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その一件で生き方を修正しようと努力したなら、まだ救いがあったかもしれない。
けれどたった一日で得たショック、気付きよりも、十二年積み重ねた狂気と絶望のほうが圧倒的に強かった。
私はたびたび息子を優那と混同して危害を加え、冬夜は自分がされている事を妹に気づかせまいと必死になっていた。
いっぽうで涼子は私の狂気を止める事を放棄し、酒と薬に溺れるようになった。
彼女は調子のいい時には家事をするものの、それ以外の時は酒で薬を流し込んでいびきをかいて眠り、たまに救急車で搬送された。
冬夜は親に見切りをつけ、小学校に上がったばかりの春佳の面倒を見る。
そして私が買い与えたスマホであれこれ調べ、料理をはじめ家事をするようになった。
涼子はそんな冬夜の姿を見て、余計に情けなくなったらしい。
元から精神的に不安定な彼女は、家事をしたくてもできない状態にある。
なのに優那の生き写しの冬夜が自分の代わりにテキパキと家事をこなすものだから、『自分は夫に抱かれもしないのに、息子に性的魅力で負けている』と劣等感を抱くのに加えて、悔しさや羞恥、敵対心を抱いていった。
涼子はたまに『私だって料理ぐらいできるんだから!』と張り合うように食事の支度をするが、毎日している訳ではないので手順を忘れ、おかしな味になってしまう。
見かねた冬夜は『俺がやるから』と言うものだから、母親としての面目が立たなくなり、常にふてくされた態度をとるようになった。
春佳は親子喧嘩の絶えない家族に萎縮し、口数の少ない大人しい娘に育った。
そして常に人の顔色を窺い、少しでも誰かが怒鳴りそうな雰囲気になると、焦って別の話題を出すようになる。
涼子は冬夜を嫌い、春佳に過干渉する親になった。
どうやって子供に接したらいいのか分からない。
その上、冬夜が春佳を大切にしているのを見て、娘にきつく当たる事で冬夜を苦しめようとしていた。
奇しくも涼子は、苦手としていた自分の母親と似た道を歩んでしまったのだ。
本当は自分のようにならないよう、守ってやりたいと思っているのだろう。
しかしまともに春佳と向き合えなかった涼子は、まっとうな愛情の伝え方を知らない。
涼子は常に子供を怒鳴り、失敗したら『ほら見なさい』とせせら笑い、冬夜に注意されたら逆ギレし、あとから一人で泣く女になった。
私は涼子の不器用な母親ぶりを目の当たりにしても、『母さんにも事情がある』と言えずにいた。
涼子をあそこまで追い詰めたのは、他ならない私だからだ。
やがて冬夜はキックボクシングを習うようになり、朝夕にジョギングと筋トレをし、着実に私に抵抗できる体を鍛えていった。
凜々しい青年が過去に女の子として育てられたと思う人はいないし、顔立ちが整って成績優秀、何をしても良い結果を収める彼が、父親に犯されて泣いていたなど誰も思わない。
冬夜は社会的に見て圧倒的な勝者となったのに、いまだ心の底では私に恐怖を抱き続けている。
そして私も〝男〟になった冬夜に、いまだに優那の面影を見続けている。
瀧沢家は同じ屋根の下、四人とも違う方向を見て家族として生きている。
私は冬夜を優那として抱く事ができなくなった頃、潮時を感じていた。
冬夜は私の最愛だ。
だが彼は家を出たあと二度と戻らなくなり、私や涼子が死んでも葬式にすら現れなくなるだろう。
――じゃあ、もうそろそろいいのか?
――冬夜があなたと同じ二十六歳になったら、私はこの地獄から脱していいか?
