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「……うん。俺は……許されたかった」
しばしの沈黙の後。
ローザは彼自身の発した言葉を、今一度反芻した。
「ずっと、許されなかったから……許される人間として、生きていきたかった」
「…………」
「だから……別の人に、なったのかな」
名前を変え、性格を変え、考え方すらも変えて。
どう振舞っても許されない、雁字搦めの北郷梨太郎とは正反対の――どう振舞っても許される、自由奔放な『妖精』へ。
「それが、ローザ……ローザ・ノーストピア」
俺自身が作った、梨太郎とは別の人間。
そう口にするローザの表情は、とても寂しそうな色をしていた。
「アイドルになったのも……なんとなく面白そうだから、って思ってたけど、本当は……もっといろんな人に、許されたかったのかな……」
より多くの場所で、多くの人に許されたい。
それは、存在を許されることが生きる条件だった梨太郎の「もっと自由に生きたい」という我儘だったのかもしれない。
「……俺を選んだのは?」
それまで黙って聞いていたニゲラが、思い切って一歩踏み込む。
「俺、不愛想だし、口数も少なかっただろ。そんな人間を、一緒にやる相手に選んでよかったのか……?」
「……うん」
あの日、一人で努力する姿を見て。
一切の曇りのない、深くまで見通すことができそうな瞳を見て。
「この子が許してくれたら、きっとここで生きていけるって思ったのかも……」
「……そんな大層なものじゃないだろ、俺は」
「それは……一目惚れ、みたいなものだから。話す前からそう思ったし……」
事実、ニゲラはそれだけの説得力を持っていたとローザは言う。
思慮深く、ひたむきで……何より、ローザが踏み込んでくることを拒まなかった。
「……でも、一緒に活動を始めて、ニィのすごいところをいっぱい見て――」
あの日、ニゲラの歌声を聞いた時。
そして、初めて同じダンスを踊った時。
「……どうしよう、って」
それは、明確な焦りだった。
「――そうなって初めて、ニィと一緒にやるってことの意味を思い知った」
ローザにとって、承認というのは相対評価だ。
誰と同じ、誰と違う、誰より優れていて、誰より劣っている。
モデル時代には幼少期の経験とルックスが武器となり、『性別問わずなんでも着こなし、マルチリンガルを活かしてグローバルに活躍できる人材』という、俗に言うブルーオーシャンで悠々自適なトップモデルライフを送っていたが――今回は、そうではなかった。
「ニィの隣に立つってことは……ニィと同じだけの輝きを求められるんだって、気付いて、」
ローザにとっての一番の比較対象は、自分が『これだ』と見出した煌めく逸材で。
そしてそれは、すぐ隣で煌々と輝き続け――尾崎社長が提示した条件が持つ本当の意味と、ひとつの現実を突き付ける。
今のローザ・ノーストピアでは、アイドルとしてステージに――芦名ニゲラの隣に立つことを許されない、と。
「だから、自主トレを……完全に同じようにはできなくても、可能な限り経験の差を埋めようって思って……」
最初のレッスンの日から数えて三週間、ローザが自分に課したトレーニングは週七日。
時間は、未成年であるニゲラとのレッスンが終わる二十時から二十四時までと、毎朝八時から別の仕事が開始するまで。
過負荷による負傷を防ぐため、週五回のダンスレッスンと週二回のボイスレッスンを組み合わせて予定を組んだ。
「……待て」
そこまで聞いて、ニゲラは思わず待ったをかける。
聞き間違いでなければ――
「今、週七って言ったか……?」
「……はい」
「馬鹿」
考えるよりも先に言葉が出た。
週二回は全身運動を控えた休息日を設定しているとはいえ……その他の時間に通常の業務やレッスンをしていることを加味すると、言い逃れできないオーバーワークだ。
「い、忙しいのとか、弾丸スケジュールとかは、慣れてるから……」
「でも怪我したろ」
「だから……これはその……偶然、階段で……」
「ローザ」
