厳しくても自分の能力を試せる仕事が出来ると思うと私はワクワクしていた。
この時はまさか聖壱さんの方が、仕事で公私混同してくるとは思ってもいなかったから。
聖壱さんに言われた通りの休み明けの月曜日、目を覚ました私は聖壱さんを起こさないようにそっと寝室を後にする。
今日は華美になりすぎないように控えめな感じのメイクにして、緩くパーマのかかった長い髪をひとつに纏める。
そして……聖壱さんが私のために用意してくれたスーツに腕を通すと、なんだか身が引き締まるような気がする。準備が終わってリビングへ行くと、ちょうど聖壱さんが起きてきたところだったようで……
「おはよう。今日は早起きだな、香津美」
「ええ、初日ですもの。それなりに気合を入れているのよ」
そう言ってエプロンを付けるとキッチンへ。相変わらず簡単な物しか作れないけれど、仕事のため朝はしっかり食べた方がいいと思うから。
朝食を食べると、聖壱さんに仕事の準備をするように言ってから後片付け。丁度終わったころに聖壱さんもスーツ姿でリビングに戻って来た。
スーツ姿で髪を後ろに流している聖壱さんは、仕事の出来る男って感じでかなりカッコいいのね。調子に乗るだろうから、絶対言わないけれど。
「じゃあ今日から頼むな、美人社長秘書さん」
「ええ、出来る限り貴方のサポートを頑張らせてもらうわ。俺様社長さん」
聖壱さんの揶揄いなんてどうってこと無いの、軽く言い返してバッグを肩にかけ玄関を出る。慌てて追いかけてくる聖壱さんの姿にクスクスと笑いながらエレベーターのボタンを押した。
ここは【ヒルズビレッジ】内にあるオフィスビル。このビルにオフィスを構えられるのは、たった一握りの人間だけという噂もあるくらいで……
オフィスゾーンの上にあるホテルはものすごく豪華なんだとか、一度見てみたい気はするわね。
「今日から俺の秘書をやってもらう、狭山 香津美さんだ。分かっているとは思うが俺の妻だ、美人だからと言って変なちょっかいを出すなよ?」
聖壱さんが私の事を紹介してくれるけど、一言多いんじゃないかしら? |聖壱さん《社長》の妻だと分かっていて、ちょっかい出そうとする人はいないと思うのよ。
そのまま聖壱さんに案内されて社長室へ、そこには大きな机が一つだけ。ここが聖壱さんの仕事場……
「ここが、まあ俺が仕事をする場所で……香津美には少し狭いかもしれないが、すぐ隣の部屋で仕事をしてもらいたいと思ってる。こっちだ」
社長室から続く小部屋は机や色んな機器が置いてあって、確かにそう広くはないけれど私は十分働ける。
「ありがとう、聖壱さん。頑張るわ」
「ああ、頼りにしてる。最初は大変かもしれないが、出来るだけ頑張ってほしい」
「頼りにしてる」なんて嬉しい言葉かしら? 今までは「貴女は何もしなくていいから」と言われ続けてきたのに、今の私はこうして必要とされている。
「それと……さっき挨拶した中にいた茶髪の針山という男とは、よろしくしなくていい。アイツは美人を見ると見境が無いからな、もし少しでも何かされたら俺に言え」
あの、聖壱さん。公私混同はしないんじゃなかったんですか……? 彼の言動に思わず笑ってしまいそうになるわ。
「香津美、この書類はここを直して……で、こっちの予定は明日のこの予定と上手くずらして調整し直して欲しい。多分ここの社長は忙しいからきちんと……」
次から次へと聖壱さんから仕事を振られる。私はまだ初日だというのにそんな事を気にしている様子は全く感じられなくて。
私の負けん気の強さもあって、次から次へと仕事を進めていく。分からないところは普段社長の手伝いをしている|沖名《おきな》さんという男性に聞くように言われた。
私は自分のデスクと沖名さんのデスクを何度も行ったり来たり。新人だし社長秘書という仕事も初めてだから、学ばなきゃいけないことが多くて。
でも自分で進んでする仕事に、早くもやりがいを感じ始めていた。
「狭山社長、こちらのスケジュール調整しておきました……確認をお願いします」
聖壱さんに確認をしてもらう。聖壱さんはよく出来たと褒めてくれたけれど、少し沖名さんにばかり頼りすぎだと言われてしまった。
仕事の事で質問しただけじゃない? 聖壱さんは必要ないことにまでヤキモチを妬きすぎなのよ。
ここでの貴方は会社の社長だからって、私に偉そうにアレするな、コレするななんて言わないで欲しいわ? 聖壱さんに何を言われたって、私は私の好きにさせてもらうんだから!
聖壱さんの的確な指示と沖名さんの教え方のうまさもあって、私が仕事に順調に仕事を覚えていくことが出来た。
ただ余計な事を考えずに仕事に集中出来たのは最初の一週間ほどで……すぐにもしかしたら、と思っていたことが現実になった。
最初は小さな悪戯みたいなものだったわよ? 消しゴムや赤ペンなどの筆記用具がしばらく消えてまた戻ってくる、とかね。
子供みたいな嫌がらせを気にする気にもならなくて、そのままにしておいたの。そうしたら今度はデスクに画鋲、本当に陰湿ね。
私の働く部屋は社長室と繋がってる、だからこんな所まで嫌がらせに来ていたら、目立ってすぐに分かるのよ。新人の私にも嫌がらせの犯人がすぐに目星がついてしまう。
「聖壱さん、今日のお昼休みはちょっと用事があるから一緒にはとれないわ」
私は早速犯人を捕まえて、こんな事をする理由を話してもらおうと思ったの。まあ、だいたいの予想はついているのだけどね。
「……分かっているだろうが、危ないことはするな。お前はここの社員だが、その前に俺の妻なんだから」
「ええ、約束するわ」
どうやら聖壱さんは私が何をしようとしているのか、知っていたみたい。心配しながらも私の行動を見守ろうとしてくれる優しさが嬉しかった。