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第四章:強くなりたい
任務を終えた数日後、本部の訓練場の片隅。
まだ陽の昇らぬ静寂の中で、細い竹刀の音が鳴っていた。
「……はっ、はっ……!」
息を切らし、額に汗を浮かべながら構える少女の姿――結花だった。
鬼に襲われるたびに、誰かに守られなければならない自分。
あのときも無一郎がいなければ、自分は命を落としていただろう。
(私……このままじゃ、ずっと誰かの背中に隠れて生きていくことになる……)
そう思ったのは、あの戦いの後だった。
「守ってくれて、ありがとう」
そう口にしながらも、心の奥底では悔しさがずっと燻っていた。
もっと誰かの力になりたい。無一郎の足手まといになりたくない。
――そして、彼と“同じ目線で”並びたい。
そのために、結花はこっそり鍛錬を始めていた。
⸻
隠し稽古
結花は自分にできることから始めた。
元々身体は軽く、動きも素早い。静かに忍び寄る技術は隠の仕事の中で磨かれていた。
だが、それだけでは鬼と向き合えない。
竹刀を握る手に、力を込める。
(強くなるには、時間がかかる。でも――進みたい)
剣術は独学だった。誰にも知られないように、隠れた竹林の中や夜の訓練場で身体を動かす。
時には木に縄を巻き、打ち込みを繰り返した。
ふと、額の汗を拭った瞬間。
彼のことを思い出していた。
(無一郎……今どこで任務中なんだろう)
気づけば、考える時間が増えていた。
戦場で再会するたびに、その姿に目を奪われる。
無表情なのに、不思議と温かい言葉。鋭くも優しい視線。
彼が特別に誰かに心を寄せている様子はない。
きっと今は、まだ誰にも――。
(……それでいい。私は、まず自分を変えないと)
結花は竹刀をもう一度握った。
⸻
無一郎の想い
同じ頃、霞柱の屋敷では、無一郎がひとり書物を読んでいた。
鬼の行動パターン、異能の分析、戦術の研究。柱としての役割は重く、日々膨大な任務に追われていた。
彼はふと、手を止めた。
(……あのときの隠、結花……今、どうしてるんだろう)
思い返せば、何度も任務先で顔を合わせている。
最初はただの無表情な一隠に過ぎなかった。だが、鬼に襲われたときの震える瞳、必死に村人を守ろうとした姿――不思議と記憶に残っている。
(なんでだろう。……気になる)
彼の中に恋愛という感情はまだ芽生えていなかった。
だが、結花という存在が“印象に残る”ということ。それだけで、何かが少しずつ動き始めていた。
⸻
ある夕暮れの再会
その日は、本部の隅にある古い倉庫で、刀の手入れをしていた無一郎が、不意に人の気配を感じた。
(誰かいる……この時間に?)
足音を殺して近づくと、竹刀の音が響いた。
薄紅の夕日を背に、黙々と打ち込みを続ける細身の少女の姿――結花だった。
「……君、何してるの?」
突然の声に、結花は振り返り、肩を大きく跳ねさせた。
「と、時透さん……!? い、今のは、えっと……あの……!」
珍しく狼狽える彼女に、無一郎は一瞬だけ、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……稽古してたの? 隠なのに、珍しいね」
結花はうつむき、小さな声で答えた。
「私、弱いから……もう、誰かに守られてばかりじゃ、嫌なんです」
沈黙のあと、無一郎は少しだけ首を傾けて言った。
「……頑張ってるんだね。じゃあ、次の任務も一緒になるかもね」
そう言って、彼は夕陽の中を静かに去っていった。
結花はその背中を見つめながら、心臓の鼓動が速くなっているのを感じていた。
(今の……優しい、声だった)
霞の中から現れるように、少しずつ近づく距離。
まだ遠い。けれど、確かに前よりも“彼”が近くなった気がした。