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「会議室Fの……予約表から、集計しました」
佐伯さんの声は、人前の声のままだった。ただ、少しだけ高かった。
「予約表」
専務は、六ページの一行から指を離さなかった。声も、大きくしなかった。
「会議室Fは、予約システムにない。三階の会議室はAからEまでだ。Fという部屋は、システム上は存在しない」
常務が、資料をめくった。
「六階の旧資料室のことだろう。使ってるのは知ってる」
「使っているのは知っています。ですが、システムにない部屋の稼働率が、六割、と小数点まで出ている。システムにない部屋の数字を、誰が、どうやって数えたのかを聞いています」
佐伯さんは、資料を見た。六ページ。会議室F、稼働率六十一・五パーセント。私が四月に、三年ぶんの予約表から出した数字だった。
「……予約表は、扉に貼ってあるものです。それを」
「誰がつけている」
佐伯さんの目が、一度だけ、長机の端に動いた。
「総務の、水瀬が」
部屋の中の全員が、私を見た。
専務だけが、私を見なかった。資料を見たまま、言った。
「では、記録係に聞こう」
私は、ノートの上に置いていたペンを、机に置いた。
聞かれたら、答える。答えたくなければ、答えなくていい。昨夜、専務はそう言った。
答えたくなくはない。
答えたら何が起きるかは、分かっている。総務が巻き込まれる。課長が困る。私は人前に立たされる。そして佐伯さんの提案が、ここで崩れる。
崩れることは、怖くない。
怖いのは、自分の名前を自分で言うことだ。いつも、そこで言葉が消える。
隣で、課長が小さく動いた。私の顔を見て、何も言わずに、机の下で自分の膝を一度叩いた。行け、という意味なのか、気にするな、という意味なのか、分からなかった。
私は、背筋を伸ばした。
「予約表は、私が三年つけています。稼働率は、その集計です。集計は、四月に私が作りました」
それだけ言った。
それ以上は、言わなかった。
言わなくても、部屋の中の全員が、佐伯さんの手元を見ていた。
営業企画部の部長が、佐伯さんと資料を見比べた。経理の部長は、六ページを開いたまま、ペンで小数点のところを押さえていた。
「じゃあ、協力してもらったってことだろ」
常務が言った。大きな声で、机を一度叩いて。
「総務が数字を出した。佐伯が形にした。それでいいじゃないか。何が問題なんだ」
「四月」
専務が、言った。
「四月、と記録係は言いました。この提案の起案は、六月でしたね。佐伯」
佐伯さんは、答えない。
資料を持った手が、下がっていく。
誰も、何も言わなかった。経理の部長が、咳をしかけて、やめる。課長が、隣で小さく息を吐いた。
私は、ノートに書いた。四月、六月。それだけ。
「終わりだ、次」
常務が言って、佐伯さんが七ページを開いた。
会は、続いた。一括調達の見積もり。削減額の試算。常務が二度、佐伯さんの肩を持ち、専務は二度とも、何も言わなかった。
終わりに、専務が一つだけ言った。
「以後、報告書の数字には、出どころと作成者を明記するように。この件に限らず、全部門で」
「……はい」
佐伯さんの返事は、小さかった。
常務が立ち上がって、部屋を出ていく。出ていく前に、私を一度見る。長くはない。でも、何かを覚えておく目だった。
会議室を出て、二階に戻る。
課長は、何も言わない。言わないで、私の机にぬるいお茶を置いて、自分の席に座って、しばらくしてから、こう言った。
「水瀬さん」
「はい」
「四月のあれ、私も見てたんだよね。机の上に置いてあったの」
「……はい」
「見てたのに、何も言わなかった。悪かったね」
課長は、まあまあ、と言わなかった。私も、何も言えなかった。
三時過ぎに、エレベーターの音がした。
専務だった。総務のフロアを、まっすぐ私の机まで歩いてくる。何も言わない。手に、青いボールペンが一本。
専務は、私の台帳の上にそれを置いた。
0.5ミリの、青。会社の支給品と同じもの。七階の机に何本も立っている、あれだ。
置いて、何も言わずに、帰っていく。
小森さんが、こちらを見ている。私はペンを取って、胸のポケットに入れた。そこには、もう一本入っている。二本になった。
人前では何も言わない人が、人前で、ペンを一本置いていった。それが何なのかを、私は考えないことにして、申請書を三枚片づけた。
夕方、エレベーターの扉が閉まる直前に、佐伯さんが乗ってきた。
二人だけになる。
佐伯さんは、ボタンを押さなかった。私が押した二階のボタンが、ゆっくり光っている。
「お前」
二人のときの声だった。
「俺に戻れば、名前を半分にしてやる」
「……」
「協力、じゃなくて、共同で。それならお前の名前も出る。俺の顔も立つ。悪い話じゃない」
悪い話じゃない、は、これで二度目だ。
「断ります」
「だろうな」
佐伯さんは、笑った。
「専務との契約が、偽物だってことは、俺は知ってる」
エレベーターが、止まった。扉が開く前の、一秒。
「……何のことですか」
「お前、嘘が下手だよな。昔から」
扉が開いた。
コメント
1件
第11話、読んだよ。会議室Fの予約表を巡って水瀬さんが自分の口で「私が三年つけています」って言ったところ、めっちゃグッときた…。普段は人前に立たされないようにしてる人が、あの場で背筋伸ばして自分の名前を出したの、すごい勇気だったと思う。 専務が台帳の上にボールペンを置いていったシーンも、言葉がなくて逆に重みがあったな。0.5ミリの青って細かいとこまでちゃんと描写されてて、世界観に引き込まれる。 最後のエレベーターで佐伯さんが「嘘が下手だよな」って笑うところも気になる…! 続きがすごく気になる展開だった🔥
#年の差
当麻月菜
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