テラーノベル
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雨の降る公園、滑り台の下。
「まだいたの?」
「来るって言ったから」
姿を見つけた途端、目元がほっと緩む。この子は、私がいないと駄目なのかもしれない。
そう思うと、胸の奥が甘く満たされた。
「……ハチ公みたい」
「ハチ公?」
「飼い主のことを、ずっと待ってた忠実なワンちゃんよ」
傘を頭上へ傾け、その場にしゃがみ込む。雨に濡れた前髪を、指先でそっと払った。
「小さくて、可愛いし」
「可愛くない」
「可愛いわよ」
むっとした顔がおかしくて、にこっと笑う。
「決めた。あんたは今日から、私のワンちゃんね!」
「……ワンちゃん?」
顔を近づける。
ちゅっ。額へ、軽く唇を押し当てた。
「――っ!?」
身体が、ぴたりと固まる。激しく降っていた雨の音まで、遠くなった気がした。
――あの頃は、その目がいつも私だけを追うことを、当然だと思っていた。
てなづけているのは、自分の方だと信じていた。
けれど、14年後。あの忠犬は、私を逃がす気などなかったのだ。
***
「初めまして。レイと申します。お席に呼んでいただき、ありがとうございます」
VIPルームの入口で丁寧に頭を下げ、顔を上げる。
(……え)
ほんの一瞬、仕事を忘れた。
(若っ……!)
この店――特にVIP席に来るのは、経営者や役員クラスがほとんど。それなのに、広いソファに一人で座っているのは、どう見ても二十代半ばの男だった。それだけでも珍しいのに。
切れ長の目元。すっと通った高い鼻筋に、薄い唇。濃紺のスーツに包まれた長い脚を持て余すように組んでいる。
彼が、ライムの浮いたグラスを長い指で持ち上げた。
カラン――。氷が鳴った。
ひと口だけ含み、グラスをテーブルへ戻す。
(……顔、良すぎない?)
昼は、化粧品や生活雑貨を扱うメーカーの法人営業。夜は週に一、二回、六本木のラウンジ。奨学金の返済と、離れて暮らす高校生の弟の進学費用を稼ぐための副業だ。
金のある男も、見た目のいい男も、それなりに見慣れているはずだった。それでも。
(……骨格からしてレベチなんだけど……)
(しかも何、この色気ダダ漏れ感。これはちょっと、反則でしょ……)
いやいや。仕事よ、仕事。思わず見惚れそうになって、心の中で自分を叱りつける。
「……お隣、よろしいでしょうか?」
完璧な営業スマイルを作った――はずだった。
「……」
返事はない。
(え、無視? もしかして、めんどくさい系の痛客?)
目が合う。男は、何かを確かめるように、じっと私を見つめていた。
(何よ? 髪? ドレス? メイク?)
(顔が好みじゃないとか? いや、知らんがな! そっちがわざわざ指名したんでしょ!)
もちろん、顔には出さない。
「では、失礼いたしますね」
隣のソファへ腰を下ろす。シトラスとウッディが混ざったような香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
(無愛想だけど……ほんっと、顔だけはいいわね)
まずは会話のきっかけを作ろうと、テーブルのボトルへ手を伸ばす。
「お酒、お作りしましょうか?」
「いらない」
「では、何かお話でも?」
ラウンジで働いていると、相手が何を求めているのかは、だいたい分かる。
自慢話を聞いてほしい。仕事の愚痴に共感してほしい。褒めてほしい。下心に気づかないふりをしてほしい。
でも、目の前の男からは、何も読めない。わざわざ私を指名したくせに、酒も話もいらないなんて。ただ、こちらを見ている。
「初めましてじゃないけどな」
「……え?」
男は、ほんのわずかに唇の端を上げた。
「玲奈」
ドクン、と心臓が跳ねる。
「……え?」
今、なんて言った……?
この店で私は、「レイ」だ。橘玲奈じゃない。 客に本名なんて絶対に教えない。
まして──こんな男に教えた覚えなんて、これっぽっちもない。
(ていうか──あんた、誰?)
(なんで私の本名、知ってるの!?)
コメント
1件
おお、第1話読んだわ!めっちゃ気になる終わり方じゃん! 玲奈の「骨格からしてレベチ」とか「反則でしょ」みたいなツッコミがリアルで笑ったw 仕事モードの営業スマイルと心の中のギャップがいいよね。で、突然「玲奈」って本名呼ばれた時の心臓バクバク感、めっちゃ伝わってきた。なんで知ってるの!?続き気になりすぎる🔥