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#短編集
有栖
192
rn
150
にゅうひん☆
550
或る日の向井時計店では、いつもの規則正しい時計の時を刻む音とは別に、トントンと槌の音が響いていた。
「…うん、こんなもんかな。おーい康二、終わったぞ!」
そう言って手拭いで額の汗を拭ったのは岩本だった。
「おっ、待ってました!目黒さん、出来たって。行こうや!」
「出来た?…何がだ…?」
作業台で帳面を整理していた向井は、相変わらず隣で時計の細かな部品の手触りを指先で学習していた目黒に声を掛ける。
此の店の階上、つまり二人が暮らす住まいである二階へ続く階段は、些か急勾配であった。視力を失った目黒にとって、日々の昇降は決して小さくはない危険を伴う。其れを懸念した向井は、大工である岩本にこっそりとある事を依頼していたのだ。
「蓮さん、此処を持って二、三段試してみてくれるか?」
「…あぁ。」
岩本に促され、新しく取り付けられた手摺りの位置を手探りで確認する目黒。しっかりと手に馴染む木肌の温もりを確かめ乍ら、慎重に二段、三段と階段を昇り降りしてみせた。
「ん…申し分無い。しっかりと体を支えられる。」
「そっか、良かった。あぁ、あと…此れ。」
ほっと胸を撫で下ろす岩本は、傍らに立て掛けてあった一本の木片を手に取ると、目黒の手にそっと触れさせて手渡した。其れは、目黒の背丈と掌の大きさにすっぽりと収まる握りを計算し尽くされた、すべすべとした手触りの木製の杖であった。
「此れは…杖 か?」
「おうよ。此れから外に出る時に使えたらと思って、序でにな。」
手探りで全体の重みや握り心地を確かめ、目黒は何処か胸を打たれたように静かに、深く感謝を口にした。
「そうか…態々済まない。礼を云う、照。」
「…おう。」
素直な言葉を受け取り、岩本は少し照れ臭そうにふっと口元を緩めた。其の横顔を見逃さなかった向井は、ニヤニヤと岩本の顔を覗き込む。
「照兄、照れとる?」
「っ、一々云うな!」
和やかな笑い声が響いた其の時、店の扉が開き、聞き覚えのある声が届いた。
「目黒さん?居るかい?」
「…深澤殿か?」
早速、受け取ったばかりの杖の先端で足元を確かめ乍ら、店先へと向かう目黒。事故が無いようにと見守る様に向井と岩本が其の背後に寄り添って歩く。
「嫌だなぁ、もう楽に呼んでくれて良いのに。…はい、此れ。」
深澤は苦笑しつつも、持参していた分厚い冊子を目黒の手元へと差し出した。受け取った目黒は、不思議そうに表紙の質感を指先で撫でる。
「…本?」
「適当に開いて触ってみて御覧よ。」
向井が《杖、持つで》と声を掛けて目黒の手から杖を預かる。目黒が適当に開いた其の紙面をそっと撫でてみると、表面に規則的な小さな凹凸が在る事に気付いた。
「此れは…点字、か?」
「お、流石。読める?」
「いや、存在は知っていたが読み方迄は…。」
「じゃあ、此の一覧本も一緒に渡しておこうかね。」
「有難いが…何故此れを?」
目黒が真面目な顔で尋ねると、深澤はひらひらと手を振った。
「偶々知り合いから譲って貰ってね。」
「そうか。では其の方に此度の礼に…、」
「折角だけど、匿名で渡して欲しいって云われているんだよ。」
「…そうか。解った。では、其の方に感謝を伝えておいてくれ。」
「勿論。」
深澤の応答に静かに頷く目黒。其の姿に向井も岩本も、そして深澤も何処か温かい眼差しを向け、互いに頷き合った。
其れから、数日が過ぎた或る日の午後の事。
向井がと或る作業に集中する傍らで、目黒は点字の一覧本に指先で触れ乍ら過ごして居た。
人通りの落ち着いてきた頃に尋ねて来たのは、
「御免下さい。」
「舘さん?お疲れさん、どしたん?」
「一寸、ね。」
宮舘は品良く一礼すると、真直ぐに目黒の方へと歩み寄った。
