「楓果…」
疲れた…名前を呼ばないで。腕や足を強く掴まれたせいでいたる所がじわりとしている。私が足掻くのを止めたからだろうか。今は何処も掴まれておらず、ハンカチをそっと当てられている。身体はまだ少し震えているのを感じる。気づくなよ。
「今日は災難だったね。拓斗もだめだね。君にとって辛い言葉を浴びせていた…深く傷ついたことだろう。」
ああ…見ていたんだ。遠くから静かに見ていたんだ。廊下の影からほくそ笑んでいる様子が思い浮かばれる。呆れた。
「笑ってたんだ。遠くから。」
道浦は目を丸くする。意外な反応だった。
「僕は少しも馬鹿にしていないし笑ってなんかないよ。…それは君自身のことなんじゃない?」
至って真剣なその台詞に私の心は見事に刺される。ドキリとした。私はそんなことしないと心の中で強く否定した。
「…拓斗くんに何したの」
「キスしたよ。」
「違う!そういうことを言ってるんじゃない!何を…何…を」
薄らぐ記憶の中で思い出したくないはずの記憶が湧き上がる。廊下での異様な空気感を思い出した。目からぬるいものが滲んでくる。ああ……泣くな泣くな泣くな泣くな!ハンカチで押さえる道浦の手を乱暴に退かし、零れるものを見られぬよう即座に横を向いて拭おうとした。
「君にとっての拓斗のイメージと、事実がかけ離れていたことに動揺したのかな。」
心配そうな落ち着いた声のトーンが聞こえる。流れ落ちてしまった涙に待ちわびていたように指が這う。
「君はさ、”内側から流れ出るものを誰かに見られる時、いつも顔を背ける”よね。」
「…どういうこと?」
私の疑問を無視して言葉は続けられた。
「拓斗はね。君が思っているより重い人間だから。僕が拓斗を担うよ。君はさ、僕に心を委ねてしまえよ。」
見透かしたようなその台詞に反吐が出る。拓斗はこんなやつに惚れたのか。
「死にたがりの君は安心を求めているんだ。優しい君はどこまでも一人ぼっち。僕が居場所になるよ。」
頭がかっと熱くなる。目まぐるしく頭の中で多くの言葉が飛び交う。私はいつの間にかベンチから立ち上がり、道浦の胸元を強く押していた。始めて触れる男性の服と身体の感触に反射的に戸惑い、私は言葉を取り戻した。
「お前さ、今日はかつてなく流暢だよな。どこかでネジでも外れたんじゃないか?拓斗を利用したな!!汚い本性だだ漏れだぞ。認識できてるか?自己中になりすぎてるんじゃないか?」
一瞬道浦はきょとんとしたものの、嬉しそうに口元を緩ませる。道浦はゆっくりと言葉を続ける。
「君こそ大丈夫かい。生きるのに疲れてしまったのだろう。」
「黙れよ。私の何を知った気でいるんだって何度言えばわかる?自惚れが。」
そいつはゆるりと立ち上がり息をするように私の頬を両手で触れる。何も怖くない。大丈夫…
心に触れられたようで、たまらず強く手を払いのける。道浦は少し寂しそうに視線を下に向けた。
「何となく察してくれているかと思うんだけどね。僕は君が欲しいからさ、あんまり逃げられると強行突破で最短ルートにでようかと思ってしまうんだ。…君なら後々受け入れてしまうだろうけど。まあ、そんなこと、今の君を困らせるだけだからね。僕の本望じゃない。」
強くはたかれ、置き場所に困った両手を自身に引き戻し何を考えているのかじっと見つめていた。中二病がこじれたか…そうであればどれ程よかっただろう。強行突破で最短ルート…?何をする気なんだ。分からない…なのに強く動揺している。視線がたじたじと他所を向き、どうにかして聞こえなかったことにしようとしている私がいた。
「…バスはもうすぐで来る。お前が何をしたいのかなんて知らないが、何か起これば運転手に助けは求められる、今日でも明日でも職員室に直ぐに行って先生に伝える。クラスメイトに今までの自分に酔ったような発言、行動を言いふらす。私はホラ吹きじゃないからな。皆は信じるし、流石の人気者のお前でも皆は引くだろう。そしたらお前の居場所は完全になくなるし、居心地だってかつてなく悪くなる。想像できるよな。今日中に明日中に絶対に皆に言ってやるよ。今、ここで宣言しておく。取り消すのなら今の内だ。そして金輪際私に関わらないと約束しろ。」
今のは嘘です。調子に乗りました。そんなの冗談だって笑。真に受けるなよ。僕そんなの言ってないし。絶対に言うな。…そんな言葉を願っていた。いや、普通はそうだ。なのにそいつは、そんなのでいいの?と笑っていた。
「皆に伝えても、僕は逮捕される訳じゃないだろう。君が懸念しているような、皆から嫌われて孤立するとか、悪い目で見られるとかはさ。考えてみて。それは君を手に入れるのに何か妨げになるのかな。君は想像不十分だよ。僕が君を手に入れたくて最短ルートで乱暴してやる時間は十分にあるんだ。居場所がなくなるとか関係ないよ。将来とか関係ないよっ」
「なあ、想像できないの?」
あっ違う違うそっちじゃなかった。と台詞を上書きする。
「…拓斗の秘密皆にバラしちゃうかも。こっちの方が説得力あるかもね。君にとって。」
どうにかして言葉を探す血の気の引いた私を他所に、そいつは気持ちよく言葉を続けた。たまらず溢れた恐ろしい言葉の数々、道浦の*認めた本性*だろうか。それとも、もとからこんな人間だったか?
