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結局、その日は梨琥の部屋で一泊することとなった。
……というのも、あの後わんわんと泣き出してしまったローザの声を聞きつけた梨琥が部屋から飛び出してきて、号泣するローザと慌てるニゲラという最悪の構図を目撃され。
現行犯として拘束されたニゲラが正座で説教をされているうちに、時刻が二十二時半を回ったためである。
その後、柴田に連絡してローザ共々お説教を受け、ローザの緊急連絡先として申請している梨琥が電話を代わり、気が付いたら宿泊する流れとなっていた。
梨琥は「未成年と怪我人を今から外に出すよりは」と言っていたが、恐らくローザと長く一緒に居たいがための理由付けだろう。
……ただ、これを指摘すると一人だけ外につまみ出されそうなので、ニゲラはその言葉をそっと胸にしまった。
「それじゃあ……お世話になりました」
翌朝。
玄関で靴を履いてから、ニゲラはぺこりと頭を下げる。
隣ではローザがゆっくりと靴を履いていて――その足首はテーピングこそされているものの、丸二日間の間に梨琥が施した適切かつ甲斐甲斐しい処置により、一旦は通常の機能を取り戻すに至っていた。
「別に君をお世話したつもりはないけど……ぁふ……」
相変わらずニゲラに対してつんけんした態度を取りながら、梨琥があくびを噛み殺す。
昨晩、寝室のベッドをローザに、客用布団をニゲラに譲った梨琥は、自室で朝までかけて大学の実験レポートを纏めていたらしい。
昨日は昼から帰宅直前まで実験室に籠っていたとのことで、それを聞いたニゲラは、柴田が昨日「緊急用の連絡先も繋がらない」と零していた理由を把握したのだった。
「梨琥ちゃん、ごめんね。眠いのに朝早く見送りさせちゃって……」
「ん、大丈夫。どうせ今日の講義は午後からだから、このあとひと眠りするよ」
ニゲラの時とは大違いの優しい声で言いながら、梨琥はローザに笑顔を見せる。
昨晩の時点で思ってはいたが、これは俗に言う……、
「……芦名くん」
「は、はい」
不意に梨琥の視線がこちらに向けられ、ニゲラはぴっと背筋を伸ばす。
「…………」
「……?」
「君のことは、正直すっごい気に入らないんだけどさ……」
……どうして自分はいきなり喧嘩を売られているのだろうか。
散々な言われ様に困惑していると、梨琥は歯痒そうな表情で続けた。
「……兄さんが無理しないように見張るの、君に頼むしかないみたいだから」
だから、よろしくお願いします。
そう言ってほんの僅かに頭を下げる様子に、ニゲラは少し面食らう。
言い方にこそ棘があるものの……その言葉が、一定以上の信頼から出た言葉であるように感じたからだ。
……あくまで希望的観測であって、釘を差されただけという可能性もあるのだが。
その後、ローザに対して「何かあったらいつでも来てね」「いつでもいいから」「むしろ何もなくても来て」と懇願する梨琥の姿を背に、二人は柴田が手配したタクシーで会社に戻るのだった。
社屋に到着した二人を出迎えたのは、尾崎社長の一言だった。
「残り三日で完璧に仕上げろ」
涼しい顔でそう言い放ち、ステンレス製のタンブラーを手に取って社長室を出て行ってしまう。
あまりにもあっさりとしたその反応に、残されたニゲラとローザはぽかんとしてしまった。
「…………え、っと」
「まあ、『がんばれ』って意味だな! 説教は俺が昨日したので充分ってこと!」
分かったらさっさと打ち合わせ行くぞ~、と柴田に背中を押され、二人は思考を整理する間もなく部屋を出る。
扉を潜る折、何とはなしにちらりと後ろを振り返ると……デスクの上に築かれた書類の山が、昨日の夕方よりも高さを増しているように感じた。
そこからの三日間は、怒涛という言葉が相応しいスケジュールだった。
主な内容としては、変更したパフォーマンスの確認と、実際に動いたところを見ての微調整。
定期的にローザの足の具合を確認しつつ、負担のない範囲で視覚的にインパクトのある演目へとブラッシュアップしていく。
そうして出来上がった最終案は――当初予定していたものからターンや大幅な移動を減らしつつも、メインカメラで捉える範囲を目一杯活用した、纏まりのあるパフォーマンスとなった。
そして、その間のローザはというと。
変更点の適用に加え、本人が危惧していた基礎的な技術力についても本格的に指導を受けることとなり、悩んでいる暇もなく目を回していた。
それでも、本人的にはまだまだ練習し足りないと思っていたようで……毎日のレッスン終わりに「まだスタジオに残る」と駄々をこねるものだから、それを宥めて部屋に連れ帰るのがニゲラのルーティーンに追加されることとなった。
なお、本人はこのようにストイックに頑張っているが……ニゲラ個人としては、ローザのパフォーマンスは最初から魅力的で、他の追随を許さない個性があると思っている。
まず、本人に言わせれば「埋もれちゃう」というその歌声だが、それは決して技量不足や没個性が原因ではないとニゲラは感じる。
大前提としてローザの歌は、コットンキャンデイのように後を引く甘さを持った声質と、少し危険な香りのする妖艶さを孕んだ息遣いが特徴的な唯一無二のものだ。
ローザ本人が「埋もれる」と言っているのはこの特徴的な息遣いによる部分が大きく、それを直すために無理やり強い声を出してしまっては、持ち前の良さが消えてしまうだろう。
そして、本人が特に練度を上げたいと無茶をしてしまうダンス。
これについても、決して本人の練度が足りていない訳ではなく、動きの性質がニゲラのそれと大きく異なることが原因だろう。
これは普段の生活の中でも言えることだが――ローザの動きは常に流動的で、のびのびとしている印象が強い。
それはニゲラがアイドルを始めてから習得したダンスの特徴――ロックやポップといった、関節や筋肉などの細かな部位に重点を置き、鋭く俊敏な動きをするものとは大きく異なっている。
恐らく、バレエやジャズダンスといったものと相性がいい類のものだ。
これからユニットとして活動していくにあたって、傾向の異なる種類のダンスも習得していく必要はあるものの……アイドルという「個性を活かす」ことが重要なパフォーマーの特性上、どちらか片方に極端に寄せなければいけないということもないはずだ。
だからこそ、ローザひとりが頑張ってニゲラに寄せるのではなく……その時々で最も魅力的に見えるパターンを一緒に考え、お互いの良さを尊重し合いながら、二人のパフォーマンスを作り上げていきたい。
ニゲラは、それこそ最初からそう考えていた。
……ちなみに、これを寝る前の電話口にてローザに伝えたところ、とてつもない勢いで号泣された。
宥め終わる頃には既に夜中の一時を回っていて……また寝不足で不調を起こす訳にはいかないと、二人して慌てて布団に潜り込んだのだった。
そんなこんなで、慌ただしくも濃密な三日間と一日は瞬く間に過ぎ去り。
ついに、その日はやってきた。