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街灯の灯りが淡く照らす王都の石畳。風に乗って、スパイスの香りや甘い焼き菓子の匂いが漂ってくる。日中の喧騒はすっかり落ち着き、代わりに柔らかな灯りと笑い声が、夜の街を包んでいた。
「それで、話ってなんですか?」
ゼリアが立ち止まり、エリーゼの方へ向き直る。わずかに顔を伏せながら、一歩前に出て頭を下げた。
「私を騎士団に入れてくれませんか。」
その一言に、エリーゼは目を丸く……する間もなく、満面の笑みで頷いた。
「良いですよ!」
「やっぱり….え?」
ゼリアの目が驚きで見開かれる。顔を上げたまま固まっていた。
「良いですよ!いつでも歓迎してるので。」
「騎士団ってすぐに入れるんですね…..」
ぽつりと零した言葉を包むように、エリーゼがそっと彼女の手を取った。
「はい。いつも人が足りなくて、困ってたんですよ。なので、本当に助かります!」
隣でやりとりを見ていたカイルが、ぼそりを呟いた。
「思ってたのと違う。」
もっと、こう…..選抜試験とか、剣を交わしての熱いやりとりとか…..普通あるでしょ!
再び歩き出した一行の鼻先を、芳ばしい香りが優しくくすぐる。通りには提灯が吊るされ、屋台や飲食店が光の帯を描いていた。焼けた肉の匂い、ハーブとチーズが溶け合った香り、だしの湯気の匂いまでもが、夜風にまざって踊っていた。
「ここら辺っていろんな食事屋さんがあるんだね。お腹すいてきたよ。」
エリーゼは上機嫌で鼻歌を口ずさみながら、にこにこと店を覗いていく。
ふいに足を止め、楽しげに指を伸ばした。
「私のお気に入りの店はここです!」
ガラス張りの壁越しに、賑やかな店内の様子がよく見える。種族も年齢もさまざまな客たちがグラスを掲げ、笑いながら食事を楽しんでいる。テーブルから立ち昇る香りが外にまで漏れ出し、カイルの胃袋を確実に刺激していた。
「ここ良いね!早く行こうぜ!!!」
気がはやった様子で、カイルは躊躇なく扉を押し開けて中へ駆け込んだ。
「では、私はこれで。明日、騎士団の方へ向かいます。」
ゼリアが静かに頭を下げ、立ち去ろうとする。
「ゼリアさんも一緒に食べましょうよ!」
その声に歩みを止めた彼女へ、エリーゼが軽く声を弾ませながら近づいた。
「え?….ちょっと待って….」
言葉を継ぐ前に、そっと背中を押される。抗う間もなく歩を進める形になり、そのまま彼女も店内へと連れ込まれていった。
「いらっしゃい。あら、エリーゼちゃんじゃないの。久々ねえ。」
厨房から現れた女性店主が、エプロン姿で笑顔を浮かべていた。柔らかな口調とともに、エリーゼに手を振る。
「はい。今日は仲間と食べに来ました。」
「そうかい。いっぱい食べておくれ。」
温かな声に導かれ、木目の落ち着いたテーマへと案内される。席に腰を下ろすやいなや、カイルが壁に貼られた写真を見て、目を輝かせた。
「俺はピッツァにしようかな。」
とろりと溶けたチーズに、具材がたっぷり乗った焼きたてのピッツァが写真には写っていた。
向かいに座るエリーゼが、テーブルに置かれたメニューをくるりとして彼に見せた。
「メニュー表を見て決めましょうよ。色々ありますよ。このハンバーグとか美味しそうじゃないですか?」
「確かにね。ちょっと見せてよ。」
カイルが顔を近づけてメニューを覗き込むと、その横でゼリアはじっと動かずに座っていた。
視線をテーブルの隅に落とし、指先でグラスの縁をなぞるような仕草をしている。
….お金がなくて、食べられそうにないんだが。パンで我慢しようと思ってたのに。
「ゼリアさんも頼んでくださいよ。」
エリーゼの言葉に、ゼリアが顔を少しだけ上げるが、躊躇いがちに目を伏せたまま、声を落とす。
「でも、お金が…..」
そのまま会話が止まりかけた空気を、エリーゼの笑顔がやんわりと包み込んだ。
「気にしなくても大丈夫ですよ。私が払うので。」
「そういうわけには…」
かすかに眉を寄せる彼女へ、エリーゼの言葉が重なる。
「大丈夫です!エリーゼさんは狼の件でとても活躍したじゃないですか!そのお礼みたいなものですよ。」
彼女が少し目を見開き、肩の力を抜いた。
「….なら、ありがたくいただきますね。」
そっと手を伸ばし、もう一枚のメニューを手に取る。そのページをめくる視線は、どこか安堵ににじんでいた。
「ご注文はお決まりですか?」
声のトーンを抑えた店員がテーブルへ近づく。エリーゼがすっと背筋を正し、静かに顔を上げる。
「私はオムライスです。カイルさんとエリーゼさんは?」
「俺はハンバーグとピッツアにしようかな。」
カイルが胸を張って告げると、ゼリアも楽しそうに頷いた。
「私もハンバーグにします。」
「分かりました。少々お待ちください。」
メモを取った店員が丁寧に頭を下げ、そのまま静かに厨房の奥へと消えていった。照明の柔らかな光の中、三人の前には、間もなく始まる夕食の時間が温かく広がっていた。皿の音と料理の香りが、もうすぐ運ばれてくる気配を連れてくる。
「カイルさんはこの後、私と宿に泊まる予定ですが、予定とかありますか?」
飲み物に口をつけかけていたカイルの手が、ぴたりと止まった。
「マジで!俺、エリーゼと泊まれるの!?」
椅子の背にもたれながら、両手を広げて上空を仰ぎ見た。
そういう展開に走ってくれたのか!?感謝だぜ!
