テラーノベル
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「け、結婚……?」
そう呟いた瞬間。 僕の脳内に搭載された妄想エンジンが暴走し、勝手なイメージ映像を出力し始めた。
場所は、温かなオレンジ色の照明が灯る、僕たちの家。 仕事から帰宅してドアを開けると、夕ご飯の美味しそうな匂いが漂ってくる。
「おかえりなさい、陽一さん♡」
パタパタと小走りで駆け寄ってくるのは、新妻の白石さんだ。
部屋着の上から、ピンクのフリルエプロンを一枚。背中で結ばれた紐が腰のくびれを強調し、エプロンの胸当てが、彼女の豊かな曲線をむぎゅっと押し上げている。家庭的なのに、どこか扇情的。まさに男の夢の具現化だ。
彼女は僕の胸板にちょこんと手を置き、潤んだ瞳で上目遣いをしてくる。そして、あのアニメでしか聞いたことのない伝説の台詞を、甘い吐息のような声で囁くのだ。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
そこで一度言葉を切り、僕の耳元に唇を寄せて、熱っぽく囁く。
「——わ・た・し?♡」
(——ブフォッ!!)
想像だけで鼻血が噴出しかけた。致死量だ。
可愛さと色気のハイブリッド攻撃。もし現実でこれをやられたら、僕は尊さと興奮のあまり心臓が破裂し、幸せな遺体となって発見されるだろう。ありだ。ありすぎる。
……けれど。
ふと視線を戻すと、そこには現実があった。リビングで遊ぶ翔くんと、幸せそうだけど、でも少し疲れた顔の美咲。地に足のついた、リアルな「家族」の風景だった。
その光景が、僕を急激に現実へと引き戻した。僕は身を起こし、膝を抱えて苦笑した。さっきの輝かしい妄想が幸せであればあるほど、今の自分の情けなさが浮き彫りになる。
「いや……まだ付き合って三ヶ月ちょっとだし」
「三ヶ月もありゃ十分でしょ。お兄はもう三十代半ばだよ? 悠長なこと言ってる場合?」
「そうだけど……彼女まだ二十代だし。若いし、仕事も楽しい時期だろうし」
口に出すと沈殿していた澱のような感情が溢れてきた。
「僕みたいなオタクのおっさんが、結婚とか考えること自体、おこがましいっていうか。彼女にはもっと、同年代のキラキラした相手の方が似合うんじゃないかなって……」
これが本音だった。白石さんは素敵すぎる。こんな冴えない僕と一緒にいてくれるだけで奇跡みたいなもので、その先の「責任」を負う自信が、僕にはまだ持てずにいた。
いつか彼女が「やっぱり同世代がいい」と言ったとき、傷つかないように保険をかけているだけなのだ。
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