テラーノベル
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「…汚いな」
鼻を劈くような腐敗臭が館の中に入った瞬間襲ってきた。光の付いていない廊下を所有しているランタンで照らしながら辺りを見渡すと、ヌメッとした黒いものが床や壁や天井の至る所に張り付いていた。
その不快感にピコ…、と耳羽が小さく跳ねた。普通の人なら嫌悪感と不快感で吐きそうになりながらその場を立ち去るだろう。けど、僕はヌメッとしたものを避けながら先へ進んで行った。
進んでも物音もせずただ静寂が漂っている、聞こえるのは自分の足音だけだった。 すると、廊下の奥から湿った肉を叩きつけるかのような音が聞こえてきた。
ーグチャ、ズズ……。
何かを無理やり飲み込み、咀嚼するかのようなおぞましい音が聞こえてきた。照らし出したランタンの光が、廊下の突き当たりに留まった「黒い山」を捉える。それはただの塊ではなかった。
山のように積まれた人間の食べ残し。その隙間から、溶けきっていない無数の腕と足が、助けを求めるように蠢いている。その塊から強烈な腐敗臭が放っており、僕の耳羽は拒絶するかのように痙攣していた。
その黒い山にパチ、パチ、パチ、と無数の亀裂が走る。それは瞬きだった。溶けかけてた肉塊の至る所に埋め込まれていた「無数の目」が一斉に僕を捉えた。
「……ア…ぁ…ア”ァ”…、タ……リな”、ィ…!」
咀嚼音が止まり、地鳴りのような声が鳴り響く。そのバケモノは無数の腕と足をバタつかせながら
僕を捕食の対象かのように襲いかかろうとしてきた。
迫り来る無数の腕を、僕は紙一重でかわす。僕の羽耳が恐怖か、あるいは興奮か、激しくピコピコと空を打つ。僕は立ち向かうのは無理だと判断し、咄嗟に廊下を突っ走った。
ーズザザザザザッ。
バケモノが僕を求めてだんだん迫ってくる音が聞こえてくる。廊下の角を曲がった時、隠れ場がないか探していると、鍵のかかっていない部屋が目に入りそこへ入り込み息を殺した。
ドクン、ドクン、と耳の奥で自分の鼓動だけがうるさい。扉の向こうからは、ズズ……ヌチャ…と、重たい肉の塊が廊下を引き摺られる音が近付いてくる。もうすぐで過ぎ去るだろうと安堵している時、 音が扉の前で止まった。
ーガチャ、ガチャガチャガチャッ…!
向かいの扉のドアノブが乱暴に回される。
「ァ…ガ…、…ド……コ…ダ…?」
その音を聞いて、心臓が止まりそうになった。僕は咄嗟にランタンを服の裾で隠し、光が漏れてバレないようにのギラついた目がこちらを覗いた。
ーバキッ!!!
薄い木の扉が、内側へとひしゃげた。
ひしゃげた扉の隙間から、黒い泥のような腕がなだれ込んでくる。僕は咄嗟に横へ転がり、間一髪でその不浄な接触を避けた。転がった拍子に、裾で隠していたランタンが床を滑る。漏れ出した光が、部屋を埋め尽くそうとする「無数の腕」を鮮明に照らし出した。僕は咄嗟にランタンを掴み、何処か逃げ出せる場所がないか見渡した。すると、天井が一部抜けていることに気が付いた。ランタンをしっかり持って、片手に斧を所持し、そのバケモノが呻いてる瞬間その抜けている部分に目かげて斧を引っ掛けバケモノの手が自分の足を掴む前に力を振り絞って上の階へ上がることが出来た。
棚に手を伸ばした。視界は狭く、ランタンの芯はパチパチと悲鳴を上げている。指先に触れるのは、埃を被った古い紙の感触と、あの「暴食」の影響か、ねっとりと湿った何かの粘液。
「お願い、……どこ……」
焦るほどに、脳内に流れ込むバケモノの「飢餓感」が強くなる。胃の奥を掴まれるような空腹の幻覚に耐えながら、僕は引き出しを乱暴に引き出した。
ーガリッ、バリバリッ……。
足元の床が、バケモノの無数の手によって削られる音が響く。奴はすぐそこにいる。僕の「温かい肉」を求めて、この階を食い破ろうとしている。僕は棚の上にある、小さな長方形の箱を見つけた。
「あった……!」
掴み上げたその感触は、紛れもなく木製のマッチ箱だった。だが、中身を振る音は驚くほど軽い。
中を開くと、マッチはあと数本しか無かった。
湿ったマッチが一本、二本と無駄になり、焦燥感が耳羽を震わせる。三本目、ようやく灯った小さな火を芯に移すと、ランタンがボウッと温かな光を取り戻した。その光が届く範囲だけ、脳に流れ込む『暴食』のノイズが少し和らぐ気がした。
ーズズ……ッ、ガリッ!
