「な、どうして……?」
私の平手打ちを食らい、バランスを崩しその場に倒れ込む遥輝。推しがそんな間抜けな姿をしているのは見るに堪えなかったが、私は遥輝を見下ろした。気分が良いとかそういうのは全くない。叩いたからと言って気持ちが晴れたわけでも何でもない。寧ろ、叩いてよかったのかとすら思う。
(……ヤバい、感情にまかせて叩いちゃった)
少し後悔がある。叩いたこと。こちらを信じられないとでも言うような表情で見つめる遥輝を私はもう一度しっかりと見た。どうやら少しは正気に戻ったらしい。
「どうして、俺を」
「叩いたこと?」
「あ……ああ」
「いや、それはごめん」
謝る気は更々なかったが、そんな捨てられた子犬みたいな顔をされてしまったら、謝るしかないんじゃないかと私は口にする。
まあ、謝罪はあった。
「それで、私、もう怒ってないから」
「……」
「アンタが私のチケットを破いたこと。あの時は、カッとなっちゃって、アンタのこと何も考えずふっちゃった。後悔してる。もっと冷静になれればって」
だって、手に入らなかったチケットがようやく手には入ってそれを目の前でびりびりに破かれたから。私が悪いのか遥輝が悪いのか、もうどっちも悪かった気がしたが。
遥輝は押し黙って、俯いた。
彼も彼なりに、私のチケットを破ったことを悔いているのだろう。自分があそこで破かなければ私にフラれることなかったんじゃないかって考えているのかも知れない。だから、お互い様だと思う。
どっちも悪かった。
その言葉で片付けてしまうにはあれかも知れないけれど。
「俺は……」
「だけど、私とちゃんと向き合って」
遥輝が何かを言う前に私は口を開く。
遥輝は何故? とでも言うような顔を私に向けていたが、私が冷たく見下ろしているのに怖じ気づいたのか顔を背ける。そんなに酷い顔をしているのだろうかと鏡を見て確認したいほどだった。確かに私は冷たい人間であったが。
「アンタも、私の過去見たんでしょ。あの災厄の調査の時に」
そう私が言うと、遥輝は小さく頷いた。
遥輝は、あまり詳しく言わなかったけれどあの災厄の調査の時、負の感情の塊、肉塊に飲まれた私を助けるためにあの怪物の腹の中に入った。その時、私の過去を見たらしい。私の知られたくない過去、本当にどうしようもなく自分が嫌いになって人が嫌いになった過去。
両親の無関心、中学時代の虐め。それらが私の心を苦しめ、私を今の性格にした。それは言い過ぎかも知れないけれど、私の闇はそれなのだ。
遥輝はそれを見た。
そうして、今回私も遥輝の過去を見た。
彼の過去を見て、私達は似ていると思った。全然タイプの違う親だけど、私達には似ている部分があった。だから、惹かれあったのかも知れない。理解できると思ったから彼は私に惹かれたのかも……とか。
「アンタが完璧であろとしたように、私も途中までは良い子であろうとした。でも、良い子でいることに私は疲れてやめてしまった」
遥輝は未だに完璧に囚われているのかも知れない。
親の教育、周りから理想化される自分。遥輝は板挟みになって孤独を選んだ。人と関わる事をやめた。人が嫌いになった。そんな時に私と出会ったのだ。
私は良い子でいたらいつか褒められると期待していた。良い子でいることだけが自分の存在意義だと思っていたのかも知れない。けれど、いくら良い子でいても誰も認めてくれない。一番褒めて欲しかった家族に褒めて貰えなかったこと。それがあって、私は良い子でいることをやめてしまった。
遥輝は私とは違って、今も完璧であろうとしている。
それが私達の違いだ。
私は倒れた遥輝に一歩、また一歩と歩み寄る。彼は、光を怖がる闇のように後ずさりする。
彼は、何に怯えるのだろうか。
「アンタも完璧でいるのやめたら?」
と、私が言えば、遥輝はギリッと奥歯を噛み締めた。