ローザが明後日の方向を向いて言い淀むので、ニゲラはその頬を両手で挟んで自分の方を向かせる。
それでも視線を泳がせて逃げようとするが、そのままの状態でしばらく拘束していれば、十秒程度で観念したかのように瞼をぎゅっと閉じた。
「……ね、寝る前にいろいろ考えちゃって……気がついたら朝になってたりとか……」
そう。
忙しさにも多少の無茶にも耐性のあるローザが、唯一見落としていたことがあるとすれば。
それは、追い込まれていることへの自覚、そして精神面への配慮だった。
「あの日の朝、ダンスの練習が終わったときに……ふらっとしちゃって……」
「転んだのか」
「……ううん、一応踏みとどまった。けど、その時に……」
踏ん張り方が悪かったのか、足首に僅かな痛みが走ったのだという。
頭が真っ白になりながらも、かつて合気道をしていた時に習った応急処置とテーピングを施し、そのままインタビューの仕事に向かった――それが、あの日の真相だった。
「夕方のレッスンで踊れなさそうだったら、その時痛めたことにして病院行こうって……でも、結局バレちゃって……」
「……そういうところだけ頭が回るの、よくないぞ」
「はい……」
そして、その後はニゲラも知っている通りだ。
パフォーマンスは緊急で差し替えとなり、ローザはこうして逃げ出した。
「……元のパフォーマンスができないって言われて、頭ぐちゃぐちゃになった」
要求されるクオリティを満たせないどころか、自分のせいで根底から駄目にしてしまった。
それは即ち――他者から認められることで存在していた『ローザ・ノーストピア』の終焉だった。
「全部、駄目にしちゃって……ニィに『ちゃんと話そう』って言われたの、怖くて……」
「……どうして?」
「…………げ、幻滅……されたと思って……もう一緒にやりたくないって、言われるかなって……」
震える唇でそう呟いて、すぐにきゅっと引き結ぶ。
……先ほどの発言の通りであるのなら、ローザにとってのニゲラは「アイドルとして生きるために、認めてもらわなければならない相手」で。
その相手に幻滅されることは……活路を断たれるに等しかったのだろう。
「……ローザ」
ニゲラは手のひらで挟んでいたローザの頬を解放すると、そのまま右手を上へ持っていき――
「大馬鹿」
「い゛っ!?」
俯きかけていたローザの額を、ぴんっと指で弾いた。
「い、痛い……」
「幻滅する訳ないだろ」
形のいい眉を八の字にしてこちらを見上げるローザに、ニゲラは躊躇うことなく言い放つ。
「そもそも、話そうって言ったのだって……来週以降のトレーニング方法はちゃんと一緒に決めようって話で」
「…………ぇ」
ニゲラの言葉を聞いて、ローザが目を見開いた。
「……なんで驚いてるんだよ」
「だ、だって……来週以降って、もう収録終わって……」
「収録が終わってもユニットは続くだろ。これから先、またひとりで思い悩んで無茶されたら、俺の心臓がもたない」
だから、ちゃんと話し合った上で、やり方やスケジュールを一緒に決めていこう。
あの晩、ニゲラはそう考えていた。
「……俺の言葉が足りなかったのもあるけど。それにしたって、暴走しすぎ」
「…………」
「思うところとか不安なことがあるなら、ちゃんと相談してほしい」
これから先ずっと……相方なんだから。
湧き上がるむず痒さを押し込んでしっかりと告げれば、ローザのくりくりとした瞳から大粒の涙がぽろりと落ちる。
「あ、相方」
「……そうだろ」
「……いいの……?」
「いいよ」
「こ、こんなに……駄目駄目で、嘘ばっかりの俺でいいの……?」
「いいよって言ってる。俺が相方で居てほしいのは――」
これから、幾多のステージに立つとき。
眩いライトの下、いつだって隣で共に煌めいてほしいのは。
透明な水滴が滑り落ちる涙袋を親指の腹で拭いながら、ニゲラは自然と頬を緩めた。
「――泣き虫で、見栄っ張りで、ちょっと思い込みが激しくて……だけど誰より頑張り屋な『ローザ・ノーストピア』以外に居ない」
頑張り屋すぎるところは玉に瑕だけどな。
冗談めかしてそう言えば、小雨程度だった涙は一瞬にして滝になってしまった。