背後で、床板がさらに大きく割れる不吉な音が響く。奴はもうすぐそこだ。僕は音を立てないよう、抜き足差し足で部屋の扉へ向かった。扉の隙間から廊下を覗くと、そこもまた下の階と同じように黒い粘液に侵食され始めていた。
壁紙は剥がれ落ち、絵画のキャンパスは飲み込まれ、そこには無数の指で掻きむしったような跡が残っている。
「…うわぁ…酷い…」
独り言さえ、闇に吸い込まれて消えてしまう。
手元のランタンの光を一番小さく絞り、一歩、また一歩と湿った絨毯の上を踏みしめた。
ピコッ。突然、左の耳羽が鋭く飛び跳ねた。背後の部屋から、ついにバケモノが上の階へと這い上がってくる音が聞こえてくる。僕はランタンを落とさないように指に力を込め、暗い廊下の奥へと駆け出した。しかし、駆け出した足が床に広がる黒い粘液に踏み込んでしまった。それはただの粘液ではなく、意思を持つ触手のように一瞬で足首に絡みついた。
ズルリ、と靴が床に吸い付く。引き抜こうと力を込めるほど、泥のような重みが脚を締め付けていく。背後から、さっきの部屋の扉が乱暴に弾け飛ぶ音がした。あの「暴食」のバケモノが、僕の体温を嗅ぎつけて廊下へ這い出してきた。
「離せ……!この…っ!」
僕は咄嗟に斧を振り下ろした。鈍い衝撃。だが、手応えがない。鋭い刃は黒い粘液を切り裂くどころか、餅のような弾力に押し返され、逆に斧の頭まで飲み込まれそうになる。
(切れない…!?)
さらに斧を振り下ろしても、その黒い粘液が逆に斧を蝕み始め、飲み込まれそうになる。廊下の向こうからズル…ズル……と、重たい肉塊が床を這う音が刻一刻と近付いてくる。
斧が弾かれ、闇がすぐそこまで迫る。僕は震える手で、ポケットから先ほど見つけたマッチ箱をひったくった。…残りは数本。震える手で数少ないマッチを一本取り出し、祈るように側面を擦る。一度目は空振りし、二度目で小さな火花が散った。三度目、指先に伝わる熱と共に、火がついた。僕は迷わず、その火を足首に絡みつく黒い粘液に押し当てた。斧を跳ね返したはずの粘液が、火に触れた瞬間、まるで激しくのたうち回る氷のように煙を上げて弾け飛んだ。
自由になった足を必死に引き抜き、僕はまだ火が灯っているマッチを放り投げて、闇の奥へと転がり込んだ。
荒い息を吐きながら、無意識に胸に手を当てる。掌に伝わるのは、大天使の静謐さとは程遠い、ドクン、ドクンと早鐘を打つ泥臭い心臓の音。「……アーメン」
震える声で呟くそれは、神への言葉か、それとも自分に「まだ生きている」と言い聞かせる呪文か。頬を伝う冷や汗が、床に落ちて黒いシミを作る。
僕は転がり込むように、廊下に面した小さな納戸へ逃げ込んだ。立て付けの悪い扉を、音を立てないよう祈りながら閉める。
―ズズ、ヌチャ……。
扉のすぐ外を、あの「暴食」が通り過ぎていく。重たい肉の塊が床を擦り、廊下の壁を削りながら進む音が、鼓膜のすぐ裏側で響く。僕は胸元で手を組み、狂ったように打ち鳴らされる心臓を必死に抑え込んだ。冷や汗が顎を伝い、床に落ちる。(……動けない。足が、……鉛みたいだ)
恐怖が、指先から感覚を奪っていく。耳羽は力なく垂れ下がり、僕はその場にうずくまってガタガタと震えることしかできなかった。その時だ。足元に置いたランタンの、消えかかっていた小さな火が、ふっと不自然に強く輝いた。それは熱くはなく、どこか懐かしく、透き通るような「温もり」。荒れ狂っていた脳内のノイズが、その光に触れた瞬間、凪のように静まっていく。
「……お父様…?」
誰の言葉でもない。けれど、確かな「肯定」が胸に染み渡る。
『恐れることはない、愛しの子よ。貴方のその震えこそが、救済への慈愛なのだから。』
そんな声が聞こえた気がした。僕は震える手で涙……いや、汗を拭い、顔を上げた。ランタンの光が、納戸の隅に積まれた「古い木箱」そこに無造作に立てかけられた、数本の「油の瓶」を照らし出していた。それを手に取れとランタンの光が激しく燃える。
僕はその光に背中を押されるように、油の瓶を手に取った。恐怖が消えたわけじゃない。けど、ここで僕が救済しないと誰があのバケモノを救済する?僕は油の瓶を強く握りしめ、立て付けの悪い扉を足で蹴破り、自らあのバケモノの元へ向かって行った。
廊下へ飛び出すと、バケモノが通り過ぎた跡が奥まで続いている。その跡に続くように全力で奥へ駆け抜けた。
廊下の角で踏み止まり、脇に挟んでいた斧をひったくるように握り直した。そして、渾身の力を込めて、侵食された床板へと叩きつける。
ーガァァァンッ!!!