確かに、ずっと完璧で居続けた彼にしてみれば、それを捨てると言うことはかなり勇気がいることだろう。完璧で居続けようとすることでしか、自分を保てないのなら尚更だ。
彼は、首を横に振った。
「俺は、お前の恋人に戻りたい。そのためには、完璧で居続けなければならない。お前が安心できる男である為には」
「だーかーら! 私、言ってんじゃん。完璧な男は嫌だって」
「……今はそう言うかも知れないが、欠点ばかりある男は大変だぞ? お前が面倒見れるのか?」
と、遥輝は言う。
……ああ、やっぱり、この人は完璧主義者なんだなぁと思う。私が言ったことを真に受けてしまっている。
私は、ため息をついた。
そして、遥輝の前にしゃがみ込む。遥輝はビクッとして、私を見上げた。
彼の言うとおり、完璧な男であれば私は何の心配なしに生活できるかも知れない。楽できるし、それは願ったり叶ったりだ。でも、それは恋人を飾りとしか見ていないと言うことになるだろうし、それは矢っ張り恋人同士とか夫婦とかになると違うと思う。
互いに歩み寄って愛し合うのが恋人だと思う。
遥輝は、私のことばかりを言うが、やはり何処か彼は私を理想化、美化しすぎているのではないかと。
「というか、今回のことでアンタが完璧に囚われすぎている我儘な男だって知っちゃったわけだし、その思想、もう捨てたら?」
「……う」
「アンタは完璧でいよう、いようとし続けているだけの子供じゃないかって私は思う。勿論、私もアンタとそう変わらない我儘で自分勝手な子供だけど。だけど、その方が釣り合うんじゃない?」
付合っていた頃の私達は、全然お互いバランスが取れていない釣り合っていないカップルだった。カップルと言えるものだったかすら微妙だが、遥輝の完璧さと、私のオタク度が調和していなかった。
私にはもったいなさ過ぎる彼氏だったのだ。
非の打ち所のないイケメン、私には本当に勿体なかったし、一緒にいても気が休まらないときだってあった。彼と釣り合っていない自分が惨めにも思えてきたし、もっともっといろんな事を思っていた。
だからこそ、私は完璧な彼より少し我儘で私に意見してくれるような人でいて欲しかったのだ。
私の趣味を理解していると言っていたが、それは口先だけで根本的なところを見ていない。もし私の趣味を理解しているのなら、私に趣味の話を振ってくればよかったし、もっと言うなら色々意見して欲しかった。あのキャラは好きじゃないとか、このアニメはここが共感できるとか。
それはさすがに理想が高すぎるかも知れないけれど、もっとそういう会話だってしたかった。
私も、遥輝のこと知りたかった。私の趣味にだけ付合わせて、彼の趣味なんて一つも知らないから。
「アンタは私を理想化しすぎなの、美化しすぎ」
「いや、俺は」
「そうなの! 私は、重度の二次元オタクだし、アンタが家に来るときは抱き枕とかも一応クローゼットに隠したり、ベッドに下にまでぎっしり同人誌が入っていたり、ゲームだって凄くするし、限定版と通常版の二冊買ったり、地雷があったら暴れるし、そんな女なの!」
と、私は叫ぶように言った。
こんなこと言ったら幻滅されるかなと思ったけど、私は言わずにはいられなかった。
それでも、彼が私を好きだというならもう諦めようと思った。
遥輝は、ポカンと口を開けていた。それから、言葉を探そうと口を動かした後また閉じて、俯いた。
(さ、さすがに幻滅よね……)
結構おおっぴらに趣味全開で遥輝とは接していたが、それでもまだ彼に見せていない部分はあったし、遥輝みたいな完璧彼氏がいたから、ちょっとは自分を隠そうと努力はしていた。
「……だから、その」
私はそこで息をつく。
また、自分の感情を彼にぶつけてしまったこと。彼が傷ついているんじゃないかってまた後ろめたい気持ちが込み上げてくる。
「私達、順番間違えたんだって」
ぽつりと私はそんな言葉を零す。
順番を間違えたというか、私は彼を何も知らないまま告白の返事をしてしまって、結局恋人らしい事ができず四年、そして別れたわけで。