「目黒さん。御提案が有るのですが。」
「俺に?」
「ええ。康二が店を開けている間、此方の閑散時で良ければ僕と一緒に外を歩いてみませんか?」
意外な提案に、向井も目黒も一瞬手を止めて宮舘の気配を伺う。
「外を…か。」
「ええ。照が此の度、目黒さんの杖を作ったと聞きまして。歩数や感覚を覚えられれば、翔太のカフェー迄でも行き来出来ますでしょう?幼馴染さんも居らっしゃるみたいですし。」
向井がハッとしたように目を見張り、声を震わせた。
「舘さん…!目黒さんの事、其処迄考えてくれてたん?」
「うん。目黒さんだってずっと店の中に閉じ籠って居るより、御自身で動ける範囲が広がった方が良いでしょう?」
宮舘の柔らかくも芯のある言葉に、目黒は双眸を其方へと向け、心遣いを噛み締める様に静かに頷いた。
「…有難い。是非、お願いしたい。」
「ふふ、お任せ下さい。」
こうして、向井が仕事に励む日中の時間を使って、目黒の自分の足で歩く為の訓練が動き出したのだった。
「目黒さん、後五歩程で右に曲がります。足元が少し不揃いになりますから御気を付けて。」
「、…成程、此処か。」
コツ、コツと杖の先で地面の感触を確かめ乍ら、目黒は宮舘の静かな声に耳を澄ませていた。通りを抜ける風の匂い、左手から聴こえる子供達のはしゃぐ声。宮舘は決して腕を引かず、目黒が自らの足裏と耳で周囲の景色を捉えるのを、絶妙な間合いで見守っている。
「其処から、十五歩程で到着します。」
「…此処か。」
カラン、と音を立てて扉を開けると、店内には深みのある珈琲の香気と、心地良い音楽が満ちていた。
「いらっしゃいませ。…あれっ、蓮くん?宮舘さんも。」
カウンターの中から二人を迎えたのは、モダンな給仕服に身を包んだラウールだった。背筋をすっと伸ばした優雅な所作、一切の無駄が無い洗練された身のこなし。目黒邸で当主の専属執事を務めていた頃の癖が其の侭身体に染み付いているラウールは、目黒の後に続く宮舘の姿にトレイを胸元に抱え、完璧な角度でお辞儀をしてみせる。
「ラウールか。」
「此処迄、自分の足で?凄いね!」
今の対等な関係に合わせて選んだ『蓮くん』という呼び方に、ラウールの成長と情愛が滲む。
「宮舘殿の導きの御陰だな。」
「ふふ、目黒さんの呑み込みが早いからですよ。さ、此方へ。」
宮舘が静かに椅子を引いて目黒を促すと、ラウールは手際良く水と手拭きをテーブルへ並べた。其の美しい所作と洗練された接客に、近所の常連客である婦人達は、
「まあ、今日もラウールくんは素敵ねぇ。」
「すらりとしているし、御行儀が良くて目の保養だわ。」
と嬉しそうに囁き合っている。
ラウールが店主から直々に教わり、丁寧に淹れた珈琲を宮舘と目黒の前に置いた其の時、カウンターの奥から欠伸を噛み殺し乍ら渡辺が気怠そうに顔を出した。
「いらっしゃい…って、えぇぇ…?」
目黒と宮舘。其の異色な二人の姿を見るなり、何時だかの向井と同じ様な反応をする渡辺を気に止める事も無く、目黒は手探りでカップを持ち上げ、湯気と共に立ち上る香ばしい馨りを肺一杯に吸い込んだ。
「…ラウール、息災そうで安心した。」
「うん!僕、此処で働くの凄く楽しいよ。」
「そうか。」
目黒の言葉にはにかむラウールと、
「目黒さん、暫くは練習出来そうですか?」
「あぁ、或程度は感覚が掴めた。」
「流石です。」
宮舘の穏やかな微笑み。自らの足で歩いて辿り着いた喫茶店の温かな空気の中で、目黒は緩やかに珈琲を味わうのだった。
コメント
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穏やかだわ〜🙂↕️ みんなが優しくて落ち着いてて✨
突然家を任された💚🩷はどうなったのでしょうか? 🖤🧡は周りの力添えもあって穏やかな生活をしてるど、この頃の家督制度は割と厳しかったから心配