(やっべぇ、こいつのことなーんも知らねえ)
かつて、こんなにやさしい笑みをこのラーシェ・クライゼルに向けた人間がいただろうか。
紫がかった黒髪は先のほうが宵色のグラデーションがかかっており、その瞳も美しいアメジストだった。俺よりも少し背が高くて、細マッチョという感じの男。別に、そこら辺にいる貴族と容姿は変わらないというか目立つわけでもない。だからこそ、俺はこの男に全く記憶になかった。もし、この男と何か接点があって、俺がやらかしていた場合、この男と関わるのはリスキーだ。
ゼロが帰ってくるまでなあなあと会話、もしくは逃げるべきなのだが、どうも体が動かなかった。
「それで、お前の名前は?」
「ああ! 申し遅れました。僕は、オルドヌング侯爵家の長男、クライス・オルドヌングと申します。以後お見知りおきを」
そういったかと思うと、クライスと名乗った男は俺の手を取ってその甲にキスを落とした。いきなり男相手に何するんだと、俺は手を挙げてすぐにズボンに擦り付けた。それでも、クライスという男は笑っていて気味が悪い。
さすがに、俺もいきなりのことでびっくりしたとはいえ、汚そうに手を引っ込めたのは相手を傷つけただろうかと反省した。
(オルドヌング侯爵家……ね)
知らない。聞いたことがあるような、ないようなおぼろげな名前だった。自分と、王太子であるジーク以外は位の低いものとして見てきたため、全く他の貴族のことをよく知らないのだ。それでも何となく、立ち振る舞いやしぐさから、教養のあるやつであることはわかった。
「オルドヌング侯爵子息」
「クライスでいですよ。ラーシェ様」
「じゃあ、俺もラーシェでいい。見たところ、同い年っぽいし」
体格だけで年上と決めつけるのはよくない。それに、かすかに酒の匂いもするし、飲める年齢ではあるのだろう。
そんなことを考えながら、俺が名前を呼びを許すと、嬉しそうにクライスは年相応の笑みを浮かべた。
「んで、クライスは俺の何の用で? 肩がぶつかって謝ったにしちゃ、話が長いだろ? 俺のことを知ってるみたいだったし」
「もちろんです。去年の狩猟大会にも参加してましたから」
「ああ、あ、そう」
去年のということは、俺が暴れたということを知っているのだろう。それで、話しかけてくるなんてどんなもの好きだろうか。
だが、見た感じどちらかというと悪役であるラーシェに魅せられているようにも見えた。
「去年の狩猟大会もそうでしたけど、今年もまた何か企んでるんですよね」
「いや、企んでないって。大人になるって決めたんだよ。人に迷惑かけないって、心に誓った」
「ラーシェが、そんな?」
「ひどくないか。てか、初対面で俺の何が分かるっていうんだよ」
「はは、すんません。僕見てたんですよ、さっきの場面」
と、クライスはおかしそうに笑う。
「王太子殿下のことを親友なんていうその傲慢さ。一種の感動に似た感情を抱きました。ああ、さすがは天下のラーシェ・クライゼルだと」
「意味わかねえんだけど。お前、頭おかしいやつ?」
頭をトントンと指さして言えば、クライスは怒るでもなくまたにこりと笑った。本当に真意の読めないやつで、めんどくさい。
それに、先ほどのことを見てそんな感動とか言われるのはよくわからないし、おかしなやつだ。関わらないほうが吉だ。
「どう思われてもいいです。ただ、僕は君と友だちになりたいって思ったんです」
「と、友だち」
「はい。実は僕も友だちがいなくて。こういった場では独りぼっちなんですよ」
「ははっ、友だちいそうだけどな、お前」
ただその一言でコロッと靡いてしまう俺もあ俺だなと思った。共通点を見つけてしまえば、警戒心は先ほどより解けてしまう。はあ、と悩ましくため息をついたクライスに、うんうんと思わずうなずいてしまいそうになった。同族だからにおいをかぎ分けたということだろうか。
みつあみに編み込まれたほうの髪をさらりと撫でて、クライスは俺のほうをみた。魔性のアメジストの瞳が俺をうっとりと見つめている。
「なので、よければ僕と友だちになってくれませんか。ラーシェ」
「え、俺でよければ、全然。てか、でも、俺の評判よくないから。お前、俺解いたら他に友だち出来ねえぞ」
「いいです。僕はラーシェと友だちになれるなら」
どことなく含みのある言い方で、ヤバいやつのオーラを感じ取りつつも、俺は差し出された手を取ってしまった。友だちなんて握手をしなくたって普通になるものなのではないかと思ったが、こういうのは慣れていないから形からだと言い聞かせる。そして、に三度ギュッギュッと手を振って、パッと離した。本当に友だちになったみたいで嬉しく、俺は先ほど離してしまったほうの手を見つめる。
「そうだ、明日の狩猟大会。一緒に回りませんか。何だったら、クライスに僕の獲物を譲渡したっていい」
「いや、それは友だちとしてどうなんだ? お前だって、一位、狙ってるだろ?」
「いえいえ。僕はずっと鳴かず飛ばずの結果でしたから。それに、ラーシェに一位を飾ってもらいたいですし。ね?」