もっと彼のこと知っていればとか、もっと寄り添っていればとか色々思った。
でも、何も知らなかったんだもん。
「……あの時、アンタの圧に押されて告白の返事しちゃったけど、私あの時アンタのこと何も知れなかったの。た、たしかに、恋人になってから互いを知っていくって言う手もあったかも知れない。けど、色々すっ飛ばしちゃったせいで、私達はぐだぐだだった」
付き合っているのに、私は彼のことを知ろうとしなかった。
彼も、本当の意味で私のことを知ろうとしていなかった。
互いに互いのことを知りたいと思っていたのに、それすらしていなかった。
だから、私達の恋は上手く行かなかった。
私は遥輝に手を差し伸べる。
「アンタの恋人にはすぐに戻れないと思う。アンタの欠点を知っちゃったし、アンタも私の欠点を知っただろうし。それに、もっと過程を大事にしていきたい。だから、その、友達から、とかなら……また、やり直せるんじゃないかって」
「……友達から?」
「そ、そう! だって、私達他人から始まって、恋人になったわけだし。ああ、えっと、だから全く知らない人同士で勝手に見合いさせられてそのまま付合ってみたいな……何て言ったら良いのかな、そういう! だから、いきなり恋人! じゃなくて、友達とか、から……私、友達いなかったし」
そう言いながら、自分で何を言っているのか分からなくなってきた。
ああ、何だか余計な事まで言ってしまった気がする。何だか恥ずかしい。
すると、遥輝は顔を上げて笑った。それは、久しぶりに見た彼の笑顔で胸がドキッとする。
「友達か……」
「そう、友達」
「そこから始めれば、俺はまたお前の恋人に戻れるのか?」
「それは、知らない。アンタの努力次第だし、私がアンタを好きになるかも知れない」
「それまでは、好きじゃなかったと」
と、遥輝は拗ねた子供のように口をとがらかせる。
相変わらず意地悪というか、何かが吹っ切れたからこそそう言うのかは分からなかったが。
「嫌いじゃなかったって言ってるでしょ」
私は少しムッとして答える。
「……そうか。それなら、よかった」
そう言って、遥輝は優しく微笑んだ。私の差し出した手を取って立ち上がる。
彼の手を握り返すと、彼は私に顔を近づけてきた。
「ちょおおおお!ダメ!」
「何故だ?」
「だから、友達からって言った。私達友達、友達同士はキスしないの!」
「……いずれ、恋人になるんだ良いじゃないか」
「なんでそんなに執着してくるの!? 私は二次オタクでコミュ障でぇえええ! 惚れる要素なんて何もないでしょうがアアア!」
と、私は必死に抵抗した。
遥輝は不服そうな表情を浮かべたが、すぐに諦めてくれた。だが、その代わりと言ってはなんだが、遥輝は私を抱きしめた。
「ひぎゃあぁっ!」
「必ず、お前を惚れさせてみせるからな」
「……ぅ、う……うん」
私は思わず素直に答えてしまう。
そんな自分に驚いてしまう。あれ、おかしい。私ってこんなチョロかった? 遥輝のこと好きなのかな。でも、まだ分からない。
けれど、きっとこれから先彼と付き合っていくうちに、彼に惹かれていくかもしれないと思った。
(推しの顔面、神過ぎてむりいい~~~~~)
でも、簡単には落ちないつもりでいるが、推しの顔でそんな満面の笑みを向けられたら何も言えない。
そんな風に、彼にたじたじしながら、彼を救えたとほっとしていると、目の前にヴンとシステムウィンドウが表示される。そこには、クエストクリアの文字があったが、ウィンドウは激しく揺れ、バグったように消えてしまったのだ。
(え、何……どういう……)
私が確認のため手を伸ばしたが次の瞬間、
『許さない……』
その言葉とともに私達の周りに不穏な影が伸びてきた。
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