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それからすぐ昼のピークを迎え、次々入ってくるオーダーをこなしているうちに、若菜は食事を終えたようだった。
今日のランチはチーズ入りハンバーグ。
若菜もこれをオーダーしていたけど、ハンバーグは若菜の好物だから、問題なく食べただろう。
入っていたオーダーを全部仕上げたタイミングで、若菜は席を立った。
ひとこと話をしようかとレジに向かえば、若菜は俺を見て満足そうに笑った。
「今日は忙しそうだったねー。ハンバーグおいしかったよ。
今日のランチは、私にはアタリだったな」
「だろーな。
残してないか心配せずにすんでよかったよ」
「なにそれー」
話ながら会計を済ませた時、若菜と目が合った。
目が合うと、その前に会ったこと……原田と店に来た時のことが頭に浮かぶ。
「……なに?」
若菜は俺がなにか考えているのに気づいたようだった。
「……なぁ、若菜。
前に原田と来た時、ちゃんと帰れた?」
「あっ、うん、もちろん」
「……だよな。それならいい」
「なに、そのことー?
あの時電車で帰れるって言ったのにタクシーで帰れだなんて言ってさ。
湊は私のこと信用してないんだから」
酔っていた若菜を心配しただけなのに、俺より自分がしっかりしていると思い込んでいるから、不服そうに頬を膨らませる。
あの時のことを話せば、若菜がそう言ってくるのはわかっていたし、そのこと自体は問題じゃない。
そうじゃなくて、あの日から気にかかっているのは―――。
「そういやあの時さ。
原田とメシ食いながら、なに話してたの?」
あの日からずっと気になっていた。
でも聞けずにいたことを聞くと、若菜はあっさり言った。
「えっ?あっ、色々だよ。
今なにやってるのとか、昔のこととか、高校時代のこととか」
「へー……」
「あとは……」
その時、若菜はなにか思い出したようだった。
でも途中で言うのをやめたようで、意味もない笑顔をつくる。
「……なんだよ」
「いや……なんでもない」
「それ気になるだろ。言えよ」
「えー……。だってなぁ……」
若菜はちょっと眉をさげ、このままの空気を保つように、笑って言った。
「あとは……私と湊が付き合ってるのか、聞かれたかな」
それを聞いて、俺は「あぁ……」と思った。
どういうつもりでそんなことを言ったんだとも思ったけど、でも心の中ではその答えに予想がついていた。
さっき若菜がランチを食べていた席の、となりの窓際の席で。
あの日原田が若菜に向けていた優しい笑顔の意味を―――俺は気づきたくなくて、本当はとっくにわかっていた気がする。
「……それ、原田になんて言ったの?」
「そりゃあ、付き合ってないよって言ったよ」
「だよな。それであいつはなんて?」
なんでもないように続けたけど、胸がすこし痛かった。
俺と若菜は付き合っていない。
そんなわかりきった事実でも、こいつの口から聞くと苦しい。
「原田くんは驚いてたよ。
……なんか、私たちはいつか付き合うだろうなって、ずっと思ってたみたい」
若菜もムリに明るく話そうとしているようだった。
そう言うと、若菜はわざとらしく腕時計を見て、俺に言った。
「私、もう行かないと。じゃあ湊もがんばってね」
俺が頷くのを横目で見て、若菜は急ぎ足で店の自動ドアを出ていく。
“私たちはいつか付き合うだろうなって、ずっと思っていたみたい”
若菜の言葉が頭をまわる。
それは俺も、きっと若菜も……心の奥でずっと思っていたことだった。
10年ほど前の、あの大雪の日。
俺と若菜の家の真ん中で、若菜が俺に言った言葉が、ずっとずっと、心の片隅に残っている。
……いや、本当はそれよりももっと前からかもしれない。
俺に初めて彼女ができた時。
若菜に初めて彼氏ができた時。
俺たちはお互いなんでもないふうにして、「よかった」と言い合っていたけど、本当は腑に落ちないでいた。
若菜の彼氏になったやつより、俺のほうが若菜のことを知っていると思ったことも数えきれずあった。
若菜も口には出さなかったけど、同じように感じているのはわかっていた。
だから若菜はきっと、あの日俺に未来の約束をしたんだろう。
30歳になってもひとりなら。
その時一番理解してくれている相手は、かわらずきっと俺たちだから。
その時はなにも心の中を探らずに、「お互い結婚しよう」って.
お互い素直に言えるんじゃないかって、そんなふうに思ったのかもしれない。
その日は陽が落ちてから雨が降り始め、午後8時を迎えることには外は土砂降りになっていた。
この天気だと客足も遠のき、フロアにいる客は数組だけ。
オーダーもないし、掃除をするか、明日の仕込みをするか、売上のデータ整理をするか。
どれをしようか迷いながらキッチンを出た時、裏から店長が来て言った。
「清水、今日はもうあがっていいよ。
ヒマだし、バイトもいるから大丈夫だから」
「え、いいんですか」
「あぁ、たまには早く帰れー。お疲れさん」
これはラッキーだと、俺はすぐ店長の言葉に甘えることにした。
そういえば今日で10日連続出勤だったし、さすがに疲れもたまっていた。
よし、今日は早く帰って寝よう。そうしよう。
そんなことを思いながらコックコートから着替え、雨に濡れながら駅へと歩き出す。
店から数十メートルほど歩いたところで、「清水!」と声が聞こえた。
(え?)
だれだと声のするほうを見れば、俺と同じようなビニール傘を指した、スーツ姿のやつが目に留まる。
「原田……」
「やっぱ清水じゃん!
今からお前んとこの店行こうと思ってたんだ。
……って、今からどっか行くの?」
「いや、今から帰るとこ。
客がいなくて早あがりさせてもらってさ」
「マジか!じゃあこれから飲みにいかねー?
俺、お前と話したいことがあってさ」
原田は笑って俺を見る。
その話……。
前こいつと会った時、別れ際に言っていたけど、やっぱり本当だったんだ。
「……いいよ、でもお前のおごりなー」
「えっ、なんでだよ!」
「こないだうちの店きた時、一品サービスしてやっただろーが」
「えぇ、まじかよ!まぁべつにいいけどよ……」
原田と飲むのは乗り気になれない。
そんな自分をごまかしたくて冗談で言ったのに、原田は本気にしている。
「いいのかよ!冗談だよ」
思わず苦笑して言うと、原田は「え?」と目を瞬かせた。
まったく、くるくると表情のかわるやつだ。
まるで若菜みたいだな……と思いかけて、俺は慌ててその思考を遠くに追いやった。