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「うん……じゃあしてみようか」
亮介はじりっと未央に近づくと、あごをクイッとあげて、そっと唇を重ねた。
「……どう? 戻れた?」
「まだ、戻ってない」
亮介はいじわるそうに笑うと、どさっと未央を後ろに倒す。考える時間もなく、もう一度口づけてきた。それはさっきとは違って息もくるしいほどのキスだった。
「んっ……ふぅ、……んっ」
クラクラするほど激しく舌が絡まる。ときどき息継ぎさせてくれるが、うまくできない。つないだ手に、ギュッと力が入る。
やっと離してくれたときには、もうとろける寸前だった。「はぁ……はぁ……どう? 戻れた?」
「はい、もう元通りです。ありがとうございます」
体を起こして座り直す。未央はまともに亮介の顔を見るのは難しくて、うつむいたまま話し始めた。
「良かったね、でもこのやり方じゃちょっと効率悪くない? もっと簡単に戻れる方法さがしたほうが──」
言いかけたところでぎゅっと抱きしめられる。
「ぐっ……郡司くん?」
「未央さん、あしたも練習してくれますか?」
「えっあっ……と、練習はいいんだけど、違う方法一緒に探そうよ。こんなんじゃ……」
「なに?」
好きになりすぎちゃう……とはとても言えなかった。からかわれてるのかもしれない、先走って告白して傷つくのもいやだ。
未央が何も言わないせいか、亮介は「おやすみなさい」と小さな声でささやいて、フェンスを越え、部屋へ戻っていった。
はぁーーーーーーーーっ。一生ぶんのため息をついたくらい、すごく長く息を吐いた。
なになになに? いまのは? めっちゃキス上手だったんですけど?? こりゃめっちゃ遊んでるな郡司くん。それか年上のお姉さまに教えられた経験ありか。そうでもなきゃあんなキス……できっこない。
未央はそっと自分の唇にふれる。さっきの感覚が体のすみからすみまで走ってびりびりする。
あしたも練習するのかな。毎日あんなキスされてたら、あたまおかしくなりそうだ。
『未央さんのこと、大切にしたいと思ってます』
この前駅で言われたのを思い出す。あれはいったいどういう意味だったんだろう。
4.カフェラテの人
「せっしゃはそうは思わぬ。こちらのほうがよい」
「これじゃ予算オーバーなんだよ。食材費700円の中に収めないと、赤字になっちゃうんだから」
「スタジオ限定の看板メニューじゃろう。これならインパクトがあって生徒も楽しめる。そのほうがよかろう」
「いや、そうだけど……」
夏の夕暮れ、庭の木に止まったヒグラシの声が、切なく聞こえている。
未央は亮介を、スタジオ限定メニューの試食のため部屋に招いていた。亮介のキャラ変にもずいぶん慣れて、なんとも思わないどころか、それを楽しんでいる。
きょうは新撰組の小説を読んだあとだそうだ。近藤勇? 土方歳三? 私は沖田総司が好きです。
練習をはじめて1週間。口調には慣れたが、そのあとの元に戻る「儀式」だけはまったく慣れない。
毎回とろけてしまって、使いものにならくなる。
「このチキンがうまいと言っておるのに、なぜわからぬ?」
スタジオ限定レッスンメニューとして考えたのは、抹茶クリームパンケーキ、簡単カヌレ、ヤンニョムチキンの三つだ。この中からひとつ選んで、来週のスタジオでのコンペに出す。
未央は簡単カヌレにしようと思ったが、亮介はヤンニョムチキンがおいしいので、これにした方がいいと言い合いになっていた。
「ヤンニョムチキンでもいいけど、揚げ物だとややこしいんだよ。油も毎回変えなきゃいけないからコストもかかるし。
入会とか、ステップアップのおすすめとかも話さないといけないから、オーブンに入れたり、冷ましたりっていう待ち時間みたいなのがないとダメなの」
「制約が多すぎる。もっと素直に料理を楽しめぬものか?」「そんなむちゃな、こっちも商売だしさー……」
商売。そう言って、グッと胸が重くなる。たしかにスタジオは商売だ。
「もっと人生に彩りを」というのがスタジオのキャッチフレーズ。もちろん楽しく料理を一緒にする……だけではない。
新しい生徒さんを勧誘したり、上のコースへの進級、再受講などを、どんどんお勧めをしていかなきゃならないのが現実。
そのおすすめがうまくできる人もいれば、そうでない人もいる。未央はその中間くらいの位置で、やる気の生徒にはどんどん勧められるけど、そうでもない生徒には、あまりいえない。
売り上げの多い先生は、リーダーや、チーフなど昇格もどんどんしていく。昇格試験のひとつに売り上げ額も含まれているので、そうなるとたくさんの人にお勧めをしていく必要もある。
未央はそこまではできずに、まだ|平《ひら》のままでいた。それでもそれなりに給料はもらえるから、生活には困ってなかったし、不満もない。
ただ、もっと自由な料理の選択肢がほしいと思い始めたのは事実だった。スタジオ限定メニューの開発をさせてもらえるようになった頃からそれは顕著だ。
枠にとらわれず、もっとみんなが楽しめるメニューを。そう思っても、どこかで妥協してメニューを決める。もちろん生徒さんは喜んでくれるけど、もっともっと、と貪欲になってきた。