と、クライスは笑う。それは、ルール的にありなのだろうかと思ったが、見られなければ、いいも悪いもないと、俺はうなずいてしまいそうになる。だが、一緒に回るといっても一つ問題があって――
「主!」
「……っ、びっくりした。何だよ、ゼロ」
「何だよ、ではない。どこをほっつき歩いていたんだ。俺がどれほど探したと……」
ジュースを持って帰ってきたゼロは、俺を見つけるなり怒鳴ってきた。幸いにも、周りに人はパーティーを楽しんでいるのか俺らのこと気にも留めなかったのだが、クライスはゼロの存在に気づくと体をぬっと前に出した。
ゼロも、クライスの存在を認知したらしく、眉間にしわを寄せている。
「おい、俺の友だちを睨むなよ。ゼロ。怖がってんじゃねえか」
「主に、友人がいたとは驚きだな。だが、今意気投合したように見えたが?」
「はあ!? お前、最初から見てたな!?」
タイミングを見計らってしゃべりかけてきたということだろうか。まあ、どうでもいいい。ゼロが戻ってきたから、このまましゃべり続けることはできないだろうし、軽く食事をして明日に備え天幕に戻ったほうがいいだろう。パーティー会場はあまりいい空気じゃないし。
「ラーシェ、そちらの方は?」
「ああ、こいつは……」
「ゼロだ。主が世話になった」
「……って、ちょい。お前、手、引っ張るな! クライス!」
グッと俺の腕を掴んだかと思うと、ゼロはどこかへ俺を引っ張っていく。まだ、クライスと話したいことがあったのに、それもかなわないようだった。抵抗しても、俺の力じゃ、ゼロにかなうはずもなく、ずるずると引っ張られていく。それも、機嫌が悪そうだから、離せとも言えない。
あっという間にクライスが見えなくなり、俺は会場の隅のほうへと追いやられた。
「んで、何でゼロこんなことしたんだ」
「クライゼル公爵が呼んでいたからな。連れ戻しに来た」
「いやいや、公爵は挨拶しに行ってて。俺はそこらへんで大人しくしてろっていわれただけだし」
「何かあるんだろう。俺にはそのなにかを教えてくれなかったが」
ゼロはそういうと俺にジュースを渡した。半分以上こぼれていて、べたべたしている。
ありがとうとも言えず受け取って俺は、半分しか入っていないぶどうジュースに口をつける。すっぱさと渋さが絶妙で、あまり甘くないワインもどきのジュースだった。
俺が飲み干す間も、ゼロは黙って俺を見つめていた。眉間によったしわはそのままでずっと睨まれている。また俺が何かしたみたいでいやだった。
(公爵が、俺に用事ね……つか、だったらそこに連れてってくれてもいいだろう)
俺は飲み終わったグラスをゼロに押し付ける。
「でも、もうちょっと話しててもよかっただろう。初めてできた友だちなんだし」
「あいつがか?」
「いいだろ。友だちくらい好きに作っても。ゼロには関係ないだろ?」
「危険なやつじゃないだろうな」
「だから、そうやって疑って入るのやめろよ。気分わりぃ」
俺がそういうと、さらにゼロの機嫌が悪くなった。そして、こっちが悪いように大きなため息をついて、額に手を当てた。
「俺は、心を許した相手に殺されそうになった」
「……え」
「傭兵時代の話だ。過去の話は好きじゃないが、仲良くなったやつに殺されかけ、挙句の果てに報酬金全部持っていかれた」
その後、逆恨みから殺した――とそこまでゼロは言うと、拳に力を込めた。持っていたグラスにひびが入ったのを見て、俺は一歩後ろに下がりながらも、先ほどの軽率な自分の行動を思い返す。
コロッと境遇が似ているだけでシンパシーを感じて仲良くなった。そう思っていたのは俺だけで、クライスのほうに何かあるんじゃないか、思惑があるのではないかとそう考えることをしなかった。はじめこそ、胡散臭いと思っていたが、危害を加えてこなかったし、いい話し相手相手だと勝手に決めて。
いや、それでもクライスとゼロのその相手とは違うわけで、比べてもとは思う。
だが、ゼロの経験から自分と同じような末路をたどってほしくないんじゃないかって、そんな気持ちが伝わってきて、俺はまた考えを改めた。
「心配してくれたんだよな。ゼロ」
「別に、そんなんじゃない。俺は、護衛として当然のことを」
「素直じゃないなあ。ちょっと、かっこいいって思ったぞ。不器用だけど、お前のそういうところ、俺は好きだって思う」
「……っ、主?」
(ん、今俺なんて言った?)
顔を上げれば、驚いたようなゼロの顔がそこにあった。信じられないものを見るような、それでいて、少し頬が赤いような気もする。自分のいった言葉を思い返して、俺はミッと口から変な音を出しつつ訂正する。
「いや、その好きってのは、お前の人間性がってことで。いや、マジで、そういう意味じゃなくてな!」
「…………わかっている。そうやってごまかすほうが、よけい怪しまれるぞ。俺でなければ、勘違いされていたかもな」
「誰も、何も勘違いしねえよ!」
恥ずかしい思いをした。そう顔をそらせば、フッとゼロに笑われてしまい、俺はさらに羞恥心を加速させ、ゼロの腰辺りを思いっきり殴った。
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