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空気が、一瞬で静まり返る。
冗談とも本気ともつかないその一言に、観客の表情が凍りつく。
だが、剛の目は——一切、笑っていなかった。
自分が予想を言い当てる展開だとばかり思っていた。
だが、状況は思わぬ形で反転する。
まさか、剛さんの方から“賭け”を持ち出すなんて——そんな展開、想像していなかった。
(……本当に、見破れるのか。僕に)
目の前に立ってみると、自信はわずかに揺らいだ。
けれど、今さら引き返すわけにはいかない。
羽鳥は、思わず息を呑んだ。
「……願いって、今ここで言わなきゃダメなんですか?」
その声には、ほんのわずかに怯えが混じっていた。
自分の“願い”を、こんなにも多くの他人の前で晒すなんて、気が引けて当然だった。
剛は、柔らかく首を横に振った。
「いいえ。胸の中で思い浮かべるだけで、充分です。とてもプライベートなものなのでね。」
羽鳥は小さく安堵の息をつく。
だが、すぐに問い返した。
「……じゃあ、もし外れたら?」
「特に何もありません。
当たれば、あなたの夢が叶う。外れても、お客様は何ひとつ損をしない」
剛は、さらりと付け加える。
「──ただし、少しだけ悔しい思いはするかも知れませんが」
会場がくすりと笑いに包まれた。
剛は、軽くトランプを宙に投げてキャッチすると、観客席をぐるりと見渡しながら、声のトーンをふっと落とした。
「——さて。それでは、君に予想してもらおう」
静かに、しかし確かな重さで告げられたその言葉に、羽鳥は、思わず身を固くする。
剛は指を三本、すっと立てた。
「私がこのあと使う“種も仕掛けもない演出”は——この三つのうち、どれでしょう?」
客席のざわつきが、少しずつ静まり始める。まるで、誰もが次の瞬間を待ち構えているようだった。
「一つだけ、当たりがあります。見事言い当てれば……君の願いを、ひとつ叶えましょう」
冗談のような響きの中に、なぜか抗えない現実味が混ざっていた。
「では、選択肢をお伝えしましょう」
剛は、指を一本ずつ折りながら、演説のように朗々と告げていく。
「その一。束の中からカードを抜き出し、選んだカードをズバリと言い当てる」
——「おお……」
観客の中から、素直な感嘆の声が漏れた。王道ながら、鮮やかに決まればそれだけで拍手喝采だろう。
「その二。舞台の天井から、カードがひとりでにひらひらと降ってくる」
——「それやったら逆にすごいわ!」
笑いと冗談めいた拍手が沸き起こる。空気が少しだけ緩む。
「その三。あなたのポケットに、“選んだカード”がすでに入っている」
観客席が、ざわっと反応する。
「え、それは……」「いや、それは無理だろ……」
思わず囁きが飛び交う。
剛は、静かに羽鳥を見つめる。
冗談でも脅しでもない。ただ静かに、その場の主導権を、羽鳥に預けていた。
「さあ、羽鳥さん。選ぶのは、あなたです」
羽鳥は、無意識に唇を噛んだ。
まず一つ目。選んだカードを言い当てる——
これは最も“それっぽい”。古典的だが、手品としては定番。
……だが、それだけに、意外性はない。
(このサーカスに来てから、ずっと“当たり前”の外を行ってる。
だったら、こんな正面突破、するか?)
二つ目。天井からカードが降ってくる——
派手ではある。舞台映えもするだろう。
だが、幻想を演出するには、あまりに視覚に頼りすぎている気がした。
(三つ目は……いや、ないだろ)
三つ目。ポケットに、すでにカードが入っている。
仕込むにはタイミングが必要だ。
家を出たのは突然だった。
道中、誰かに接触した記憶は——……
そこで、羽鳥の脳裏に、ふとよぎる一瞬があった。
(……あれ……?)
——“誰かと肩がぶつかった”。
剛の演技に夢中になっていた、あの瞬間。
羽鳥の背筋に、ぞわりと寒気が走った。
まさか、あれが……?
(……だったら)
答えは、すでに決まっていた。
羽鳥は、観客席の注目を一身に集める中で、
静かに、けれどはっきりと口を開いた。
「三番……ポケットに、選んだカードが入っている」
ざわつきが再び起きる。
誰もが「まさか」と思った。
だが、その選択が——
物語を大きく動かしていくことを、まだ誰も知らなかった。
剛が静かに目を細めた。
「……お見事。正解だよ」
その一言が告げられた瞬間——
会場が、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「うおおおっ……!」 「本当にポケットに!?」 「なんだあの手品!!」
羽鳥は、いまだに自分のポケットの中にあるカードを握ったまま、夢でも見ているような表情だった。
——だが、次の瞬間。
歓声が熱狂に変わりゆくその最中、剛はマイクを口元から離し、ふっと羽鳥の耳元に顔を寄せた。
観客には届かない、けれど羽鳥にははっきりと聞こえる声で——
「君は……本物のマジシャンになれる素質を持ってる。嘘じゃないぜ」
その言葉に、羽鳥の胸が強く脈打つ。
驚きよりも、心の奥を見透かされた衝撃。 “マジシャンになりたい”なんて、誰にも口にしたことはなかった。
このサーカスに来る途中ですら、自分の夢の輪郭はぼやけていたのに——
なぜ、この人は、そんなことを知っている?
羽鳥は、握りしめたカードを見下ろす。
ポケットにあった奇跡。
自分しか知らない夢。
そのすべてが、静かに、確かに繋がっていく。
(……この人は、本物だ)
そう思った瞬間、自分の中に眠っていた「なりたい」という感情が、
はっきりと形を持ちはじめた気がした