「僕はね、君の居場所になりたいんだ。それだけなんだ。だからお互い平和に和解しよう。僕と付き合ってくれたらいいだけだ。それだけ。そしたら、君は今までと変わりなく過ごしていいから。ストーカーだってしないっ」
呆然と立ち尽くす私の両手を握り小学生のようにゆらゆらと揺らす。
「…一方的に欲しがるくせに居場所になりたい?相手を思いやらない、自己中な発言だという自覚はあるのか?」
ぴたりと手を止め、表情がみるみると消えていく。こちらに数歩進んでいたが予想しない行動に近づくのを許してしまった。耳元で静かに道浦は囁いた。
「自覚大アリだよ」
いつになく鮮明な声に、やめてよ!と声を上げてしまう。耳を舐められるんじゃないかと身体を大きく傾ける。腕は掴まれていて遠くに移動することを許されないのが異常に腹立たしい
「強姦してやりたいなぁ」
…は?心臓がまた強く打たれる。お前が…そんなのできる訳ないだろ?これはただの脅しだ。ただの脅しだ。そんなことして何のメリットがあるんだ。絶対にしない。息使いがどうしてか荒くなっていく。視界に白くもやがかかったかのように色を認識出来ない…。私は動揺なんてしていないのに。こんなに息が…上がったら勘違いされるだろ。話そうとするが鼓動が邪魔をして言葉が押さえつけられる。身体の力が抜け、コンクリートの地面にへばりついてしまう。硝子の瞳でこちらを見下ろす道浦に表情はなかった。
「はっ……き…でっ……はぁはぁ…でき…で…」
息が上がっているな。僕は知っているんだ。酸素を多く取り込んでいるこの状況下で身体を立たせてやり、脳を酸欠状態にした上で首を締めてやると2秒もしない内に意識を失い失神する。
拓斗に裏切られて心はやつれ。僕には口達者なのに相手に怯えて息の仕方を忘れる…なんだろうな。君は心も身体も繊細で脆くて弱い。いつも思うよ。貧弱だ。
君はこのままだと死ぬよ。一人ぼっちじゃないか。僕と同じで。仮面を被ってさ…人には誰だって人間らしい面もあるんだよ。だって人じゃないか。僕が”居場所に”なれば君は少なからず死んでしまうことはない。
僕は君を知っている。君の孤独を。僕は知っている。死のグロさを。君は知らないから。死に幻想を抱くんだ。行っちゃだめだよ。死んじゃだめだよ。
僕は君が好きだから…
僕が君を守ってあげなくちゃ!
なあ!
なあ!
ははははははははははは!
狂った僕は弱った楓果をたまらず抱きしめる。彼女は満更でもなさそうだ。笑える。逃げられないんだね。大丈夫…乱暴はしたくないから…。愛してるよ。楓果…。心地よかった。君に慈愛を。これが愛なんだなって…
コメント
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執筆お疲れ様です😊 2人の口論が白熱していて、読んでいて面白かったです。 道浦くんの言い分は、間違っているのだろうけれど、自信に満ち溢れた態度に圧倒され、若干倫理観が崩壊しかけました…笑