111 ◇夕餉タイム
何も知らない雅代の母親育代が一生懸命謝る姿に、より一層
泣けてくる雅代だった。
育代に何もかも話したい。
だけど、どこから何からどうやって話せば自分の本当の胸の内を知らせることができるのか、知ってもらえるのか……雅代は途方にくれた。
哲司のことが好きだから、よけいに話し方……伝え方が分からなかった。
「お母さん、今夜お父さんが寝てから聞いてもらいたい話があるの。
いいですか?」
「あ、あぁ、いいよ。分かった。父さんが寝てからね。
ゆっくり聞かせてちょうだい」
聞く耳を持つ、やさしい母親の返事に雅代は救われた。
父親の帰宅を待ち、家族3人の質素な食事が始まる。
父親が楽し気にこの日の勝ち試合を母親に話して聞かせている間中、
どんなふうに話を進めていけばいいだろうかと雅代はずっと考えていた。
◇ ◇ ◇ ◇
母親の育に勧められるまでもなく、すでに工場勤めができなくなり気弱になっている雅代は哲司のプロポーズを断ったことを酷く後悔していた。
そして後悔しているその中に”経済的な問題”が関係していることが酷く自尊心を傷つけた。
あの時プロポーズを受けていたなら、例え道理に反していたとしてもお金のためにという理由は入っていなかった。
でも今彼のプロポーズを受け入れるということは、道理に反したことを受け入れ、更には経済的なことが結婚する理由に入ってくる。
どちらも人として褒められたものではない。
結婚を断った時点ですでに哲司は遠い存在になっているのだが、今になって
そのことを惜しむあさましい自分を鑑みると、ふたりの間にある距離がずーっとずっと離れていくように思えてならない。
――――― シナリオ風 ―――――
◇決意
雅代(涙を拭いながら)
「……お母さん。
今夜、お父さんが寝てから――話を聞いてもらっていい?」
育代(真顔で)
「あぁ、いいよ。分かった。父さんが寝たらね。
ゆっくり、聞かせておくれ」
(N)
「その優しい返事に、雅代はほっとした。
ようやく、自分の胸の内を語れる気がしたのだ」
夕餉の時間
ちゃぶ台に食器を並べる音。
(N)
「やがて父・義助が将棋帰りに戻り、三人の質素な夕餉が始まった。
父は勝ち試合の話を楽しげに語り、
母は相槌を打ち、
その間ずっと――雅代の心は別の場所をさまよっていた」
静かにご飯を口に運びながら、――――。
雅代(心の声)
「どう話せばいいの……。
どこから話せば、私の気持ちを分かってもらえるんだろう……」
みそ汁茶碗から湯気が立ち昇る。
静かな三人の食卓。
夜、寝静まった家。
虫の声。
(N)
「母に勧められるまでもなく――
工場を辞め、気弱になっていた雅代は、
あの時、哲司のプロポーズを断ったことを深く後悔していた」
雅代(心の声)
「……あの時、断らなければ。
お金のためじゃない、ただ“人”として惹かれていたのに。
でも今、もし彼の手を取ったら……
それはもう、道理を外れたことになる。」
雅代(続けて心の声)
「経済のために結婚するなんて――そんな自分、嫌なのに。
それでも……彼の優しさが恋しくて、
気づけば、あの人のことばかり考えてる……」
(N)
「理と情のあいだで揺れる心は、
夜の闇に沈むほど、かえって鮮やかに燃えていた」
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