テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「なんの本を買ったんですか?」
路地裏から大通りへ抜けた頃、エリーゼが隣を歩くカイルの手元に目をやった。街灯の光が、紙袋の角をちらりと照らす。
「これはね、俺の大好きなアイドルの写真集さ。」
胸を張るカイルの顔は、どこか誇らしげだ。
「そうなんですね。宿についたら、私にも少し見せてくださいよ。」
「まあ良いでしょう。特別だよ!この写真集まじで見つけるの大変だったんだからね!!」
「それは楽しみです!!」
エリーゼの笑顔に、カイルのテンションもさらに上がる。
「ところでき、宿ってどこなの?」
写真集の入った紙袋を小脇に抱えながら、カイルが辺りを見回す。
「ここですよ。」
彼女が指をすっと前に向ける。目の前には夜の灯りに包まれた堂々たる建物があった。石造りの外壁に、高く掲げられたランタン。重厚なドアが静かに存在感を放っている。
「ここなの!?結構でかくない?絶対高いところでしょ。」
「まぁカイルさんには少しでも休んでほしいですからね。」
エリーゼの微笑みは、宿の灯りよりもやわらかだった。彼はその横顔をちらと見て、なぜかちょっと胸が熱くなる。
「エリーゼちゃん……後で、エリーゼちゃんの部屋にも行こうか?」
「それは大丈夫です。」
宿の扉が静かに開き、ふたりは木の温もりに満ちたロビーへと足を踏み入れる。足音が絨毯に吸われ、ほのかに漂うハーブの香りが、旅の疲れを癒してくれるようだった。
「いらっしゃいませ。」
黒い制服に身を包んだ女性スタッフが、丁寧に一礼する。その所作は宿の格式を物語っていた。
カイルは受付カウンターに片肘をつき、急に低い声でキメにかかる。
「どうも。カイル・アトラスです。二人で一部屋借りたいんですけど。」
「カイルさんは何を言ってるんですか?」
エリーゼがびしやりと突っ込む。スタッフの手元がぴくりと止まった。
「二人で一部屋じゃないの?」
「違いますよ。すでに二部屋で予約してますから。」
「あ、ごめんなさい。」
照れ隠しに笑うカイルだったが、内心ではさっきから想像していた“宿での甘いひととき”が粉々になっていた。
なんだよ!やっと2人きりでイチャイチャできると思ってたのに!!
「こちらが鍵です。ごゆっくりお過ごしください。」
スタッフが黒い木製の台の上に、金属の鍵を二つ並べる。エリーゼが手に取り、カイルにも一つ渡してくれた。
「ありがとうございます。」
二人は並んで階段を上り、緩やかに伸びる廊下を進む。壁にかけられた花の絵画、絨毯の感触、ランプの灯り…..すべてが落ち着いた夜の気配に満ちていた。
やがて、それぞれの扉の前でふたりの足が止まる。
「カイルさん。今日はお疲れ様でした。おやすみなさい。」
静かに頭を下げるエリーゼ。その声に、どこかあたたかさがにじんでいる。
「おやすみ。」
カイルも軽く手を振り、互いの部屋へと入っていった。
部屋の中は、ひと目でわかるほど広かった。ベッドはふかふかで、窓の向こうには星空が広がっている。
「とりあえず風呂入って寝るか。」
ルームの扉を閉めると、タイルの床を這うように湯の満ちる音が響いた。蛇口からこぼれ落ちる湯が、ゆるやかに浴槽を満たしていく。立ち昇る湯気が、壁にかけた鏡を自くらせる頃カイルはゆっくりと湯に身を沈めた。
「ふう….」
肩まで浸かった瞬間、全身の力がじわりと抜けていく。湯船の温かさが、昼間の街歩きや奇妙な騒動すら溶かしていくようだった。
「これが一流のルーティーンってやつか。」
まぶたが重たくなるほどの心地よさ。浴室の灯りがぼんやり揺れて見えた。風呂から上がり、タオル地のローブを織って部屋へ戻る。髪はまだ少し湿ったまま。
冷えた水を一口。喉を通り抜けていく感覚が、妙に澄んで心地よかった。窓際のソファに腰を下ろす。カーテンを少し開けると、そこには澄んだ夜空が見える。
