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誰か助けて!
見回すけれど、誰もいない。
いや、いるけれども、ホテルマンの人たちは、こういう場面に慣れているのか見て見ぬふりだ。
もっと嫌がって騒げば助けてくれる?
でもそうなれば、聡一朗さんの晴れの舞台が台無しに……。
ただでさえなんの取り柄もない私。
聡一朗さんの迷惑になることだけはしたくない。
それに……私が他の男の人どうしようが、聡一朗さんはなんとも思わないはずだ……。
以前にもこんな場面があった。
あの時は、たまたま聡一朗さんが助けてくれたけれど、
『俺が君を愛することはない。だから、他の男と関係を持つことも禁じない』
冷たい言葉が記憶に甦る。
そうだ。
聡一朗さんにとって、私はただのお飾り。
愛される魅力もない、幼くて無教養な小娘だ。
それでもいい。
私があの人を愛せれば、それだけでいい。
そう思っていた。
大好きだったあの絵本の中の女の子のように、ひたむきに愛する人と向き合えればそれでいい、と。
でも無理だ。
つん、と鼻の奥が痛んだ。
愛されたい。
私は聡一朗さんに愛されたい。
ただ唯一の大切な存在として、守られたい。
君は俺だけのものだと、独占されたい。
自然と抵抗する力が消えていく。
聡一朗さんだけに触れられることを許した背中に、乱暴に手を回され、抱き寄せられる――。
不意に、身体の自由がきかなくなった。
抱き寄せられた身体がそれより強い力に引き離され――次の瞬間には、長い腕にしっかりと抱き締められていた。
「貴様、誰の妻に手を出している?」
低い声が頭上で聞こえた。
聡一朗さんのだと分かるまで、時間が必要だった。
それほどに彼の声は重く荒く、怒りに満ちていた。
赤ら顔を蒼白とさせつつも、男は引きつった笑みを浮かべた。
「せ、先生……いやだな、誤解ですよ。奥様が疲れていた様子だったから手をさしのべただけで、俺は」
「失せろ。二度と妻に近付くな。もう俺の部屋にも顔を出すな」
有無を言わせぬ聡一朗さんの辛辣な口調に男は絶句し、険しい表情を浮かべて走り去っていった。
「大丈夫か?」
打って変わった優しい口調で、聡一朗さんが私の顔を覗き込んできた。
少し焦りがにじんだようなその顔からは、心から私を心配してくれる気持ちが伝わってくる。
私がその腕にもたれたまま、震えを抑えるのに必死だったからだ。
「怖い思いをさせたな……。すまない、独りにさせるつもりはなかったんだが」
「違うんです……」
ふるふると私は懸命にかぶりを振る。
聡一朗さんが来てくれた。
『二度と俺の妻に近付くな』
そう言って守ってくれたことに、ただ胸がいっぱいで――。
「もう帰ろう。君は疲れている」
囁くように言って、引き離そうとした彼の腕を、私は無意識につかんでいた。
「離さないでください」
言った瞬間に涙が溢れてしまった目で、彼を見つめる。
「離さないでください。私はあなたの妻です。もう誰にも触れられたくない……!」
聡一朗さんの腕が、ぎゅうときつく私を抱き締めた。
「触れさせるものか、もう誰にも。君は俺だけのものだ」
その強さに、熱さに、興奮と酔いが一気に高められたのか――頭がぼうとしてきて、視界が真っ白になった。
「美良……? 大丈夫か? 美良……!?」
遠のく意識の中、動揺をあらわにした聡一朗さんの声だけが聞こえていた。
※
離さないで欲しい、ずっとずっと。
私は、あなたの妻として生きていきたい。
身も心も、すべてゆだねて。
「うん……」
目を覚ましたはずなのに、まだ眠っているような、ぼうとする感覚に支配されている。
頭が重い。
視界もぼやけているように感じる。
その中に人影があるのが分かった。
聡一朗さんだ。
「……大丈夫か?」
ほらだって、低くて心地よい声が聞こえた。
私が好きでたまらない声が。
手に温もりを感じた。
朦朧としながら伸ばした私の手を、聡一朗さんがやさしく握ってくれたからだ。
ズキズキと痛む頭で思い返す。
そうだ、私は倒れてしまって……。