テラーノベル
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『……ただいま』
玄関を開けて靴を脱いだ瞬間、空気が重いと感じた。
リビングの明かりはついていて、母親はソファに座ったままテレビを見ていた。
けれど、その姿勢も目線も、どこか不機嫌をはっきりと語っていた。
(あ……怒ってる)
理由は、わからない。
でもそんなの、もう慣れていた。
「……」
テレビを見たままおかえりもない。静かなのに、鋭い。
『お、お腹空いたなあ、今日の晩御飯何?……』
「…冷蔵庫にあるの何か適当に食べといて」
その声に刺されるような感覚がして、ナマエはそれ以上、何も言えなくなった。
『……あ、うん。疲れたし先に部屋行くね』
逃げるように階段を上がり、自分の部屋に入ってドアを閉めた。
何も悪くない。
悪くないはずなのに、心臓がぎゅっと締めつけられる。
目頭が熱くなるのを誤魔化すように、着替えもせず、携帯も持たずに玄関を出た。
暑苦しい夜風が頬を打つ。
ただ歩くだけ。何も考えたくなくて。
――その時だった。
「あれ……ナマエ?」
聞き慣れた声が、夜の静けさをやぶった。
顔を上げると、任務終わりの出水が、驚いたように立っていた。
「え、なにしてんの!?こんな時間に!」
『……あー、ほら出たーいつものやつ!“女の子の夜道は危ないぞー”とか言うやつでしょ?』
「いや、マジで心配してるんだけど」
『あは、冗談だよ。散歩してるだけ〜』
本当はちっとも楽しくない散歩なのに、笑って誤魔化す。
“いつもの私”でいれば、きっと気づかれないと思ってた。
けど。
「顔、赤いよ。……暑い?」
『ん〜、たぶん?』
「……じゃ、アイス買ってやる。コンビニ寄ってこうぜ」
そう言って、出水はポケットから小銭を取り出した。
(ああ、またそうやって、優しいんだ)
優しいくせに、距離を詰めすぎない。
でも見捨てることもしない。
(……だから、ずるい)
『……出水先輩って、ほんと“都合いい”よね』
「それ、褒めてる?」
『さぁ? どうだろ〜?』
笑いながら、並んで夜道を歩く。
寂しい夜の空気の中で、少しだけ、心があたたかくなるような気がした。
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