「….悪くない景色だ。」
まるで手が届きそうなほどの星々が静かに瞬き、窓越しに宿の灯りと混じり合っていた。カイルは紙袋に目をやる。
「さーて、俺のニャンパフちゃんでも拝むか……」
わくわくと胸を弾ませながら、両手で写真集を取り出す。その表紙を見た瞬間、にやりと笑みがこぼれた。
「いただきますよぉ!!」
膝の上に開きかけた写真集を置いたまま、カイルの身体はゆっくりとソファに沈んでいった。
ページをめくる指が止まる。
「……ふぅ……最高だな……」
まぶたが重くなる。力が抜け、肩が落ちて、息が深くなる。眠気がじわじわと押し寄せ、意識がぼんやりと遠のいていく。
「……無理……やっぱ明日にしよ……」
そう呟くと、カイルはそのまま夢の世界へ落ちていった。
カイルが寝ている頃、エリーゼはソファに座り、星空を見上げていた。
「写真集は明日にしようかな。」
カイルさん、もう寝てると思うし。
静かに今日の出来事を振り返りながら、そっと息を漏らす。
「楽しかったなぁ。」
みんなには強気で言うのに、すぐに逃げる。女性にすぐ一目惚れして、周りを引かせるけど、気づけばみんな笑っている。
自分に正直で、感情に振り回される人。
「まさか、王国を救う人があんなに自分勝手だなんて。」
想像していなかったから、つい笑ってしまう。
「でも、なぜか信じてしまうんですよね……」
こんなに自然な笑顔になれたのは、久しぶりかもしれない。1日しか会ってないのに、なんでこんなに正直でいられるんだろう。
考えていると、ふと、テーブルに置かれたペンダントが目に入る。
その輝きをしばらく見つめたあと、彼女は静かにベッドへと向かった。
「これが私にとって最後の冒険ですもんね。カイルさんに迷惑をかけないように、頑張らなくちゃ。」
そっと目を閉じる。
窓の外の星たちは、変わらず静かに瞬いていた。
「痛ってえ!」
乾いた音が部屋中に響いた。カイルはソファからずり落ち、すぐそばのテーブルに頭をぶつけた。
擦るように額を押さえながら、ふと見ればカーテン越しに朝の光がやんわりと差し込んでいる。室内はすでにすっかり明るい。
「もう朝かよ。ダンジョン行きたくねぇ……」
寝ぐせのついた頭をかきむしりながら、重い腰を引きずって洗面台へ向かう。顔を洗って、タオルで水気を拭き取ると、少しだけシャキッとする。
着替えを済ませ、水をごくり。喉を通る冷たさにぼんやりしていた意識がようやく目覚め始めたそのとき、玄関のドアが二度、軽くノックされた。
「カイルさん。」
扉越しに聞こえる、はきはきとしたエリーゼの声。
「すぐ行くよ。」
扉を開けると、そこには全身しっかり鎧を身につけ、剣まで携えた彼女が凛と立っていた。
「そんなにダンジョン行きたいんか……」
「ダンジョンの前にご飯を食べに行きましょう。一階に食堂があるんですよ。」
階段を下りて廊下を抜けると、ふわっと香ばしい香りが鼻をくすぐる。パンが焼けた香りに、軽いハーブの香気が混じっている。
「うわ……やっぱ王国って最高だな。」
その先にある両開きの扉を開けると、陽光が広がる食堂があった。高い天窓から差し込む朝の光が、白いクロスのテーブルと磨かれた食器の上でやさしく跳ねる。
中央のビュッフェ台には皿がずらりと並べられ、湯気を立てた料理たちが朝から胃袋を誘惑してくる。
「この中から好きな料理を自分の皿に入れてくださいね。」
「オッケー」
カイルはトレイを取り、その中に白い皿を載せて、料理の列をゆっくりと見て回る。
「どれにしよっかな~.」
湯気を立てるソーセージ、山盛りのポテトサラダ、ふわっと香ばしいパンが目に飛び込んでくる。迷う間もなく、その三品を手際よくお皿に盛りつけ、近くのテーブルにトレイをそっと置いた。
「あとはドリンクか。」
ポケットに手を入れながら、奥のドリンクカウンターへと足を運ぶ。そこには透明なピッチャーがずらりと並び、フルーツウォーター、ハーブティー、ミルクーーそしてオレンジジュースが並んでいた。
