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読了しました。このエピソード、めちゃくちゃ好きです。まず「歩行キツいっす」って言いながら教官にはバレバレで、実際は脚も速いっていうギャップがもうニヤニヤしますね。そして肝心の介助職員が来た途端にわざと転ぶような真似するところ、計算なのか無意識なのか…気になる。最後、訓練が終わったらスッと歩幅が戻るあたり、本当に“卒業したくない”理由が彼の中にあるんだろうなって思わせる作りが上手い。仲間に「惚れてんだろ」って言われて否定もしない沈黙、あれが一番雄弁でした。
#🌀🌧️⚡️
低気圧
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第2話 まだ歩行、キツいっす
教官は、同じ頁を三度見返した。
衣服適応、問題なし。
厠利用、問題なし。
公共区域における規範理解、問題なし。
人界生活に必要な知識は高水準。複数の指示を同時に処理する能力も、状況判断も、準備中の利用者としては抜きん出ている。
そして歩行。
直進、方向転換、段差、混雑時の回避。記録上は、いずれも基準へ達していた。
教官は記録板から顔を上げた。
「君、本当はもう準備区域を出られるんじゃないか?」
向かいに座るハイエナは、片脚を投げ出していた。人の形を取っていても、耳と尾は隠していない。問いを聞くと、耳だけが教官の方へ動いた。
「……まだ歩行キツいっす」
「昨日、食堂へ駆け込んだそうだな」
「腹減ってたんで」
「一昨日は、廊下で仲間と競走した」
「あれは向こうが勝手に」
「君が煽ったと三人から聞いた」
「足場のいいとこと訓練場じゃ違うでしょ」
言葉だけを拾えば、一応は筋が通っている。
教官はしばらく彼を見たが、ハイエナは億劫そうな顔を崩さなかった。
「では、歩行評価は継続する」
「お願いします」
「ずいぶん素直だな」
「卒業したいんで」
教官はもう一度、問題なしと記された欄を見た。
記録板の角を指で叩いたが、結局その日は何も書き換えなかった。
*
準備区域には、ハイエナ由来の霊獣が何人かいる。
全員が同じ群れというわけではない。それでも、食堂の席や訓練場の隅で顔を合わせれば、誰がどこにいた、何を探していた、どの職員が今日は忙しそうだった、といった話が自然に集まった。
「水の匂いするあいつ、またあの介助の兄ちゃん探してたぞ」
「朝も見た」
「衣服訓練だろ。担当なんじゃねぇの」
「担当じゃない日も呼んでたって」
ハイエナは食事の皿から目を上げた。
「どこで聞いた」
「本人。紐結ぶならあいつがいいってさ」
「ふうん」
それ以上は聞かず、また食事へ戻る。
別の仲間が、向かいから笑った。
「お前、あの介助職員の話になると食いつくな」
「気のせいだ」
「事務の方に惚れてんだろ? 恋敵の見張りかよ」
ハイエナは答えなかった。
否定もしない沈黙を、仲間は肯定だと思ったらしい。面白がるように肩を揺らし、別の話へ移った。
誰があの介助職員を探した。
誰が懐いている。
どこで見かけた。
どれも隠された情報ではない。廊下を歩けば目に入り、食堂に座れば耳へ届く程度のことだ。
ハイエナはその一つ一つを忘れなかった。
*
午後の歩行訓練は、段差のある回廊で行われた。
「今日は俺が見る」
介助職員が言うと、ハイエナは露骨に眉を寄せた。
「別に、一人でできる」
「歩行がまだきついって申告したのはお前だろ」
「教官、余計なこと言いやがって」
「余計じゃない。ほら、まず普通に歩いてみろ」
回廊には高さの違う敷石が並んでいる。
ハイエナは一歩目を慎重に置き、二歩目でわずかに上体を揺らした。
「急がなくていい」
「分かってる」
三歩、四歩。
不安定さを見せる程度なら簡単だった。人の重心がどこへ落ちるかは、もう理解している。
五歩目。
わざと浅く置いた足が、敷石の縁で本当に滑った。
「っ――」
倒れるより先に、腕を掴まれた。
もう片方の手が背へ回り、体重を支える。
「危ない。足、捻ってないか?」
近い声がした。
介助職員は自分の姿勢も崩しながら、ハイエナだけは床へ落とさなかった。
「……平気」
「本当に?」
「触れば分かるだろ」
「そういう確認の仕方はしない。痛むなら言え」
必要な場所へ、必要なだけ手を出す。
相手が誰でも、躊躇しない。
誰にでも、こうやって手を出す。
必要なら迷わない。
だから――こういうところが。
介助職員の手が離れる。
ハイエナは自分で姿勢を戻し、険しい顔で掴まれていた腕を払った。
「もう一回やる」
「休まなくていいのか?」
「平気だっつってんだろ」
二度目は転ばなかった。
それでも介助職員はすぐ横を歩き、段差ごとに足の置き方を確かめた。
「まだ不安定なら、しばらく俺が見る」
ハイエナは返事をしなかった。
ただ、伏せかけた耳がすぐに元へ戻った。
「聞いてるか?」
「……好きにすれば」
「お前の支援だ。俺が好きに決めることじゃない」
「じゃあ、頼む」
介助職員は頷き、記録板へ何かを書き込んだ。
その横顔を、ハイエナはじっと見た。
訓練を終えたあと、廊下の角を曲がった途端、彼の歩幅は自然に広がった。
待っていた仲間がその足取りを見て、呆れたように笑う。
「やっぱり便利な脚だな」
ハイエナは顔をしかめた。