テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
612
3,714
サー――。
どこからか、春のあたたかな風が吹いている。私はこの日、恋に落ちた。
満開の桜の下、人混みを避けるように歩くその人は、驚くほど冷ややかな瞳をしていた。
「……退けよ」
低く、温度のない声。
目が合った瞬間、春のあたたかさなんて忘れるくらい、私の世界は彼一色に染まってしまった。
冷たく言い放たれた言葉に、私は息をすることさえ忘れていた。
先輩の制服の裾が、春の風になびいて遠ざかっていく。
「……あ」
伸ばしかけた手は、行き場をなくして空を切る。
あんなに冷たい声を出されたのに。
あんなに突き放すような目をされたのに。
私の心臓は、壊れた時計みたいにデタラメなリズムを刻んでいる。
「いまの、誰……?」
気づけば、隣にいた友達の袖を掴んでいた。
「え、ひなた、知らないの? 2年の氷室先輩だよ。成績トップで超有名だけど、性格は氷みたいに冷たくて、誰も近づけない『氷壁の王子』って言われてるんだよ」
氷壁の王子。
その名前を聞いた瞬間、私の胸の奥がチクりと痛んだ。
みんなが「冷たい」と恐れるその氷を、私が溶かすことなんてできるのかな。
いいえ。溶かしたいなんて、そんな大それたことじゃない。
ただ、もう一度だけ。
あの冷たい瞳に、私を映してほしい――。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!