「美亜か。今日帰ってきたから、連絡してみた」
「お疲れさまです。…あの、すみません。今日はお休みだったので…」
「いや、いいよ。電話したのは、声が聞きたかっただけだから」
着信はケンゾーから。
声が聞きたいなんて言われても、なんて返事をしたらいいのだろう…
「なんだよ。直球で行くって言ったろ?ストレートに口説いてるんだが?」
「は、はぁ…あの、お手やわらかにお願いします…」
ケンゾーは少し含んだように笑って、次に明るい口調になる。
「ところで下にいるんだ。出てこいよ」
「…えっ?!」
声を聞いたから、そろそろ切ってくれる、と思ったら意外なことを言われた。
咄嗟にベランダから見下ろすと…確かにエントランスに見覚えのある車が停まっている。
車に寄りかかって携帯を耳に当ててる人…ケンゾーだ。
しかも、スーツじゃない。
上から覗いていることに気付かれて、降りていかざるを得なくなった。
「…ルームウェア?」
「あ…これは…はい」
ミスった…嶽丸の黒いTシャツを、また拝借してる私。ハーフパンツは蛍光ピンク。
とんでもないコーデだ…
「オーナーも、めずらしく、ラフな格好ですね」
濃いグレーのTシャツと、セットらしいスウェットパンツ。
ラフながら、物がいいのは一目でわかる。
嶽丸のホワイトムスクとは違う、スパイシーなウッド系のコロンが香った。
「ちょっとドライブしない?…話したい事がある」
「はい…」
ここまで来て嫌だなんて言えない。
頭の中で、ちゃんと戸締まりしてきたことを確認して、1週間前にも乗せてもらった高級車に乗り込んだ。
「食事はしたの?」
「はい…パンと、白ワインを…」
魚肉ソーセージとは言えなかった。
ラグジュアリーな空間…という難しい言葉がよく似合う静かな車内で、そんな言葉は似合わない…と咄嗟に思ったから。
「なんだよそれ…タンパク質もビタミンもないな」
呆れたように言うケンゾーに、私はここぞとばかりに声をあげる。
「私、女子力ないんです。料理できないし、掃除は逆に散らかるし、洗濯すれば色ムラ作るし…」
呆れてくれ…という内心の願いは、楽しそうな笑い声に消された。
「美亜っぽいな…!可愛い」
「…は?可愛いですか?この年で何もできないのに?」
「俺は美亜にそんなもの求めてない」
ちょうど信号で停まったタイミングで、不意に伸びてきた手に気づかなかった。
「柔らかい。スベスベして…すっぴんも可愛い」
そこまで言われて思い出す。
…化粧をまるっと落としたところだった…
何か食べに入ろう…と誘われたのを、私は丁重にお断りした。
……
車の中で、ケンゾーは私の緊張をほぐそうと、いろんな話をしてくれた。
大学生のときに自転車で日本一周にチャレンジしたこととか、初恋の失敗とか…
中でも興味深かったのは、子供の頃のこんな話だ。
「5歳違いの妹がいてな。その子は病弱で、ほとんど家から出られなかったんだ」
ケンゾーはそんな妹を不憫に思って、小学校6年生のとき、両親に内緒で近くの河原に連れ出したという。
「はじめて見る川の流れを見て、妹も喜んでくれたんだ。でも…」
夏の終わりの、天気が目まぐるしく変わる日だったという。
「急に青空が曇って、真っ黒な雲が空をおおい始めた。すぐに雨が降ってきて…やがて土砂降りになった…」
少し遠い目をしているケンゾー。
まさか…最悪の事態を想像してしまう。
「車椅子を無理やり原っぱの中に入れたからか、妹を乗せたそれが、帰りはまったく役に立てなくなってな」
雑草に車輪が取られそうだと簡単に想像がつく。
それを引き剥がすって、どれだけ大変だっただろう。
想像しただけで胸が痛む。
「でも、原っぱは抜け出せたよ。病気がちの妹は、普通よりずっと痩せていて軽かったから、片手で妹を抱いて、片手で車椅子を持ってな」
聞いてホッとして、笑みがこぼれる。自分の体験と似てると思ったけど、違う結末に胸をなで下ろした。
「じゃあ…今もその時のこと怒られますね?」
ほとんど外に出たことのない人が、いきなりの土砂降りを経験したら、恐怖を感じて怒るかもしれない。
…そう思って聞いたんだけど…
「…いや。妹はもう亡くなったよ」
「え…?」
「…生きていれば、ちょうど美亜と同じ年だったな」
まさか…オーナーが勝手に連れ出した事が原因で亡くなったのか…
「す…すいません」
急に思い出して怖くなった…
子供の頃の記憶と勝手にリンクして、勝手に体が震えだした。
驚いたケンゾーは、すぐに車を停めてくれた。
「ごめん…変な話を聞かせたな。…大丈夫か?」
すごく自然に抱き寄せられた。
そういえばこの車、ベンチシートだ…
初めて感じるケンゾーの胸は、私の震えを次第に鎮めていった。
「す、すいません…もう、大丈夫です」
「もう少し…」
え…っ?という驚きの声はかき消されてしまった。
頬に手を添えられて、何ごとかと反射的に上を向く。
そこに、仕事の話をしている時とは全然違うケンゾーがいて、焦る…
「あの…」
とっさに下を向うとしたのは、その雰囲気が、キスを連想させたから。
「…美亜」
聞いたことない、甘い声。
別に、惹かれたわけじゃないけど…名前を呼ばれれば、誰だってそちらを向くでしょう…?
せっかく下を向いたのに、伺うように上を向く私の隙を見つけたように…私の唇はケンゾーのそれに塞がれてしまった。
コメント
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ケンゾーの話とみゃーちゃんの過去がリンクするのは…。 みゃーちゃん、妹さんを自分のせいで亡くしたとかそんな過去を背負ってるんだろうか。 早くみゃーちゃんの過去が知りたいな。