「カイルさんは急に連れてこられたので、お金がないですもんね。」
「じゃあこの後、本屋で一冊本を買いたいから、少しだけ金ちょうだい!」
返す言葉に、エリーゼは鞄の中をさっと探る。
「良いですよ。このくらいでよろしいでしょうか。」
小さな革袋を差し出され、カイルは目を輝かせた。
「全然オーケーだよ!!エリーゼは本当に優しいね!俺もう大好き!!」
「そんなことはないですよ。」
エリーゼは微笑んだまま、水を一口含むと、静かに続ける。
「カイルさんにはこれからもっと活躍してもらうので。明日はダンジョンに行きますよ。」
その言葉に、カイルの思考が止まった。
「は?」
あまりに静かな反応に、エリーゼが目を丸くする。
「どうしましたか?」
「ダンジョンに行く?」
「はい。一緒にダンジョンに行きます。」
「ちょっとくらいさ、ゆっくりしようよ。」
「カイルさんにはすぐに強くなってもらわないと困るんです。」
「そりやそうかもしれないけどさ。無理は禁物でしょ!」
「ポーションを飲めばすぐに回復しますよ。」
「違う!そういうことじゃない!」
テーブル越しに身を乗り出すカイルの額に、汗が滲み始めていた。
静かにその場を見守っていたゼリアが口を開く。
「私も参加しても良いでしょうか?」
「もちろん良いですよ!ダンジョンは4人で行く予定でしたので。」
「ありがとうございます。」
ふたりの会話が穏やかに交わされる中、カイルはコップの水を全部飲み干した。突如、勢いよく立ち上がり椅子がぎいっと音を立てる。
「エリーゼちゃん。」
あまりの勢いに、エリーゼとゼリアがそろって動きを止める。
「は、はい……?」
「もっと金をください!じゃないと、行きませんよ!」
エリーゼに指をさして、頼む姿に周りの客たちはひそひそと話し始めた。
「おいおい、あいつ女の子相手に金せがんでるぞ。」
「しかも堂々と…..えぐいな。」
「うわ……俺、同じ空間にいるのちょっとキツイ。」
ひそひそと交わされる声が、店内の温度を一瞬で変える。ゼリアは静かに顔を背け、内心で小さく吐息を漏らした。
何もしていないのに、金をせびるなんて。こんなに最低な男だとは思わなかったな。
「お待たせいたしました。」
場の空気を遮るように、店員が料理を運んでくる。テーブルに置かれたのは、ピッツア、ハンバーグ、そしてとろける卵が美しいオムライス。
カイルはそろりと腰を下ろすと、言葉もなく自分のピッツアとハンバーグを見つめていた。何も気にしせずに料理を見つめる彼を見て、周りには妙な沈黙が流れていた。
彼は器具を手に取り、ビッツアを三角形にカットした。とろけたチーズが刃に絡まり、糸を引く。切り分けた一片をひよいと持ち上げると、勢いよくかぶりついた。
「うーん。デリシャス。デリシャス。」
気取ったような表情で鼻を鳴らしながら、口の端にチーズをつけたまま満足げに頷く。
さっきの言葉を気にしながらも、エリーゼは何も言わずにスプーンでオムライスをすくった。ふわふわの卵の中から溢れ出るデミグラスソースが、ライスにとろりと絡む。
「美味しいですね!」
頬をほのかに紅くしながら、にっこりと微笑む。
ゼリアはナイフとフォークを静かに構え、一切れずつ丁寧に切っては口へ運んでいた。ジュワッと肉汁があふれ出すその瞬間に、彼女の表情がわずかに和らぐ。
「このハンバーグは絶品ですね。」
口調は変わらないが、その目元には微かな喜びが滲んでいた。
「ゼリアって以外に礼儀いいね。」
ピッツァを咥えながら、横目で見てくるカイルに目を細めた。
「なんだその言い方は。こ最低限の礼儀は弁えてるつもりだぞ。あと食べながら、喋るな。」
三人の前に広がるのは料理の香りに包まれた、心地よい夜のひとときだった。
「美味しかったですね!また一緒に行きましょう!」
エリーゼが名残惜しそうに手を振り、ゼリアも少しだけほほ笑んで応じた。
「ごちそうさまでした。明日のダンジョン、一緒に頑張りましょ
軽く頭を下げて背を向けるゼリアの背中が、夜の灯りのなかにすっと消えていく。
「カイルさんはこの後、本屋さんに行くんですよね。一緒に行きましょうか?」
「そうだね。なんとなく道は覚えてるから。付いてきて。」
街灯の数が少なくなるにつれ、人の気配も遠のいていく。ふたりが辿り着いたのは、王都でもあまり人通りのない裏路地だった。暗がりの中に、ひとつだけ灯りがぽつんと浮かんでいる。