疲れを覚えた私は税理士や弁護士と相談して、自分が死んだ時に備えるようになった。
子供はいつか親の手から離れる。
それを見届けたらもういいだろう、と感じていた。
春佳もいずれ自立するだろうし、涼子は私の遺産や障碍年金で生きていける。
死ぬ時は妻に『私よりいい男を見つけて再婚してほしい』と遺書で伝えるつもりだ。
あまりに身勝手な父親、夫だという自覚はある。
でも私はこう生きる以外、どう生きればいいか分からなかった。
生き方のマニュアルなどないし、どんな選択をすれば両親や家族、世間の人の期待に応えられるのか、欠陥品の私には分からなかった。
だから私は、自分を認めてくれた優那に縋り続けたのだ。
憧れの人に指示されるまま生きる事は、とても楽だったから。
けれどもう、囚人服のように思えるグレーのスウェットを着るのにも疲れてしまった。
優那が最期に着ていた服で子育てをしようと思ったが、色のない服を着続けているうちに、自分の人生もグレー一色のようだと、心が萎びていった気がする。
興味を持つのは冬夜と子育てだけ。
たまに普通の家族のふりをして外出をした時、遊園地やファミリーレストランで喜ぶ子供たちを見て嬉しくなった気持ちは、まやかしだったに違いない。
私は最後まで〝親〟にはなれなかったのだ。
十八歳になった冬夜が家を出る時、私に保証人になられるのを嫌がった彼は、祖父母に事情をすべて話した。
両親に呼ばれた私は、凪いだ気持ちで実家に向かい、父の激しい怒りと母の嘆きをぶつけられた。
すみません。ろくな息子じゃなくてすみません。
私だってどこから間違えたのか分からないんだ。
少年期に感じていた不安を打ち明けたとして、あなた達は親身になって聞き入れてくれただろうか。
あなたは自分や父のように優秀な成績を収める事のできない私を、いつも諦めた目で見ていた。
言葉で責めなくても、子供は親の失望を敏感に受け止めるものだ。
そして見放されるのが怖いから、自分からは決してネガティブな話題をできない。
本当は他の子のように、勉強で分からなかったところを父さんに聞きたかった。
父さんが趣味にしている、釣りの良さを教えてもらいたかった。
母さんがなぜ、『疲れた』と言っているのに庭の手入れをし続けているのか、教えてほしかった。
そこにある魅力、良さを子供である私にも共有してほしかった。
……でももう、何もかもが手遅れだ。
不出来な私は自分なりに生き方を模索し、相談できる相手を持たず、周囲を欺きながら破滅の道を歩んでしまった。
もう、怖れも怯えも何もない。
あと数年、冬夜が二十六歳になって四月を迎えたら、私は優那のもとへ行く。
心にあるのは『死んで楽になれる』という安らぎだけだ。
身に纏っているグレーのスウェットは、殉教者のように白く染まってくれるだろうか。
いつからか〝その日〟を待ちわびるようになった私は、朝早くに起きて、ベランダから朝陽が昇る様子を見る事を日課にした。
あとどれぐらい日が昇って落ちたら、この歩みを止めても許されるだろうか。
妻と子供を遺して死ぬ私を、世間の人は『自分勝手な父親』と思うだろう。
私が冬夜にした事、涼子を妻として扱わなかった事、春佳に興味を持たなかった事、そもそも冬夜を連れ去った事を知られれば大罪人のレッテルを貼られる。
けれど涼子は私の〝共犯者〟だから、誰にも言わないと信じている。
冬夜にしても、妹を失望させたくない一心で生きているから、自分が性被害者だと名乗り出る事はないだろう。
そのような犠牲の中、私の秘密は守れる。
世の中にはきっと、このように表沙汰になっていないだけで、聞くもおぞましい事件が多くあるのだろう。
だが、身勝手な願いが叶うなら、妻と子供たちには穏やかに生きてほしい。
私なら、死後の責め苦をどれだけでも受ける。
彼らが普通に暮らせるのなら、私は何も弁明せず、黙って死んでもいい。
そして最期は、愛する人に命のバトンを渡したい。
優那が遺体となって想いを託したように、私も冬夜の前で死を選び、想いを託したい。
『……迷惑だと言われるんだろうなぁ……』
私は父に殴られて腫れた顔で笑い、居酒屋で日本酒の入ったグラスを傾ける。
『でもそれが父さんの愛し方なんだ。諦めてくれ』
小さく笑った私は、冬夜なら春佳をだしにすれば簡単に煽れるだろうと見当をつけた。
コメント
1件
え、まじで…この第41話、読み終わったあとしばらく動けなかったよ…。父親の独白、重すぎて胸が潰れそうになった。特に「最後まで親になれなかった」って言葉と、自分を殉教者みたいに語るところが、もう…グレーのスウェットの比喩もエグい。 でも、それでも冬夜と春佳だけは報われてほしいって願わずにはいられない。臣桜さんの筆致、容赦なくて引き込まれる…。
臣桜
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