鼓膜を突き刺すような鋭い金属音が、湿った空気を切り裂いて響き渡った。ズズ……と肉を引きずるおぞましい音が、ピタりと止まる。
「……おい、汚ぇ塊。…こっちを見ろ」
ズズッ、と肉を引き摺る音が止まる。バケモノの無数の目がが一斉に、ギチギチと音を立てて真後ろを振り返った。
「……ァ、……ァ”ァ…ッ…!」
獲物が自分を呼んでいる。その事実に歓喜するかのように、肉塊がグチャリとと音を立てて反転し、猛然とこちらへ這い寄ってきた。
「ア、ァ、……ァ”ア”ァ”アッ!!!」
挑発に応じたバケモノが、壁と天井を同時に削り取りながら、津波のような勢いで迫ってくる。僕は即座に向き直り、猛然と廊下を駆け出した。
背後から僕を飲み込もうとドタドタと重い重低音を鳴らしながら床板を粉砕し、壁を飲み込みながら迫るズルリ、ズズ……というおぞましい地鳴りが追いかけてくる。
「っ……はぁ、はぁ…!」
走りながら僕は右手で握っていた斧を一時的に脇の下へ深く挟み込んだ。
両手を空け、納戸から掴み出してきた油の瓶の栓を親指で弾き飛ばす。同時に、左の肩口に顔を埋め、ボロボロになった修道服の袖を前歯で強く噛み締めた。
ーバリィィッ!!
布が裂ける音鋭い音と、古い繊維の埃が喉にまで届く。咳払いをしながら引きちぎった布の端を、こぼれそうになる油の瓶の口へと力任せにねじ込む。
背後のバケモノの咆哮が、すぐ項の後ろで響いた。腐敗臭が熱を帯びて鼻を突く。 僕は転がり込むように廊下の角を曲がり、脇に挟んでいた斧を再び右手に握り直した。左手に持ったその火瓶に、ランタンの消えかかった火を移す。
ーボォォッ!!
暗闇の中で、一気にオレンジ色の猛火が狂ったように踊る。僕は走りながら、その火を宿した瓶を高く振りかぶり、背後を振り返る。
背後には、廊下の横幅いっぱいに広がった暴食の顎が迫っていた。無数の腕が、僕の背中を掴もうと指先を伸ばす。腐敗臭が熱風に混じり、耳羽がちぎれんばかりに逆立った。
僕は走りながら体を捻り、渾身の力を込めて火瓶を放った。オレンジ色の尾を引いて飛んでいく瓶。それは、僕を飲み込もうと暗黒の洞穴のように開かれた、バケモノの「喉の奥」へと吸い込まれていった。
ーパリンッ!
湿った肉の壁に当たり、瓶が砕ける一瞬の静寂。直後、バケモノの体内から、内圧に耐えかねたような重い爆発音が鼓膜を貫いた。
「ア…ガッ…ッ、ア、ア”ァ”ァ”ア”ァアァ!!!」
内側から焼き尽くされる苦悶に、肉の山が狂ったようにのたうち回る。廊下の壁を、天井を、無数の腕が断末魔とともに掻きむしり、剥がれ落ちた粘液が次々と発火していく。僕は爆風に背中を押されるようにして、そのまま廊下の突き当たりにある窓へと飛び込んだ。
窓から中庭へと転がり落ちた僕は、草の匂いと夜露の冷たさに、自分がまだ生きていることを実感した。背後では、館の一部が崩落する轟音が響く。燃え盛る紅蓮の炎は左右へと揺れている。バケモノの断末魔は次第にドンドン小さくなっていった。これが救済なのかも分からないが、耳羽がその炎と共鳴するかのようにピコピコと動いている。メラメラと燃え上がる炎と煙を目の裏に焼き付けるかのように見届けた。
すると、背後から不自然なほど純白で、神々しい輝きを放った「一本の扉」が姿を現した。
僕は煤で汚れた顔を拭い、荒い息を整えながらその光を見つめた。それは、戦いを終えた僕への労いではない。次に救済を待つ「迷える羊」が待つ場所へと繋がる、神が用意した一方通行の道。
僕は右手の斧を強く握り直し、足元に広がる黒い粘液すらない芝生の上を踏み越えて、迷いもせずその光の中へと踏み入った。
【”GLUTTONY END/RELIFE”】
コメント
12件
ちょっとなんか更新早くないですかねSin.さん???主人公くんがとにかく可愛いですよどうしてくれるんですか。 あと正直に言いますけど走ってる時の主人公くんがすごい…うん…何ですよ