「朝はやっぱりオレンジジュースに限るよな。」
グラスに手を伸ばし、オレンジジュースを注ごうとしたその時
「おはよう。カイル、昨日ぶりだね。」
「え?」
唐突に聞こえた声に、思わず隣を振り向く。クインツが、静かにコーヒーを注いでいた。
「お前……なんでここにいるの?」
「最近、王都が騒がしくて呼ばれたんだよ。君も気をつけた方がいい。」
彼の横顔は、どこか探るようで、どこか楽しそうでもあった。
「今日ダンジョン行くから、気をつけるも何もないんだよ。」
「いきなりだね。まぁ、事情は聞かないとするけど…..応援してるよ。」
「そっちも頑張れ。」
カイルはジュースを注ぎ終えると、トレイの元へ戻る。
クインツはカップを口元まで運ぶ。飲み終えると、くすりと笑いながら呟いた。
「ついに始まるのか。」
「やっぱ、高級なホテルの飯は美味いね。」
満腹でご機嫌なカイルとエリーゼは冒険者ギルドへ向かっていた。
「しばらくはここに泊まりますよ。」
「マジ!良いことづくめだな!」
「その分、一緒に頑張りましょう!」
「……まぁいいでしょう。」
カイルが腕を組みながら頷いたとき、路地の角から一人がすっと現れた。
「ゼリア!」
カイルが手を振るなり、間髪入れずに叫んだ。
「今日も尻尾触らせてくれよ!」
「お前、朝からなんてことを言うんだ。変態め。」
びしやりと冷たい声が返ってきた。ゼリアは眉ひとつ動かさず、彼から距離を取る。
「おはようございます、ゼリアさん!」
「おはようございます。今日もお願いします。」
エリーゼの挨拶には、背筋を伸ばして応える。
「なんか、エリーゼの時だけ、態度変わってるくない?」
「当たり前だろ。この方は私が尊敬する騎士様なんだぞ。」
「尊敬だなんて。そんなたいしたことないですよ。」
エリーゼが両手の指をもじもじと絡め、少しだけ頬を赤らめる。
「いえ、あなたは素晴らしい騎士です」
「そうですかねぇ……」
もじもじしたまま視線を泳がせる彼女を横目で見ながら、カイルはむくれ顔を向けた。
「俺のことはどう思ってるのよ?」
変態とか言いながらも、実は尊敬してるんだろ?まったく、ツンデレはゼルフィアだけで十分だっていうのに……
「お前はクズで変態なだけだろ。なぜエリーゼさんが一緒にいるのかが理解できない。」
「なんだと!俺はなーー」
エリーゼが察して、慌てて手を伸ばし、カイルの口をぴたっと塞いだ。
「そのことは極秘なので、言っちゃダメなんですよ。」
エリーゼの顔が近い。カイルは口を押さえられながら、目を泳がせる。
「ふごふご…..」
「言っちゃダメですからね。」
わずかに頷くと、ようやく彼女の手が離れる。
「私がカイルさんといる理由は、色々あったからなんですよ。」
ゼリアに向き直ったエリーゼの言葉に、彼女はため息混じりにカイルを見つめた。
その目には、呆れと諦めが滲んでいるようだった。
「そうですか。…..まあ、事情は聞きませんが、エリーゼさんの苦労はなんとなく理解できます。」
「なんで、そんな呆れたような目で俺を見るんだよ!エリーゼちゃんが困ってるわけないでしょ。そうだよね?」
ゼリアの視線から逃れるように、カイルは慌ててエリーゼの方を向く、けれど、彼女は俯いたまま口を開かない。長い横髪で彼女の表情があまり見えなかった。
「エリーゼ?」
間を置いて、彼女はそっと顔を上げる。その瞳は、どこか遠くを見ていた。
「早くギルドに向かいましょうか。」
表情は変わらない。でも、声音がほんの少しだけ硬い。
「そうですね。」
ゼリアも静かに頷く。ふたりの足音が石畳に重なっていいった。
ぽつんと取り残されたような気分になったカイルは、誰にともなく声を出した。
「ど、どういうこと?なんで答えてくれないの?」
だが、その声に二人の足取りは変わらない。澄んだ光が、まっすぐに彼の背を押していた。