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「美冬は仕事だからな。無理に時間を作らなくてもいい。ただ、一緒に回れたら俺が嬉しいってだけだ」
「もし回れなかったら、今度二人で行きましょう」
「そうだな」
美冬の手からワインを受け取り、槙野はワインオープナーを使って器用にボトルを開ける。
仕事から帰ってきて、こんな風に二人で食事をしながら、自宅でワインを飲む楽しみは最近になって覚えたものだ。
美冬も忙しいので食卓に出るものの全てが手作りという訳ではないけれど、それでも今日のボンゴレビアンコは以前美冬が作ってくれてとても美味しかったので、槙野がリクエストしたものだ。
『そんなものでいいの?』
そう美冬は言ったけれど、シンプルな味付けゆえにとても美味しい。
実は美冬とは食の好みもとても合うので槙野には美冬が作ってくれたものは大概美味しいと感じる。
それは美冬にも同じことだった。
槙野はキッチンに立つことも厭わない。
朝でも休日でも気づいたら何か作ってくれることも多い。
それでも忙しかったら外食でもデリバリーでも構わない、と言ってくれる人だ。
二人が交わした契約書にも
『家計負担の合意
結婚生活における合意
お互いの親族との付き合いの合意』
などの記載はあるけれど、実は家事負担については記載がなかったのだ。
それは槙野が家事もできることが前提にあったからかも知れなかった。
もし仮に美冬が全く家事ができなかったとしても槙野の財力ならばハウスキーパーを雇えばいい、と解決してしまうことだったのだから。
実際に今もお互いの負担を軽くするため、と週に一度は来てもらっている。
槙野はそんなことで解決できるようなことは金を出して終わりにすればいいと考えているのだ。
それよりも、実は気が合わなかったとか、金銭で解決できないものの方が根深くなることを知っているから。
美冬とのことは価値観が近いことが何よりも幸せで大事なことなのだ。
価値観が近かったり、気が合う人と巡り会えたことが何よりも幸せなことだと槙野は思っていた。
そして何より美冬が愛おしいのは、槙野を頼ってくれることだ。
強くて優しいくせに、槙野にだけは弱った姿も見せてくれる。
そうして『怖かったの』と背中に手を回してくれるのだ。
そんな美冬を抱きしめるのは自分だけなのだという幸せ。
──自分だけが美冬を守ることができる。
それは槙野の中ではとても価値のあることだった。
京都駅に程近い大きな寺院の庭にランウェイが設置されていた。
昨日までは別のブランドがここでファッションショーを行っていたそうだが、明日はミルヴェイユがここでファッションショーをする。
ランウェイ以外の装飾は一旦全て外され、ミルヴェイユがデザインしたものに変えられていく。
美冬はそれをとても感慨深い気持ちで見ていた。
庭には控室まで準備されていて、その中に衣装が運び込まれている。
今回のオファーでコラボ商品も出すと言った美冬に、木崎社長も綾奈も涙を流さんばかりに喜んでくれた。
「こんな風に注目されたのはコラボがあったからですもん。コラボ商品を出すのは当然ですよね」
「あんなトラブルがあって、うちは訴えられてもおかしくはなかったのに。お返しできない恩を受けたわ」
一人ではできないことも、誰かと協力すればできることもある。
それまではミルヴェイユは孤高だった。
けれどコンペに参加し、出資には至らなくても、業務提携することでこんなファッションショーに呼んでもらうことができた。
そして今はパターンオーダーという他の企画も話を進めている。
素敵な出会いがなければできなかったことだ。
今までと同じミルヴェイユではできなかったこと。美冬だからできたことだ。
「お! すげー! いいじゃん!」
バックパックにパーカー、ジャージ姿でバックヤードパス用のシールを太もものところに貼った槙野が美冬に声を掛けにきた。
「祐輔! いつ来たの?」
「今だよ。スタッフに入れてもらった」
ぺったりと貼ってあるシールはまるでデザインされているようだ。
「槙野さん、そんな姿すると若く見えますね」
にっこり笑ってそう言った石丸に、槙野も笑顔を返す。
「見える、とはなかなか言ってくれるよな」
「それでもそのジャージとんでもない金額しますよね。その辺のやつじゃないでしょう?」
「金額は気にしてないが、行きつけの店で勧められたんだ」
槙野の着ているそれはブランドものだと思えばそんなものかな? ではあるが、ジャージと思うと確かにとんでもない金額ではある。
それでも着こなすことができるのが槙野なのだ。
「若作りしてるって思われるのはオッサンくさいわよ」
「ああ? 若作りなんてしてねーよ。オッサンとか言うなよ」
槙野はからかう美冬の額をピン! と指で弾いた。
他から見たらイチャイチャしているだけの二人だ。
そんな美冬も今日は動きやすい格好である。
以前も美冬が思っていたように、槙野の私服は男性らしい色気があって、パーカーにジャージはその野生的な顔立ちにとても映えていて、魅力的だ。
その証拠にセットを作っているスタッフがチラチラと槙野を見ている。
槙野と美冬、それにさらに石丸がそばにいるとどんな集まりなんだろうと注目を集めてしまう。