「久々に来たな。」
手書きの看板がかすれて読みにくくなっているその古い書店には、静かに埃の香りが漂っていた。
「私はここ周辺を散策してるので、カイルさんはゆっくり本を見ていてください。」
「うん。ちょっと待っててね。」
ギイ、と鈍く響く扉を開けて、カイルは一歩足を踏み入れる。すぐ正面に設置されたワゴンの端に、一冊の小説が山積みにされていた。
「なんだあの本?売ったばっかりなのか?」
何気なく手に取った一冊のタイトルに、眉をひそめる。
『転成しても杉本だった件 一章 敷居高上編』
「なんだこのつまらなそうな本は…..」
ページをめくることなく元の場所に戻し、カイルは店の奥へ進んだ。
「さて、俺が探している写真集はどこにあるかな。」
目当ては最近話題になったばかりの写真集。初回入荷分は即完売。
だが、ここならーーそう信じているのか、もはや願掛けに近い期待だった。
「あるといいんだけどな……」
店の奥まで歩きまわり、古びた本棚を片っ端から覗いていく。空気は静まり返り、床のきしむ音が一歩ごとに夜の静寂をかすかにゆさぶった。
そして、ふと目線を落とした先。薄暗い棚の一番下、段ボールの影から少しだけ飛び出した表紙が視界に引っかかる。
「まさか……これは一ー!?」
そこには、水着姿の美女が、プールサイドに置かれた”脚を伸ばして寝転べるような白い長椅子”に身を預け、艶やかな微笑みを浮かべている姿が大きく載っていた。
濡れた髪が肩にかかり、肌は陽に照らされて艶やかに光を反射している。背景には青く広がるプール。水しぶきが弾け、光と影が交差する中、彼女の曲線美が際立っていた。
その視線はまるで、見る者の理性を試すかのように挑発的で、ただの一枚の写真なのに、見る者の心を熱くさせる力があった。
カイルは本を胸元に抱えながら、一歩踏み出す。足取りは軽く、心の中ではファンファーレが鳴り響いていた。
「ナイスですねぇ!!」
表紙の端に印刷されだ”ニャンパフ独占グラビア掲載”の文字が、まるで神々しくさえ見えた。
「中にはニャンパフのページもあるって聞いたけど、本当だったとは。今日は良いことづくめや!!」
レジに急いで向かおうとしたその時だった。
「待て。その本は俺が置いてたんだから、俺のだぞ。」
肩にぐっと圧がかかる。カイルの足が止まった。背後から伸びた手が、ピタリと彼の動きを封じる。
「お前誰だ!これは俺のだぞ!」
振り返らずに前に進もうとするが、力が強くて進めない。
「俺か…俺はニャンパフを世界一推してる、さすらいの旅人さ。」
「なんだそれ!ダサすぎるぞ!」
「黙れ。早くそれをよこせ。」
「嫌だね!誰が自分のことをさすらいの旅人”って言ってかっこつけてる奴に渡すか!!」
「なんだと!!早くそれを――」
「おい、いたぞ!!」
突如、店内の入口側から声が響いた。振り返る間もなく、さすらいの旅人は屈強な男たちに両腕を押さえ込まれる。
「離せ!なんで急に俺を捕まえるんだよ!!」
もがく彼の元へ、一冊の本を手にした細身のメガネ男がゆっくり歩み寄る。眉を寄せながら、彼を鋭く指差した。
「あなた、私の作品をパクったでしょ!!」
「なんだと!?証拠はあるのか!?」
「ありますよ!!あなた、中身が一言一句一緒なんですよ!表紙のタイトルだけ変えて!”転成しても杉本だった件”って……なんてセンスのないタイトルなんですか!あなたには呆れた以外の言葉が見つかりませんよ!」
「ちくしょー!ニャンパフのページ見たかったのにイイ……!」
虚しく響く叫び声を残し、男は連れ去られていった。
「なんだったんだ、あの男は。」
カイルは呆然とその場に立ち尽くしたが、すぐに我に返る。本を抱き直し、レジへと足を進めた。
すると、奥からぬっと現れたのは、白髪にベストを羽織った店主だった。皺だらけの手を、カイルの方へ差し出してくる。
「君がこの本を手にするとはね。おめでとう。君は選ばれし者だ。」
差し出された手をカイルは力強く握った。
「たまたまですよ。」
「選ばれし者よ。家に帰って、ゆっくりと見てみなさい。わしはこれを見て、昇天しそうになったぞ。」
「あなたがそれほど動揺するなんて……すぐに見てみたいですね。」
「ではな。また来てくれ。」
「ありがとうございました。」
扉を開けると、路地裏の夜風が頬を撫でる。カイルの胸は静かに高鳴っていた。